■ 11月某日 上

「店長さぁ。なんか最近元気無いよー、大丈夫?」

 常連の高校生に覗き込まれて、あわてて営業スマイルを思いだす。
 何がだい?そんなことないよ?
 けれど、対人関係において人一倍の能力を発揮する少年にかかってはこの程度の付け焼き刃では何の防壁にもならない。

「んー……最近ってかこの時間帯? 別にさぁ、喧嘩したとかじゃないんでしょ。連絡してみればいいのに。優山さんたちからも何もないの?」

 一も二も話したつもりはないのに十まで知っている顔で告げられて、ひくりと頬が引きつるのを止められなかった。なんだろう、これはいつぞやの仕返しだろうか。年頃の少年をちょっとばかり揶揄ったという過去の負い目があるため、こうしてハの字眉で繰り出される気遣いまで心にぐさぐさと突き刺さる、気がする。
「あー……うん、そうだね、アリガト」
 なんて無駄がなく的確なアドバイス。すっかり逞しくなっちゃって。高校生って成長が早いなぁ。子供を見守る出来た大人の目線に無理やり切り替えて、感動のそれにスライドさせようとしたが上手くはいかなかった。へらへらと口元を歪めてみても、相変わらず胃のあたりが重苦しいままだ。
「じゃあオレ帰るから。また顔見に来るからさ、ひとりでもちゃんと食べて寝なよ!」
 階段を駆け下りていく背中がやけに広く感じられて堪らない。あんなものを見せられては、ダメな大人代表としては「あーあ」と机に突っ伏すしかないじゃないか。
 "常連客"兼"友人"が顔を見せない件だけならまだしも、面倒を見ていた従兄弟がいなくなって寂しいという所までバレてしまっているなんて。次から一体どんな顔で出迎えればいいのかわからなくなりそうだ。
 こんなことばかりでは、単純に目元を隠すためだったサングラスが別の意味で欠かせなくなってしまう。

 尤も、情けないのはそればかりではない。あそこまで言われてもなお、何も行動に起こせない大人が存在するという事実こそ、少年には知られたくない醜態である。


  ***


 などという出来事からはや数週間。
 幸か不幸か受験生の少年はあれ以降姿を見せることはなく、なまえの方も何の進展もなくで、いよいよ気が滅入り始めたところにようやく転機が訪れた。
 静かな部屋を興味のないテレビの音で満たして、簡単な炒め物とビールを用意して、さあ夕飯にするかと腰を下ろしたタイミングにそれはやってきた。開けて開けてと煩いコールに応じれば、霜月の夜風に吹かれて立っていたのは底抜けに明るい笑顔を貼り付けた優山と、「さあさあ着きましたから靴を脱いで。ああ、コートは貸してください。ほらほら引きずっちゃってますから、先にこっちを……」などと珍しくテキパキと世話を焼く安藤と、そんな彼らに引き摺られるように歩くまるで生気の無いなまえだった。
 確かに待ち望んだ人物たちではあるのだが、三者三様の絵面は満善が予想していた内のどれとも違っていた。


「だからさあ、働き過ぎなんだって。仕事を頑張るってのは別にいいけど、息抜きの時間もないほど詰め込んだって仕方ないじゃない」
「そうですよー。まったく、数日単位で帰らないとか何考えてるんですが。しまいにはこんな風に有給押し付けられて……なまえさんはそれでいいかもしれませんが、傍で見てなきゃいけない上司や部下が哀れですよ」
「……ううううぅぅぅ」

 ちょっと目を離すとこれだから……。なまえに向かって憤る優山など、少し前ならば想像も出来なかった姿である。けれど弟分の成長に感激するより気にかかるのが、見るからにやつれたなまえだ。こんな様子でも遺影に手を合わすことを忘れない姿は立派だが、それが余計に痛々しさを加速させる。
 放っておけばその辺に崩れ落ちてしまいそうななまえを椅子に座らせて、炒め物の皿の横にどんと置かれた包みからピザを取り出した優山たちは止まらない。
 優山が鮮やかな手つきで取り分けた一切れにハチミツを垂らしてさあ食べろと突きつければ、安藤はぷしゅりと開けたビールを彼女の手に握らせる。息のあった連携プレイではあるが、どう見ても褒めてやれる場面ではない。
「いや、おまえら幾ら何でもこの状態の人間にそのチョイスは……」
「はい! せーの」
「「おつかれー!」」
 満善の制止の声は、男ふたりによってかき消された。よく訓練された会社員である彼女はこんな状況でもおなじみの号令には逆らわない。ただただ反射で缶を持ち上げるとそのまま一気に喉を鳴らし、ピザに噛り付くのだからいっそ気の毒ですらある。

 徐々に、なまえの瞳に光が戻ってきた。
 ただし、相変わらず口数は少なく、表情も優れない。そして案の定ピザが堪えるようで口を動かすペースも随分と鈍いものになっていた。
 さて。この状況で完璧に置いて行かれたのが満善である。
 この常連客がここしばらく"来なかった"のではなく"来れなかった"のだとは理解したものの、こんな彼女を見たのは短くない付き合いの中でも初めてのことだ。しかも、彼女を追い詰めたハードスケジュールが自発的なものだということが二重三重に理解不能である。けれども、この有様では根掘り葉掘り尋ねることも出来はしない。

 このメンバーで囲んだ中で間違いなく一番静かで暗い食卓の中で、やがて安藤が立ち上がった。

「よし、じゃあなまえさん! これでも見て元気出しましょー!」

 取り出したディスクをすっかり勝手知ったる様子で放り込めば、たちまちテレビ画面には女が映し出された。
 いかにも安物というぺらぺらのスーツを着た女のところに、やけに露出の激しい格好の女が近付いて──あんあん、あんあん以下略。
 要は刺激を求める男性をターゲットにした、その手の映像作品である。尤も、大きな声では言えないがその手の上映会自体は初めてではない。まあなんというか、酔っ払いの悪ノリが過ぎた結果この手のディスクを再生しようという話になることもあったり、他ならぬなまえ自身がこの手のものを笑い飛ばして楽しむタイプだったこともあり、とまあ、そんな。兎にも角にもそういう訳で色物が流れたことは初めてではなかった。
 けれど今日、この瞬間に限っては、いつも通りになんてなる筈がない。

 大きく大きく瞼を上げて凝視していたなまえの目から、いきなりぼろぼろと涙が溢れてテーブルに染みを作った。

「ちょ、何考えてるんですか安藤さん!」
「え、え? だってほら、好きなもの見たら元気になるかなーって……」
「どう見たって逆効果ですよね! コレは! 傷口抉って塩を塗り込むってこういう状況ですよね!」
「あー……いやー……あ、ねえ満善さん、どうしましょ」
「……どうしちゃったの?」

 さあアドバイスを下さいとばかりに見つめられたところで、圧倒的に情報が足りていないのだからどうしようもない。
 助けてくれという思いで恐らく今一番的確に動けるだろう相手に視線を投げれば、なまえのことを慰めていた筈の優山が口を大きく開けてこちらを見返した。

「まさか満善、まだ分かってないっての!?」

 そう言われましても。
 どうしたものかとおろおろして小さく小首を傾げれば、真っ青な顔の優山が自分の手を差してなにやらばたばたと動かした。彼の右手が指差すのは左手の──



 ああそうか言われてみればそうだ。むしろなぜ気が付かなかったのか。
 扉を開けた時から、答えなんてそこにあったのだ。
 いつでもどんな時でも、あれほど目についた銀色が今夜に限って気にならなかった理由なんて、ただ一つ。



(2017.07.18)
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