■ 夏があんまり騒ぐから

 厳密に言うと全てが全てというわけでもないのだけれど、それでも一応は余所様のお宅のお財布でお買い物をしている以上、無駄遣いは控えている。
 男性ふたりの数日分の食事に加えて私がお相伴に預かれるくらいの量を買えば毎度毎度それなりの金額になるのだけれど、半年近く経った今でも春樹さんから何か言われたことはない。

 そんな私が珍しく躊躇して見つめる先には今、特売のスイカが並んでいた。
 大目玉と書かれたポップのとおりこのサイズでこの値段は嬉しい。カットスイカでは物足りない心をずしんと満たしてくれる素晴らしさである。けれどさすがに、ひとり暮らしで丸々ひとつは持て余す。普通なら泣く泣く諦めるところではあるけれど、幸いなことに今の私には伊勢兄弟という強い味方がいるのである──と奮起する心とは逆に身体が動く気配をみせないのは、無駄遣いしやがってと眉を顰める春樹さんを想像してしまうからだ。いや、繰り返すけれど、実際に春樹さんからそんなことを言われたことは無い。無いのだけども。
 ああどうしようと見守る前で、ひとつふたつとスイカが減っていく。え、ちょっと、おばさんたら両手にそれぞれ!?


「うっわーすげぇ、こんなに食っていいの!? マジで!?」
「いつもながら夏樹は反応良くていいねぇ。どうぞどうぞ、たーんと御上がり」
 簡単にカットしただけのスイカを豪快に乗せた"夏樹専用皿"を嬉しそうに抱きかかえる彼を微笑ましく見ながら、もうひとりの前にも皿を置く。
「明日の分も冷蔵庫にありますから」
「持って帰んの大変だったろ」
 さすが春樹さんである。明らかに半カット以上の量だと見抜いてしまったらしい。けれど予想に反して「幾らだったのか」と問う言葉はなかった。代わりに、最後のひと皿を置いて座った私の腕を眺めて「こんな細せぇ腕でよくやるな」と笑うのだから堪らない。
「……そういうの、さらっと言えちゃうのってどうかと思います」
「あぁん? 細せぇだろうが」
 その目に一瞬で危ない光が宿るのを見て慌てて「そういう意味じゃなくってですね」と首を振る。そういうことではない。そういうことではないのだ。どうせ春樹さんの基準が自分や夏樹だってことは解っているし、ふたりと比べたらそりゃ私の腕は細いだろう。筋肉量だってまるで違う。でも、そういうことじゃない。私の頬が熱を持ってしまった理由はそういうことじゃなくって。
「じゃあ何なんだよ」
「ううう……そりゃ私だって女ですから、頼り甲斐のある年上のひとから小さいとか可愛いとか細いとか、改めて言われたら嬉しいし恥ずかしいし照れるんですよ! わかってくださいよ!」
「……"可愛い"とは言ってねぇぞ」
「うっ、そうですね! あーもう嫌だぁ! どうせ私が全部悪いんですよ! 実家に帰らせていただきますぅぅぅ!!」
 いっそ私を殺してくれぇぇぇと立ちあがりかけたところに春樹さんの腕が伸びてくる。
「うるせぇ。ただでさえ暑いってのにぎゃーぎゃー喚くんじゃねーよ」
「ヒィ、ぼ、暴力反対!」
「誰が殴るかバカ。これでも食って頭冷やせ、ほら」
 目の前に差し出されたフォークの先には一口サイズのスイカが刺さっている。なんだい、甘いものを見せれば落ち着くと思っているのかい。あやすにしたって随分子供騙しなやり方じゃないか。しかしながら、自分でも面倒臭いことになっているという自覚はあったのでここはおとなしく渡りに船と思うことにする。
 けれど、フォークの先へと唇を近づけた瞬間、春樹さんの肩がびくりと震えたことには気がつけなかった。ただただ自分のことで頭がいっぱいの私には、微塵の余裕もなかったのだ。
 薄く目を閉じて食らいつき、フォークの刃が当たらないようそっと果肉を引き抜く。口の中にじゅわっと広がる汁気を堪能しながらしゃくりしゃくりと噛み砕き、「ああ美味しかった。確かに甘いものは心を落ち着かせてくれますね」と春樹さんを見やり──そこで私はようやく、ふるふると肩を揺らす春樹さんに気がついた。どうしたんですかと尋ねる前に、バカかと怒鳴り声が飛んでくる。
「あれ?」
 なんで私が怒られるんですか。
「こっちはフォーク持ってんだよフォーク! 普通はフォークごと受け取って食うだろ! 危ねぇだろうが!」
「いやでも、"はいあーん"ってやつかと」
「これでそんな危ねぇこと、させるわけねーだろ……おい、他所でもすんじゃねーぞ」
 スプーンや箸でも危ねぇんだぞ、まさか串ではしねぇだろうな、いやそもそも何でもかんでも無防備に食いつくんじゃねーぞ。あまりに真剣に念を押してくるからムっとしてしまう。春樹さんはバカバカ言うけれど、自分ではそこまでのバカでは無いつもりだ。
「あのですねぇ、私だって一応相手を見て行動してるんですけど。今だって相手が春樹さんだったからで」
 こんなことをするのは、家族以外には春樹さんや夏樹や親しい友人くらい……ああでも、兄さんはあれでなかなかうっかりしてるから身内だけど除外かなぁ。本当に手元が狂いそうだし。
「そういうことを言ってんじゃなくて」
「はい春樹さん、"あーん"」
「…………ハァ」
 握ったフォークの先から、しゃくりと音を立ててスイカがなくなる。言ってはみたものの、本当に食べてくれるとは思わなかった。相変わらず眉間に皺を寄せながら咀嚼を続ける春樹さんを見ていると、なんだろう、胸がぎゅっと熱くなる。
「ほら、春樹さんだって食べたじゃないですか!」
「……そりゃお前だからだろ」
 調子に乗ってもう一度フォークを手にして"あーん"とやってみると、渋々ながらもまた唇を近づけてくれる。白い歯が赤い果肉を奪っていく様が色っぽいなぁと思いながらごくりと生唾を飲み込めば、一体何を勘違いしたのか今度は目の前にスイカが現れた。
「仕方ねぇな、ほらよ」
「"あーん"って言ってくれないんですか?」
「言うかバカ」
 乱暴なのは口調だけで、顔は笑っているしフォークが下ろされる気配も無い。


 やがて。
 結局お互いが飽きるまでそうやって食べ合うことにした私たちの向かい側で、両手をベトベトにした夏樹が立ち上がった。
「ごちそーさん! 手ェ洗ってくるわ」
 台所へと向かう両手には当然のように皿を乗せている。そのまま洗い物まで始めてくれる夏樹に向かって慌てて「ありがとうね、私もすぐ行くから」と声をかければ、いいからと明るく返された。
「これくらいやっとくから、なまえはにーちゃんとゆっくりしてなよ」
 本当にいい子だなぁと胸をときめかせたなら、すかさず春樹さんが「だろう」と自慢気に鼻を鳴らす。
 結構入れたつもりだったスイカはもう残り数切れになっていた。名残惜しいのが自分だけじゃないといいなと思いながら、さくりと刺した先を春樹さんへと向ける。はいあーん。
「またいいのがあったら買ってきますね」
「そんな顔すんなって。まだ残ってんだろ?」
「そうですけど。明日は──」
「食いに来りゃいい」
 でも明日は約束の曜日じゃないし、"作り置き用のごはん"の準備もしちゃったんですけど。うちとここの冷蔵庫に用意してあるタッパーの山を告げれば、律儀だなぁと笑われた。
「メシ作れって意味じゃねーよ。持って来て、うちで食えばいいだろ。お前がいると夏樹が喜ぶ」
「……夏樹が喜べば、春樹さんも嬉しい?」
「あー……まあ、それは……」
 フォークの先に噛りついた春樹さんが、ほらよと私の前にスイカを差し出す。聞きたかった言葉は貰えなかったけれど、それ以上を欲しがる代わりに私もしゃくりと齧りつく。


「あーあ、毎回毎回よく飽きねぇよなぁ……」
 呆れ調子の夏樹の声は、泡と一緒に排水溝へと流れていった。



(2017.04.16)(タイトル:インスタントカフェ)
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