■ かみなり

「別れたって話はしましたよね」
 子供の頃から慣れ親しんでいるソファに座ってぽつりぽつりと口を開く。そういえば、家族以外の人とここで過ごすのは久しぶりだ。
 向かい合うと無駄に責められている気になりそうだったし、かと言って横並びも締まらないなと思ってソファを勧めたけれど、やっぱりあっちのダイニングテーブルにしておけばよかったと後悔したくなる。だって、距離が近い。顔を見られないのは助かるものの、気を抜いたら膝が当たってしまいそうだ。ほんの少し手を伸ばしただけで温もりに届いてしまいそうだ。遮るもののない空間は刺激が強すぎる。
「あれだろ、合格まで我慢しようって言ってたら予備校の女に掻っ攫われたやつ」
「その次」
「ああ。いざ離れてみたら一ヶ月も保たなかったっていう遠距離志望のやつな」
 確かにその通りではあるのだけれど。いちいち古傷を抉らなくてもいいんじゃないかな。
「その人にね、新しい彼女ができたんですって。なんか、あの時のサークルの先輩ってのともすぐに別れてたみたいで」
 伝聞調なのは本当に伝聞だからだ。高校時代からのアカウントで"今カノ"との惚気を連発している奴など痛々しくて見ていられない。
「誤解しないでくださいね、元鞘狙いとかそういうんじゃないんですよ。なんか周りを見渡してもそういうのが結構多くて嫌になっちゃうなーってことが本題です」
「それくらいの歳ならそんなもんだろ」
「ですよねー! 春樹さんも取っ替え引っ替えタイプですもんねー!」
 疎遠だったとはいえご近所さんであることには変わらない。近所の公園とかその辺の道ですれ違うことは度々あったし、連れ込んだり連れ込まれたりしている姿を見てしまったのも一度や二度ではないのだ。
 とはいえ、奥手で一途な人には相談し辛いから今ここにいる春樹さんが"そういう人"であるのはむしろ好都合といえる。
「合コンとかもちょくちょく行ったんですけど、なんか違うんですよ。なんか、ここで縁を繋いでもすぐに終わるんだろうなって感じばっかりで」
「あー…え、何、彼氏が欲しいっていう悩み? だったらお前、焦らなくてもその内いくらでも……」
 安堵するような、呆れたような、そんな声を振り払って叫ぶ。そうじゃない。そうじゃないんです。わたしはただ。
「セックスがしたいんです!」
「……はァ?」
「誰でもいいわけじゃないんです。でも、いざ誰かそういう人を作ろうとしても全然見つからなくて」

 できれば"彼氏"相手がいい。でも、長続きする彼氏でないと意味がない。続かないならその場限りと変わらない。むしろ元恋人という事実が残る分たちが悪い。元カノとして自分の痴態が記憶され続けることを思うと吐き気がする。恋愛中に仲間内で吹聴されるだけでも好ましくないのに、それが別れてからなら尚更だ。うんと昔、兄や彼の友達はよくそういう話をしていた。数年経った時のクラスの男子もそんな感じだった。どこまでいっただの、どんなふうだっただの、何回しただの。あんなふうに武勇伝に組み込まれて面白おかしく語られるのは嫌だ。そりゃ私だって自慢したくなる気持ちはわからなくもないし、全く知らないところでなら諦めもつくかもしれないけれど、でも、少なくとも狭いコミュニティ内でこれ見よがしに下半身事情を吹聴するのは単なる公開処刑だと思う。

 春樹さんのリアクションも拒絶するように一方的に喋り続ける。がむしゃらに畳み掛ける自分の声がどんどん震えていくのも分かっている。でも後には引けない。
「一応、後腐れのない相手ってのも検討したんです。でも、結局そんなの蓋を開けてみるまで分からないじゃないですか。誰かにばれたらどうしようって不安な時点で弱みが剥き出しなわけだし、こないだみたいなニュースがあるとやっぱり怖いなあって思うし、そもそも身バレとか脅迫とか病気とかリスク高すぎるし、身元がわからない人とか不特定多数を相手にするってのは処女の身ではどう考えてもデメリットしか見つけられないっていうか……ううう」

 いよいよ我慢できなくなった私にティッシュを差し出してくれた春樹さんはやっぱりいい人だ。たとえその顔が引きつっていたとしても。
「えーと、大学でいい感じの男とかいねーの?」
「それこそ関係が壊れたら世間話もできなくなるパターンじゃないですかぁ。こ、これからの長い学校生活でゆっくりそういう感じになるならまだしも、今ここで衝動に任せて押し倒すのは割りが合わないなって思っちゃってぇぇぇ」
 加えて、仮に将来的に学部の誰かといい感じになることを想定したらやはり性に奔放なイメージはない方が望ましい。とはいえ、そうそう便利な相手など見つかるわけもなくて。ぐすぐすと鼻を鳴らしながら説明を続けようとするところを手のひらで遮られる。

「あー……もういい。なんとなく分かった。好きとかじゃなくて性欲の話だな」
「性欲の話です」
「帰っていいか?」
「そういう反応が嫌だから誰にも言えないんですぅぅぅ」

 立ち上がった春樹さんに縋りつこうとした私の必死ぶりは凄まじかったようで聞いたこともないような声色で冗談だと謝られた。そして本当に帰らないばかりか、すっかり空になっていたコップに新しいお茶を注いで戻って来てくれたから、やっぱり春樹さんは信用できる人だなあと感動してしまう。時々恐いし基本的に雑だけれど、そういうものだと分かっていればどうってことない。

「でね、春樹さん」
 丸めたティッシュをゴミ箱に入れて向き直ったら、ばっちり目が合った。目は口ほどに物を言うというけれど、今はそれを期待してはいけない気がする。ややこしい事柄ほどしっかり言葉で伝えないと。なあなあで済ませて後でこじれてしまったら、最初に楽をした以上のツケを払わなくてはいけないのは明らかだ。
「たまにでいいので、私とそういうことをですね」
「いやいや。駄目だろ」
「そこをなんとか」
「つーかほら、物理的にな? ガキの頃から知ってるお前相手にその気にっつーのはな?」
「……こんなに可愛いのに?」
「……お前そのうち本当に痛い目みるぞ」
 うーむ、すんなりいけるとは思っていなかったけど、面と向かって勃たないと言われるとなかなか傷つくものがある。しかし、ここではいそうですかと引き下がっては何のために大恥をかいているのかわからない。
「なら別に、ちゃんとしたセックスじゃなくていいんです」
「そこ妥協できるんだ」
「たまに、本当にたまに、どうしても我慢できない感じの時にちょこっと触ってもらうだけいいので」
「随分妥協したな」
「要は多分、ホルモン周期的なアレなんですけどね。自分じゃどれだけがんばっても駄目な日があって、そういう時に発散できないとずーっと引き摺っちゃうので本当はそこだけでいいんです。あと白状すると挿れるとかちょっと恐いです」
 欲しい時に欲しい分だけ下さいという事が身勝手な自覚はあるからセックスという行為を求めたものの、他人の手で触ってもらえるならそれだけでいいのです。そんなふうに補足すると春樹さんの瞳が揺れた、ような気がした。もうひと押しな気がする。
「ニーズ的には女性向けの風俗とかレンタルサービスになるのかなってちょっと見たんですけど、やっぱりなんか怖くてですね。運営も変な名義だったり個人だったりして不安だけど、最悪これしかないのかなって考えたりもしてて、でもして欲しいことがアレだから……ね、本当に最後の手段にとっておこうかな、とか……」
 多少誇張してみたるものの全てが嘘というわけでもないし、事実最近の私が不調だったこともあり説得力は抜群だろう。さすがに現在進行形で親交のある相手がみすみす(それも単なる消去法で)見えてる地雷を踏み抜くのを歓迎するような春樹さんではないと信じたい。
 でもやっぱりわからない。無理だって言われて終わるかもしれない。
 そんなら勝手にしろって見捨てられたら悲しいな。

「泣くなっての」
「だってもう本当にどうしたらいいかわからないんです」
「……確認するが、"どうしても我慢できない時だけ"でいいんだな」

 とんでもなく長い溜息に続いて聞こえた言葉に光を見る。
 ねえ、今どんな顔をしているんですか。どんな目でそれを言ったんですか。慌てて顔を向けたところで、滲んだ視界では本当のことなど判別できない。子供のように泣いて言葉を欲しがる私に、春樹さんはそれっきり口を噤いでしまう。それでも、ひっくひっくと震える背をあたたかい手のひらでさすってくれるから、本当に欲しいものを得ていないにもかかわらず私は見事に満たされてしまったのです。



(2019.05.09)
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