■ 中

「あーもう、籠っちゃったし。どうしてくれるんですか。ねえ。安藤さんってば、聞いてます?」
「そう言われましても。放課後女教師シリーズ上映会ではなまえさんも爆笑されてたんで、てっきりこれもいけるかと思ったんですが。ははは、こりゃ参りましたねえ」
「ばっかじゃないですか! 大体、安藤さんなら幾らでも上手いこと取り繕えたでしょう!」
「いやー、そんな風に買っていただけるのは光栄ですが、なまえさんの場合はそーいう手が通用しませんからねえ。まあ、だからイイっちゃイイんですが」
「あーあ……仕方ないなぁ。じゃあ満善、お願い」
「いっちょビシッと頼みますぜ、満善さん」
「……え、俺? この流れで俺なの?」

 まさかの展開だ。咥えかけた煙草をそのまま落としかけ、慌てて持ちなおす。
 すっかりその気になっているふたりは戸惑いの声など聞こえない様子で、ほらほらあっちと急き立てるのだから堪らない。

「おまえらが引っ張って来たんだろうが。だいたい、なんて声かけたらいいかなんて分かんねーぞ……」
「言ったでしょ、しばらく休みなんだって。あのままひとりにしといたら数日後にはミイラになっちゃうよ」
「数日でミイラは出来ませんよ。でもまあ、なんせ"元"愛の巣にひとりきりってなるとさすがにねー、嫌な予感もするってもんスわ」
 満善さんも分かるでしょうと視線を向けられるが、別に満善とて分からないと言っているのではないし、そういう事情の彼女を案じる思いがないわけではない。
 ただ、あまりに突然過ぎて、どうしていいかが分からないのだ。
 もっと言うならば、彼女との距離を測る上で重要視していた前提そのものが崩れたことに戸惑っていた。

 けれど、そんな戸惑いは彼らには伝わらないし伝えられるわけもない。
 仕方なしに、大きく溜息をひとつ残して部屋を出てなまえが籠るトイレに向かって声をかけた。
 返事はないが、耳を澄ませばすすり泣くようなか細い声が確認出来る。今度はもっと近付いて、トントンと叩きながら呼びかける。
「あのさ、あいつらも悪気があったわけじゃなくて……いや、そういう事じゃないな。えーっと、そのさ、俺たちはほら、なまえさんを見て来たから……」
「……ごめん満善さん。違うの。今ちょっと本当に無理なだけだから……うげっ」
「あ、了解。こっちこそごめんな。えーと、じゃあ、何か要るものは? 水でいいか?」
「ありがと。できればお白湯でもらえると嬉しいです、あー、もうむ、り……」

 ……よくよく考えるまでもなく、あの状態で酒とチーズとハチミツたっぷりのピザなんてどうかしていたのだ。
 どうだったと寄ってくる友人たちを押し退けて、適当なコップに沸かしたばかりの湯を入れ氷を数粒放り込む。適温になったそれを持って再び声をかけると、扉が開き隙間からよろよろと腕が伸びてきた。指にはやはり、あの指輪はない。
 そんな場合でも立場でもない筈なのに、なぜか……今この瞬間になまえの顔が見えないことに助けられた思いだった。


  ***


 再びリビングに現れたなまえの目はやはり赤くはあったが、それほどひどい有様ではなかった。
 余談だが、満善宅の洗面台には化粧落としが用意されている。二年前、従兄弟である春を連れてくる時にシャンプーか何かと間違えて持って来たらしい。これといって他意があったわけではないが何となく捨てそびれていたそれは、今年の春ついに空になった。それで終わった筈だった。けれどその後、気付けば新たなボトルを並べていた。自分で用意したとはいえ、なぜそんなことをしたのかはよく分からない。ただ、「もう満善さんってば面倒見が良すぎ。こんなの置いてたらこの先"お持ち帰り"出来ても誤解されちゃうよー」と相変わらず残念極まりないことを言うなまえがけらけらと楽しそうだったことだけは覚えている。

「うへぇ。長々と占領しちゃってごめんねーってあれ? 優山くんたちは?」
「なんか消化にいいもん買ってくるってさ。さすがにアレはなかったと反省したらしい」
「いやいや、そんなわたしの方こそ……いろいろ、ごめんなさい」

 せっかく気を使ってもらったのに、変なとこ見せたりして。
 ぺこりと下げられた頭がなかなか戻らないので、また泣いてしまったのではないかとハラハラする。優山も安藤もいない今、助け舟を出してくれる誰かはどこにもいない。
 しばらくしてやっと顔を上げたなまえの目はやっぱり潤んでいたけれど、その顔だけは満善が恐れていたどれとも違っていた。嗚咽のかわりにくすくすと喉を震わせていた彼女は、やがて明瞭な笑い声を部屋に響かせる。幾ら何でも振れ幅が大きすぎではないか。ひょっとして傷心でどこかおかしくなったのか。
「ちょ、なまえさん、もしかしてまだ酔ってる……?」
 核心を避けて、場を保たすためだけに口にした言葉の滑稽さといったら目も当てられない。
 笑い過ぎてついにへたり込んでしまったなまえが、違いますよと顔を上げた。

「ごめんなさい。なんだか、とても嬉しくって。3人とも忙しいのに、こんな風に迎えてくれて……。慰めてもらえるなんて幸せだなぁって思ったら泣けてきちゃった」

 えへへ。真っ赤な目と引きつった口元と上気した頬を使って不器用に笑ってみせるなまえはとても年上だとは思えない。けれど、年下相手にそんな顔が出来ることこそが目の前のひとが年上なことの証拠のようでもあり。
 うまい返しを思いつかないまま、引っ張り出した煙草にまた火をつける。

「あの人がね、『お互いがいなくなっても"友人"は残るから』って言ってたの。本当に、その通りだった」
「……あいつらが帰ってきたら、言ってやって下さい。俺だけ言われたって知ったら、また拗ねちまうから」


 なまえの涙が乾く頃、玄関の戸がようやく音を立てた。
 優山がこれなら食べられるでしょと差し出す袋の中には、冬限定のアイスクリームがふたつ。少し遅れて、コンビニ数軒分のプリンやシュークリームが詰め込まれた袋を提げた安藤がげんなりと唸る。
「いやあ参りましたよ。まさか隣街まで行かされるとは」

 アイスクリームは消化にいい、というわけではないのだが。
 けれどこの場でそれを口にするのはさすがの満善としても躊躇うところだったから、せめて暖かい茶を添えてやろうと立ち上がった。



(2017.07.18)
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