■ 独壇場ダーリン

 その時は気にしなくても、後からそういえばあれが「そう」だったのだと気づくことがある。私にとって、あの人との出会いはそういう類のものだった。


 いつになく風が強い放課後。
 学校を出る前に確かに整えた筈の髪を乱暴に撫で付けてCDショップに駆け込んだ私に与えられたのは、店員さんの無慈悲な言葉だった。当店にはございません。そもそも流通もしておりません。
 新曲はもちろん既発曲もダウンロードで即座に入手可能とはいえど、ディスクという現物の人気は堅い。需要があれば供給があるのがこの世界だからこの店だって規模の割にはなかなかの品揃えだ。棚には子供の頃に聞いたような歌手名からどうやら最新らしいグループまで様々なラベルが貼られている。けれど、それでも、ある種類のものだけは見当たらない。いや、正確に言うとあるにはあるのだ。ただ、とてもとても選択肢が限られているだけで。
 一切の誇張なく、まさしく言葉通りに世界中を熱狂の渦に巻き込んでいるμが笑うポスターに見送られながら、今朝思い出したばかりのメロディを小さく唱える。タイトルは知らない。作者も知らない。歌詞だってサビ部分すらあやしい。でも、曲に漂っていた雰囲気とこのメロディだけは確かだ。なにより、これがDTMとして広く公開されていたという記憶もある。
 だからきっとクラスの誰かしらに聞けばわかるだろうと思っていたのに結果は散々で、それならプロを頼ろうとここまで来たけれどご覧の有り様だ。唯一にして最大の収穫は、あれがμの歌ではないということだけ。それはつまりこの世界では諦めるしかないという事実だった。悔しいなあ、せっかく思い出したのに。
「■、■■■、■■、■■■、■、■■……」
 こんなにいい響きなのに、口にした途端皆一様に首を傾げて言うのだからひどい。「ごめん、よく聞き取れなかった」「今なんて言ったの」自分が音痴なせいではないと気づいたのは昼休みが終わる頃だった。
 案外μとは嫉妬深いのだろうか。人間は許せても他の同類の声は許せないなんていう懐の狭さを持ち合わせているとしたら好感度が跳ね上がるけれど、残念ながらこんなゴシップを共有できる相手に心当たりはない。

「ねえおねーさん、歌いたい気分なら俺たちとカラオケとかどう? おごっちゃうよ?」
「そうそう。こんなとこじゃなくてもっと空調効いたとこでたっぷり楽しもうよ」
 
 ……確かに、需要があれば供給があるのがこの世界とは言った。けれど、こういう形で話し相手を望んだわけではない。
 結構ですから。冷たく振り切ろうとした声が激しい風にさらわれた。はためくスカートを押さえる私から目を逸らすどころか、揃ってにやりと唇を歪める下劣さが癇に障る。
「まあ、ここで長話でもいいけど? でもそれだと君が困るでしょ。ほら、一緒に行こうよ。大丈夫だって、俺らちゃんと金あるからぁ」
 なにを言ってもまるで堪える様子がない。一人が進行方向を塞いでもう一人が後ろに回り込む。徹底した役割分担から随分慣れていることが窺えた。こちらが逃げ道を求めて動く度に確実に嫌な方向へ陣取り直すという念の入れように頭の中で警告音が鳴り響く。
 ただでさえ落ち込んでいるのに、よりによってこんな面倒な連中に目をつけられるなんて今日は厄日だ。このまま無事に帰れたら今日はもう一歩も外に出るものかと心に誓う。というかこれどうしよう。いっそ大人しく付いていって店員さんに助けを求めた方が確実なのかな。とか考えている間も男の腕が肩に回されそうでぞわぞわっとなる。うっわ、勘弁して。

「どうしました?」

 救いの主が降臨した。
 反射的にぎゅっと閉じてしまっていた瞼をそっと開くと、私を庇う形で差し込まれた腕が見えた。下がるように言われて、状況に付いていけないままながら足を動かす。すると広い背中が現れて男たちが見えなくなった。ああ、壁になってくれたのか。
 颯爽と現れたその人は、あっという間に場の主導権を握ると実に慣れた口調で二人組を諭し始めた。あくまで物腰柔らかに優しい言葉を丁寧に発しながら、確実に彼らの痛いところを突いていく。そうして、私がやっとスカートから手を離した時にはもう二人組はいなくなっていた。実に鮮やかな手腕だ。さぞ名のある方に違いない。地獄で仏を体感した身としてはもう感謝の言葉だけでは到底足りない思いである。幸いなことにここは繁華街なのでお礼の仕方に困ることはない。洋菓子店でも喫茶店でも速やかに対応可能だ。
 だというのに、振り返ったその人は「当たり前のことをしたまでです」とこれまたとてもとても爽やかなお返事を口にするのだから……あまりの徹底ぶりにむしろ私はどうすればいいのですかと頭を抱えたくなる。

「で、では、お名前を!」
「ありがとう。本当に、そのお気持ちだけで十分ですよ」
「せめてクラスだけでも」
「いえいえ。すみませんが、僕の方が時間なもので失礼します」

 現れた時のように颯爽と立ち去ってしまう彼がアーケードの向こうに消えたのを見送って、胸いっぱいの熱い思いをはぁっと解き放つ。
 なんて立派な振る舞いだろう。結構食い下がったのに結局名前もクラスも学年すら教えてもらえていなかったことは残念だけれど、幸いなことに私があの人を忘れることはないと断言できる。ただでさえ極上の記憶力を持つ私が、この至近距離で一挙手一投足をも見逃してなるものかと注視したのだ。校内ですれ違った時にはぜひ声をかけさせていただこうと決意を固めて、せっかく救っていただいた我が身を無駄にするものかと歩き出す。
 さっきみたいにぼうっとはしない。ちゃんと前を向いて。隙を見せないよう、意識的に背筋を伸ばして。そして、忘れることなどできないけれど、せめて嫌な記憶を塗り替えるようにもう一度。

「■、■■■、■■、■■■、■、■■……」

 ふと、視線を感じた気がして足を止める。
 ぐるっと見回してもそれらしい人影は見つけられなかった。何一つ変わらない街並みの中、誰もがそれぞれ誰かと話すか手元を見るか、はたまた忙しく歩いているか。ならばあれは気のせい、だろうか。どれだけ目を凝らしても代わり映えのない世界に溜息を返して、纏わりつく違和感を振り払うようにスカートをひるがえす。今度はもう振り返らない。
 それにしても本当に風が強いな、なんて思いながら帰路に就けばそれで終わりの出来事だった。


  ***


「って思ってたのに、それから会う度会う度に違う顔で初めましてって言うんだもん。びっくりしたよね」
「……いや、僕としては早々に見破られてたってことからショックなんだけどね!? 黙ってるなんてなまえちゃんって性格悪くないかい!?」
「それを言うならStorkこそ。自分の曲だよってさっさと教えてくれたらよかったのに」
「ぼ、僕としても複雑な心境だったんだよ。あの曲を知っている君を洗脳するか、放置するか。君が三年なことにどれほど安堵したことか」
「ごめんね忘れてなくて」
「いいよ。その特性がμの手によって与えられたものなら、それはもう僕らの管轄外さ。君は君らしく好きに在ればいい」
「それって今から私がすることをStorkは決して拒まないってニュアンスでいいのかな?」
「……い、いいわけないだろう!?」



(2020.01.25)-どくだんじょうだーりん-
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