■ 繋いだ手のぬくもり

「ご機嫌だね」

 これぞ春という陽気の中、うきうきと跳ねるようなステップで先を進んでいた小柄な背中はその声にくるりと振り返った。
 町から少し離れただけで一気に人の姿はまばらになる。彼女は一応ちらりと周囲を見渡して、やがて申し訳程度の警戒を解いて青年の隣へと戻ってきた。小動物を連想させる動きも、連動して柔らかく跳ねる髪も、上目遣いで向ける瞳の色までが、これ以上なく同行者への好意に溢れている。それでも彼女にとっては足りないのだろう。自分の想いを一刻も早く伝えたくて仕方がないのだという様子で桃色の唇から熱を飛ばす。

「だって、ゲンスルーさんとデートですよ! 普段はなかなか一緒に居られないし、こんなふうにお出かけなんて夢のようです!」

 言うだけ言って頬を染めたところで彼女の絶好調は終わりを迎えた。
 向けられる視線の種類が、穏やかに見守るそれから不憫な者を見つめるそれに変わったのを察せたのは幸か不幸か。慌てて背筋を伸ばした彼女が「間違えました」と叫んで幾つかそれらしい言い訳を重ねたところで失態は覆らない。
 わかりやすく浮かれてわかりやすく取り乱してわかりやすく反省する姿はどこまでも無邪気で、徹頭徹尾好意しか滲んでいない。おまけに、失望されたらどうしようと不安に揺れる瞳のだめ押しである。
 チームの中では常識人で通っている青年は、可愛い女の子を諭すことはあっても叱り飛ばすことには慣れていない。だから今も、これじゃ叱るに叱れないなと呟いて頭を掻いた。

「ごめんね……せっかくなら、少しは街歩きでもできたらよかったんだけどね」
「も、もちろんお仕事ってのはわかっていますよ。調査が第一です!」

 ごめんねと彼が詫びたのは無理もないことだった。経験豊富な先輩プレイヤーが新米を監督していると見せかけて、思い込みの激しい新米ちゃんがひとり浮かれているだけと見せかけて、実はこのふたりはちゃんと相思相愛なのである。

 チーム内には内緒の"お付き合い"を始めたふたりの日々は、もどかしさで溢れていた。
 ほぼ毎日顔を合わせる関係とはいえ、他のメンバーの手前いちゃつくことはもちろん事務的な言葉以外を交わすことすらままならなかった。挙句、たまに一緒に食事を取ることはあっても、あくまで仕事の相談や、たまたまふたり遅くなったから成り行きで食べにきた……等の言い訳を前提にしたものだったし、外仕事でペアを組もうとしても戦場でのサポートに特化してはいるものの本人の戦闘能力は至って低いという微妙な能力者なまえと、戦闘より分析や戦略を練ることを得意とする頭脳派のゲンスルーがペアを組める機会など滅多にない。

「だから、私はこうして公認の元、一緒に歩けるだけで凄く嬉しいんです」

 街道から外れたところにぽんと発生した森を見据えて「いい結果を持って帰りましょうね」と張り切るなまえの横に立つゲンスルーの表情は穏やかだ。

「私、くじ運ってないんだって思ってたんですけど、そうでもないみたいです。だってこうして、ゲンスルーさんと一緒になれたわけだし」

 自分を見下ろすゲンスルーの視線に気が付かないまま、なまえは数刻前のくじに言及する。
 今回目的となった案件が、複数箇所をしらみつぶしに調べるという難易度は低めだが人手を必要とするものだったため、腕に覚えのある者ばかりかなまえのような支援型のメンバーまで駆り出されることになったのだ。

「ジスパーさんのおかげですね」

 誰が行っても同じならせっかくだから面白くしようぜ、とお祭り気分で能力無視のごちゃまぜくじを発案したジスパー当人が、見事に"留守番"を引いてしまい地団駄を踏む羽目になったのは気の毒だったが、なまえにとっては当然ながらそれよりも愛する人とのペアの方が重要だった。



「わあ、外から見るのと違って、意外と明るいものなんですねぇ」

 平野に突如として現れた森は、陰鬱・禁忌という表現がぴったりなほどに鬱蒼とした雰囲気で侵入者を拒んで見えたが、いざ入ってみると意外なほどに明るく不気味さの欠片もなかった。
 ところどころに見かけるモンスターも小型で敵意のないものが多く、「化物」より「妖精」というイメージだなあというなまえの感想にゲンスルーも穏やかに頷いた。

「そう。入ってしまえばこの森ほどプレイヤーに優しい森もそうないんだよ。ただ、見た目がアレだから大概のプレイヤーは警戒して足を踏み入れないだけで」
「……なるほど。競争相手に出会いにくいなら、調査に集中できますね」
「さて、お目当ての『植物学者』が出没するのは一体どの『森』なのか……。とりあえず、オレたちはここに違いないと信じて調べるしかないわけだ」

 冗談めかして溜息を吐いてみせたゲンスルーに、任せてくださいと軽快に返事をするなまえ。そして張り切って一歩を踏み出したところまではよかったが、踏み出した足は這っていた木の根に躓きバランスを崩してしまう。

「おいおい、いくら安全な森だからって、あんまり油断して歩かないでくれよ」
「すみません! いや、その、今のは本当についうっかりと言いますか。……ああもう、格好悪いとこ見られちゃいました……うう、気を付けます」

 反射的に赤くなって、青くなってと忙しいなまえは、けれども次の瞬間にはまた真っ赤な顔でゲンスルーを見上げることになる。

「え、え、ええええ!? げ、ゲンスルーさん? え、この手は……?」
「だって。この調子じゃあ、なまえの事だしまた変なとこでこけるか、無駄に落とし穴にでも引っ掛かりそうだし」

 有無を言わせず伸びてきた手にあっという間に指を絡めとられたなまえが焦るのを楽しげに見下ろしながら、ゲンスルーはしっかりと繋げた手をこれ見よがしに振って見せびらかす。二重三重のからかいを受ける立場のなまえとしては堪ったものでは無い。

「いやいや、まさかそんな。さすがにそこまで抜けては……」
「……ってのは建前で、せっかくのデートだから、せめて今くらい手を繋ぎたいってのが本音かな。それとも、なまえはこの手を離してほしい?」
「なっ! ……ゲンスルーさん、狡いです」
「なんだい? そんなに嫌だったのなら仕方がないなー。オレはもっと繋いでいたいのだけど、なまえがそこまで言うのなら、立派に進む姿を後方から見守ることにしようかな……」
「え!? ……うう、わかりましたよ。……あの、手は、その、繋いだままが、いいです」
「よくできました。じゃあ、もう少し手を繋いでいようか」

 にっこりと笑うゲンスルーの顔の下で、真っ赤な頬がこくりと小さく下を向いた。


「にしても、さすがに調査に支障が出ると思うんですけど」
「いいんだよ。ここの森は先にオレが個人的に調べておいたから」
「……はい?」
「ふふ、可愛いなぁ。そもそもあの人数でくじ引きなんてして、オレたちがペアになれるなんてどれ程低い確率だと思っているんだい」
「……はい?」
「まあ、一度目で発見出来なかったからと言って、二度目も現れないという保証はないからね。まったくの無駄足というわけでもないからあまり拗ねないでおくれよ」

 きょとん口を開けていたなまえだったが、それも僅かの間のことだった。
 最早本日何度目かわからない頬の火照りを自覚する羽目になった彼女は小さな声でもう一度繰り返す。ああもう、ゲンスルーさんって狡いです。


(2014.07.26)
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