■ シロップまみれのチェリー・ブロッサム

 自室で書き物をしていたところにピーっと機械音が響いた。そういえばご飯を炊いていたんだったと思い出し、ペンを置いて立ちあがった私の向かう先は台所である。
 熱々のご飯を大皿に広げて用意していた具材を放り込み、ざっくりと混ぜて少し待つ。適度に冷めたらラップに小分けして、軽く形を整えれば作り置き用おにぎりの完成だ。ただし、冷凍室に放り込むのは数個だけで、あとは全て伊勢家行きとなる。


「こっちの袋がいつもので、こっちがパスタ。適当にチンして食べてねって春樹さんにも伝えといて」
 やったーと歓声をあげる夏樹を微笑ましく思いながら、空きだらけの冷凍室に手早く詰めていく。さすがに男ふたりとなれば消費が早い。前回あれだけ作ったのに、ひとつも残っていない。
 最初の頃、あまりのペースに驚いて「一体いつ食べてるの」と聞いた時の答えはこうだ。「朝とか夜とか、帰ってすぐとか……かな? ちょっと腹減った時にちょうどいいから。ああ、そういや兄ちゃんがお茶漬けにして食っててさ、あれ旨そうだったから俺も今度やろうかなって……」
 まさかこれほど重宝してくれるとは。
 それから味の種類を増やすようにしたけれど、さすがにお米だけというのもなぁと気になり、結果今回こうしてパスタという新顔を投入するに至ったわけである。もちろん茹でたての食感には及ばないのだけれど、この兄弟はその辺にはあまりうるさくないから多分大丈夫だろう。もし不評だったら、その時はこれっきりにしたらいいだけだ。
「それにしても本当、夏樹も春樹さんも文句言わないよね」
「何のはなし?」
「ごはんのはなし。そりゃまあ反応悪いなぁって時はあるけど、作り直せとか食べないとは言われないしさ」
「なまえのメシ旨いよ」
「……オーケー。次は唐揚げパーティね」
 いつの間にこの子はこんなに気を使えるようになったのだろう。涙を拭う振りまでして感動を伝えると、夏樹は一瞬何が何やらという顔をしたものの大慌てで首を振り声を上げた。
「違うって、本当だって。あ、いや、じゃなくって、本当に旨いってことで! だから、お世辞じゃないって!」
「なんと……オーケー、唐揚げと生姜焼きどっちがいい?」
「唐揚げ!」

 とは言ったものの、実のところ夏樹についてはそれほど意外でもなかった。だってもうずっと、この家での家事担当はこの子なのだ。幼い時分から懸命に兄を支えてきたこの子は、料理というものは待っていれば出てくるものではないと知っている。
 なので私の驚きは主に春樹さんについてだと言ってもいい。ただ、春樹さんの場合は少しばかり意味合いが特殊だ。昔からそれなりに遠慮がない性格だとか、ちょっとした時の言動がきついとか、すぐに怒るとか、学生時代は結構なガラの悪さだったとかそういうことも多分にあるのだけれど、それ以上に──

「もっと凝ったのとかちゃんと美味しい料理とか、作ってくれる人いたでしょ」
「なまえのおばさん?」
「そうじゃなくて。あー……だからほら"彼女"とか。昔からなんだかんだでもててたでしょ、きみのお兄さん」
 そうなのだ。私がうんと子供だった頃から春樹さんの側には誰かがいた。公園に集まって何やら怖い感じになっているなら見ない振りで躱せるけれど、エレベーターや階段という逃げ場の無い場所で"近所のおにいさん"と知らない女の人のいちゃつきシーンに遭遇してしまった時の居た堪れなさと言ったら酷いものである。その頃には"はるにい"なんて呼べなくなっていたから、なおさら下を向くしか出来なくて。
「今までだって、ご飯を作りに来てくれる人とか──」
「いなかった」
 ぴしゃりと言い切る口調が、この少年にしては珍しいものだったから。思わず顔を上げればへの字の唇が震えている。あ、やばい。
「……確かに兄ちゃんはもててたけど、けど……あの日からはずっと……誰も、連れ込んでなんか……!」
「ごめん、今のは私が悪い。うん、そうだよね、春樹さんはずっと頑張っててくれたもんね。ふたりで頑張ってたもんね」
 見え見えの地雷を踏み付けながら、なんとか爆発させずにやり過ごせないかと取り繕う私は滑稽だ。正直なところ、おねーさんの一人や二人や三人や四人くらいは連れ込んだだろうと思っていたからかなり予想外なのだけれどこんなふうに怒られてまで話し続ける必要はない。誤魔化すように「うちと一緒にしちゃだめだよね」と付け足せばようやく夏樹の険が緩んだ。
「なまえねえのとこ?」
 ぽかんと開いた唇から飛び出たのは随分と懐かしい呼び名で、そんな場合ではないのに胸の奥がくすぐったくなる。
「そう。あのバカ兄ったら友達だの彼女だの連れ込み放題でうるさかったのなんのって。今もあっちで相当好き勝手やってるみたいでさぁ」
「うっわーどうしよう想像できる。そういうとこも変わってねーのな」
 兄さんには悪いが、ここはひとつ盛大にくしゃみをしてもらおう。というわけで、これ幸いとばかりにずれた話題でラリーを進め、このまま終えられるかと期待したが甘かった。おまけに、軌道修正をかけてきた夏樹の瞳に先ほどとは幾らか種類の違う熱を見つけてまたも私は息を飲む。
「だからさ、なまえねえだけだから!」
「お、おう?」
「言わねーだけで、兄ちゃんだってちゃんとなまえねえのメシ旨いと思ってるし! だから、こんなのも……なまえねえだけだし!」
 言いたいことは有っても言葉が見つからないのだろう。もどかしそうに繰り返す夏樹を抱きしめたくなるけれど、さすがにそれはどうかと思い直して代わりにもっと上へと腕を伸ばす。
「……なっちゃんちょっとしゃがんで」
「え、なんで」
「撫でにくいから」
 途端に真っ赤になるところも可愛らしい。ガキ扱いすんじゃねーよと吼える声に、先に始めたのは夏樹の方じゃないのと返せばようやく気付いたらしくますます赤が深まった。
「なまえなんてっ、なまえなんてもう知らねー!」
 嫌いだとかあっち行けとか顔も見たくないだとか、感情に任せた言葉なら幾らでも言えるだろうに。こんな場面ですら随分と可愛いことを言うに留めてくれるからこの子は堪らない。気遣い屋で、お兄ちゃん子で、とてもとても優しい子。
 これはもう唐揚げにポテトフライも付けてあげよう、という思いつきは微塵も顔に出さないままで分厚い肩をぺしりと叩く。
「大丈夫、ちゃーんと分かってるから」
「な、なんだよ急に」
「けどねぇ夏樹、今の私は家政婦でもあるんだからね。もっとこうしてとかああしてとかこういうのが好きとか、どんどん言ってよね。言うだけならタダなんだから」
「……言うだけ?」
「勿論。言ってみた先がどうなるかってのは別問題よ」
 ええーっなんだよそれ!と肩を落とす夏樹は素直そのもので、思わず吹き出しそうになる。"なまえねえ"で"家政婦"。つまり、きみの頼み方次第ではなんだって叶うってことなんだけどなぁ……とは教えてあげない。

 この後に及んで悪知恵ひとつ働かそうとしない弟分が可愛くて堪らない。
 さて次はこの子をどうやって甘やかしてやろうか。数年ぶりの縁を相手に日々踊り跳ねる心を知っているのは、もうすぐ帰ってくる春樹さんくらいなものだ。


(2017.06.09)(タイトル:銀河の河床とプリオシンの牛骨)(弟分が可愛くて仕方がない末っ子大学生・弟が可愛がられることに満足気な兄・兄が嬉しそうにしていると喜ぶ弟による幸せスパイラル)
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