■ 洗濯日和

 休日の朝にもかかわらず抜群の目覚めの良さでぱちりと瞼を開いた私は、窓の外に広がる青空に胸を高鳴らせた。
 大急ぎで支度を済ませて向かう先は、例に漏れず下の階の兄弟のところである。伊勢と書かれた表札の前でふぅーっと息を吐いて手の中の鍵を確かめる。きっともう夏樹は部活に向かっただろうから、今いるのは春樹さんだけに違いない。けれど常日頃からお疲れの春樹さんにとって待ちに待ったお休みなわけだから、こんな時間に起きているとも考えにくい。せめて安眠を妨害しないようにそうっと鍵を回し、そうっと扉を開けて、そうっと入り込んだところまでは良かったがそこから先が問題だった。
 ちらりと覗いた脱衣所では洗濯かごに乗り切らなかった服が溢れて雪崩を起こしているし、台所の流しには前回置いていったタッパーが無造作に積み上げられている。リビングは輪をかけての惨状だ。飲みかけのジュースに食べきったお菓子の袋に、おそらく昨日の分だけではないコンビニ弁当とカップ麺の残骸に、使いっぱなしの割り箸に。たった二、三日でどうしてここまでと呆れてしまうけれど、考え方によっては"家政婦"冥利に尽きるということかもしれない。

 数回分の洗濯物を干すにはベランダひとつでは心許ないが、幸い今日はベランダふたつが使い放題だ。自宅と伊勢家の両方で洗濯機を回しながら、台所とリビングを片付ける。本当は掃除機もかけたいところだけれど、さすがにお休み中の春樹さんに悪いだろう。
 結局、自分の服の横に男物の服を干せるだけ干して階下へと戻った時ようやく春樹さんと顔を合わせることができた。
「おはよーございます」
 洗面所に向かってひょこりと首を伸ばせば、振り向かないままで片手をひらりと振って応えてくれる。休日だというのにちゃんと髭を剃って偉いなぁという感想は言ったところで仕方がないから飲み込むことにして、代わりに私ひとりでは叶えられないお願い事を口にする。
「ねえねえ春樹さん、お布団干しましょうよ」
 春樹さんの部屋はもちろんのこと、夏樹の部屋だって勝手には立ち入れない。つまり取りに行くにもベランダまで運ぶにも春樹さんの協力が必須なのだ。

 遅めの朝食のお供には、春樹さんのぼやきをどうぞ。なんて虚空に向かって紹介したくなるくらいに、爽やかな朝においても春樹さんはどこまでも春樹さんだった。
「あーあーこっちはただでさえ疲れきってるってのに……ったく、大学生サマってのは朝っぱらから元気だなァ」
「またそんなこと言う。今夜はふかふかのお布団で眠れるんだからいいじゃないですか」
 夏樹も喜ぶと思いますよと続ければすぐさま「当たり前だろう」と返してくるこの人は筋金入りのブラコンだと思う。いや、まあ、私もあまり人のことを笑えないのだけれど。
「しかしなぁ、そりゃ確かに"家政婦"とは言ったが何もここまですることはねぇぞ」
「まあ、私の洗濯物もあったし。大体、たった数日であれだけ散らかす人たちがよく言えますね」
 それに食費に加えてお手当まで頂戴しているのだから、金額分は働かなくては気が済まない。
「……あんだけヤローの服を干してりゃ、誰も女のひとり暮らしだとは思わねーだろうよ」
「兄さんの下着とかも残してあるんですけどお陰様で出番なしですねー」
「メシ食ってる最中にヤローの下着の話をするなっての」
「女の下着ならいいんですか」
「それさぁ、話にのったら俺がセクハラって言われるヤツだろ」


「じゃあ乾いた頃にまた来ますね」
 窓の外ではためいている洗濯物を指して言えば、きょとんと見つめ返された。ちなみに今の春樹さんは仕事モードではない。いつもの威圧感たっぷりな髪型とは違い、櫛を入れただけの無防備な髪はなんだか年相応というかひょっとしたら年より幼く見えてしまうくらいなのに、加えてこんな表情をされてしまえば破壊力は抜群だ。至近距離で放たれた一撃はこれ以上ないクリーンヒットで私の心の不意を突く。
「ど、ど、ど、どうしました!?」
「……昼メシ……」
 許されるならば今すぐ膝から崩れ落ちてしまいたい。これで全く自覚がないのだから恐ろしい。なんだこの天然タラシは!
 では適当になんか作って持ってきますね。今食べたばっかりだからもうちょっと後でいいですかね。展開に乗り遅れないよう必死で食らいつきながら口を動かせば、満足だと言わんばかりに微笑まれた。
 繰り返すが、夏樹ならまだしも春樹さんであるから……これはちょっと、なかなかにお目にかかれない一面である。今が朝でなければ「酔ってるんですか」と確認しただろう。
 


(2017.04.11)(結局、取り入れて畳むところまで一緒にしてくれました)
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