■ まざりきったカシス・オレンジ 熱い血液が身体中を駆け巡っていく。独特の高揚感に包まれながらふわりふわりと浮き上がる意識は、次第に別の欲求を叫び始める。 「えーっと。あの、眠くなってきました」 顕著になり始めてきた変化を隠し立てなく伝えると、テーブル越しの春樹さんが片眉を上げた。 「ふうん、で? いつもはどうしてた?」 「お水を頼んで、それを」 「……なるほど、頭の方はしっかりしてるわけね」 うんうんと頷きながら差し出されるグラスの中身は明らかに水では無い色をしている。 「なら、今日はこのままもう少し先まで進めてみるぞ」 くれぐれも一気には飲むなよと念を押す春樹さんの声は、相変わらずとても優しい。優しいと、思う。優しくされているという自信が、ある。 赤く染まっているだろう頬にグラスを押し当てるとひんやりとして気持ちがいい。うっとりと漏れ出た吐息までが熱くて、今の自分が酔っぱらっていることを改めて自覚する。けれど、促されるままにこくりこくりと冷たい液体を喉へと流し込む私はやはり春樹さんの言う通りどこまでも思考が冴えていて、これが決して熱を冷ます為のものではなくますます燃え上がらせる為のアルコールであると理解した上で喉を鳴らすのだ。 これ以上飲んだ自分がどうなるのか。佐伯先輩のようにけらけらと笑うのか、進藤くんのように話し好きになるのか、それどころか落ちるのか上がるのかも分からない。どこまで覚えているのか、どこから忘れるのかもわからない。 ここから先は知らない。 けれど、たとえこの先がどれほど格好悪くても面倒臭くても、最後まで付き合ってやると言われてしまえば今更何を恐れることがあるだろう。 *** それなりの頻度で飲み会に顔を出しているという事については何も言わなかった春樹さんが顔色を変えたのは、自身の限界を知らないと口にした時だった。 「本格的に酔っ払っちゃう前に切り上げますから大丈夫ですよ」 呑気に笑ってみせる私に向かって、声のトーンを数段落とした春樹さんが問いを幾つも投げかけた。以前から飲んでいたのか、親や兄貴から飲み方を教わったのか、酔っ払った身内を見た事があるか、酔いつぶれた事はあるか。勿論どれも「NO」なのだけれど、自信満々で答える私に対して春樹さんの眉間の皺は深まる一方だった。 「……よくそんなんで外で飲もうって思えるもんだな。ガキって怖ぇ」 「失敗してないのにそんな風に言われるのは心外なんですけどー」 「失敗してねーのが問題なんだよ、バカ。てめぇの限界を知らねぇってのは、限界に気付いた時にはもう"手遅れ"だってことだろ」 なるほど、それは考えてもみなかった。 ぱちぱちと瞬いたところに溜息が追い打ちをかけてくる。これ以上呆れさせてなるものか。咄嗟に「じゃあ今度こっそり家で挑戦してみます」と宣言すれば、汚名返上どころかますます春樹さんの機嫌が悪化した。 「バカ。自分の酔い方も知らねーって奴がひとりで飲んで、倒れでもしたらそれこそどうすんだよ」 「なるほど!」 「なんでこんなバカが野放しになってんだ」 舌打ちに続けてほとんど呻くように「何してんだあいつはよォ」と吐き出された名は、今も元気に下宿生活を送っている筈の兄の名だ。けれど言うまでもなく、残念ながら今この場にはどうしたものやらと小首を傾げて次の展開を待つ私しかいない。やがて春樹さんが「仕方ねぇな」と口元を緩めるまで、私たちはただただ見つめ合っていた。 「なぁなまえ。次来る時は、なんでもいいから好きな酒持って来い。付き合ってやるから」 「はい?」 「余所で失敗する前に、うちで酔い潰れてみろって言ってんだよ。いっぺん吐くまで飲みゃいい経験になる」 「うっわ、春樹さんったらスパルタだー」 「……痛てぇ目みてからじゃ遅せーだろうが」 咄嗟におどけて返したところを真面目な顔で遮られて、今度こそ私は浮かぶ笑みを隠せなくなる。余所で失敗して酷い目に合うくらいなら俺の前で酒に慣れろ、そんな風に言われて嬉しくないわけがない。教えてやると言われて喜ばないわけがない。それに、春樹さんはああ言うけれど……兄さんだったら多分そこまで付き合ってはくれないだろう。 「ならそのうち、"可愛い酔っ払い方"も教えてくれますか」 "あなた好みの"とは胸の中でだけ付け加える。片手の指以上に年の離れたこの人が、自分で言うほど私を子供扱いしていないことはもう知っていた。けれど、ちゃんとした"大人"として見てもらうにはまだまだ足りないところだらけだとも知っている。だから今は知っていることを知らない顔で、許された距離いっぱいに身を寄せて甘えてみよう。 「"可愛い"だァ? 可愛く酔ってみせる女なんてロクなもんじゃねーだろ。ガキが調子のんな」 ほら、だから今はまだ。下手な知恵を付けてくれるなと言わんばかりのこの渋面に、無邪気に微笑み返すのだ。 (2017.04.28)(タイトル:銀河の河床とプリオシンの牛骨)(格好悪い所を俺にだけ見せろというのは結構凄い独占欲だと思うのです) [ 戻 / 一覧 / 次 ] top / 分岐 / 拍手 |