■ ある少女の告白

 ああどうしてこんなことに。
 その瞬間の私は、生き伸びるという希望すら捨ててしまい、ただぶるぶると震えるだけでした。


 それなりに上手くやってきた私たちは、それなりに自信もありました。
 小さなクエストを幾つもこなし、少しずつでも着実にクリアへの道を歩んでいることが楽しかった。仲間とわいわいと過ごす日々に、わずかの不満も不安も持っていませんでした。
 これといった困難に遭遇することもなかった私たちは、完璧に油断していたのです。甘く見ていたのです。自分たちを過信していたのです。でなければ、充分に下調べもしないまま、新しいエリアに……あの北の山に行くなんて、愚かな真似をするはずがありません。


「なんだ、結構楽勝じゃんか」
「ねー拍子抜け。この調子なら、奥の洞窟に行って戻るまで半日もかからないんじゃない?」

 現れるモンスターを次々カードに変えながら、軽口を叩いていたチームの雰囲気は、目当ての洞窟に辿りついて一変しました。突如現れた、大きくて黒くて素早いモンスターが、それまでとは桁違いに強いと気がついたのは、攻撃担当の青年があっさりと弾き飛ばされた後でした。

 洞窟の入り口から数メートル離れた木を見てなぜ自分が震えているのだろうと考えてしまうくらいには、理解が追いついていませんでした。
 太い幹に叩きつけられ、真っ赤に広がる血の中に沈む彼のお腹は、大きく抉れていました。数分前まで笑っていた仲間と同一人物とは、どうしても思えないその姿は、明らかに手遅れでした。振り返って茫然としていた私を呼び戻したのは、他の誰かの悲鳴でした。けれどその悲鳴が引き裂かれてしまう直前に、念の防壁が彼女とモンスターの間に立ち塞がりました。私たちは、腰を抜かした彼女を引きずりながら震える足を必死で動かしました。
 一刻も早く、あそこから逃げてしまいたかったのです。

「なまえ、何をしている! カードはいいから<貯金箱>を!ほら、早く!」
 だというのに。
 町へ戻ろうと訴えかけた私を諌める声は諦めるどころか、がむしゃらな怒りに満ちていました。今思えば、彼らも冷静ではなかったのでしょう。「どうして」も「嫌」も「何故」も「逃げたい」も、何も言うことが出来ないまま、私は言われるままに能力を使いました。
 私の<働き者の貯金箱>はすぐさま、預けられていた念を彼らに戻しました。利子分を上乗せした念を得た彼らは、増々昂った戦意を真っ直ぐに向けて、洞窟を睨みつけていました。

 けれど、私はそれでもひとり震えていました。

 私の<働き者の貯金箱>の底には、まだひとり分の念が残っていたのです。それはもちろん、いつの間にか死体すら消えてしまった、あの子の分でした。あの子が居ないのに、あの子の一部が私の中にあることが妙に不思議で、その違和感は次第に恐怖と結びついて、すっぽりと私を呑み込んでしまいました。がくがくと震える私を一瞥した彼らが、声をかけてくれることはもうありませんでした。私に期待することを止めていたのです。
 もっとも、彼らの念の一部を預かり強化する役しか持たない私には、実際できることなどなかったのですが。……そして彼らは、再び洞窟の前へと足をすすめて……戻ってくることはありませんでした。

 あのモンスターが、洞窟から出て追って来るという行動パターンを持たなかったことが不幸中の幸いでした。
 でなければ、ほんの数分の間に四人の仲間を失った私はすぐに五人目になっていたでしょう。とはいえ、ようやく冷静さを取り戻した私は、冷静であるが故に気づいてしまった事実により、愕然としていました。繰り返しますが、私たちはチームで行動していたのです。
 各々が役割を持って行動していた私たちは、各自が何のカードを所持するかも当然管理していました。だから、私は<離脱>どころか<同行>も、誰かに助けを求める<交信>すらも、持っていなかったのです。

 私の念能力<働き者の貯金箱>は、他者の……それも特定の数名の念を貯めるという、どう考えても戦闘には向かない能力です。あくまで人間相手を想定したこの能力は、モンスターにはなんの効力も発揮できません。
 いつも前衛職が戦うその背後、防壁担当者の陰でひっそりと貯金箱を開けたり閉めたりしていた私にとって、たったひとりでこの山を降りて平野を進み、遥か先にある町まで辿り着けることがどれほど困難で望みの薄いことなのか、それはわざわざ考えなくても明らかなことでした。

 それでも、息を潜める様に進んでなんとか山の下までは戻れましたが、そこでついにモンスターに囲まれてしまいました。グルルルと唸る牙を全方向に感じながら、それでもなけなしのオーラで自分を大きく、強く見せていたのですが、それにも限界がありました。膠着状態を抜けた一匹の牙が私に襲い掛かったのを皮切りに、八本足の獣は次々に地を蹴ったのです。

 死に物狂いで張った念の防壁で弾いても弾いても、モンスターは繰り返し襲い掛かって来ました。
 とっくに限界を超えていた私にそれに耐えるだけの力も気力もなく、付け焼刃の防御術はあっさりと破られ、私はその日何度目かの恐怖に駆られ、せめてあまり痛くないよう、あっという間に死ねたらいいのに、理性なんて早く失くせたらいいのにと、少しでも楽な最期を迎えられるようにと願いながら、目を閉じました。
 本当に、もう駄目だとしか思っていなかったのです。


 だから、襲い掛かる毛皮の黒い黒い壁の切れ目から日の光が差し込んだ時は、正直夢だと思いました。死にゆく中で、幻を見たのだと思いました。
「おい! 大丈夫か!」
 たった数秒で私を死の淵から救い上げてくれたのは、柔らかな茶色の髪をした、黒い服を着た男性でした。短く切られた頭髪と、狼よりも早く動く肉体が見せる残像は逞しくてしなやかで、まるで空を凛と飛ぶ鷲のようだと思うことしか出来ませんでした。
 瞬きも忘れて、その人がモンスターを次々と倒していく後ろでへたり込んでいると、後から来た人たちがふわりと布をかけてくれたのです。その後の事は正直あまり覚えていませんが、かけられる声に頷いたり首を振ったりしている内に、私は生き伸びたのだと実感がわき、箍が外れたように泣いてしまった気がします。


 そうして、私を助けてくれた人たちに連れられた先で、申し訳ないほどに気遣われて、丁重に手当てもしてもらい、なにがあったのかを出来る限り詳細に話した後で、チームのリーダーだと言う人のよさそうな男性が私を正面から見つめて言いました。
「さあ、それで……君はこれからどうする?」

 あれほど求めていた<離脱>のカードをちらつかせて尋ねられたその時、私は本当に私らしくない返事をしたのです。死ぬ結末しかなかったあの瞬間を、切り裂いてくれた光は本当に奇跡のようでした。私のことも能力のことも良く知ってくれていた、私の仲間はもう誰もいません。帰っても、癖が強い能力と人見知の性格では、仕事仲間を探すのも容易なことではないでしょう。

「私は……」

 そういうわけで。
 私はあれほど怖い思いをした後なのに、それでもこの世界に残ることを決めたのです。



(2014.08.11)
[ / 一覧 / ] 

top / 分岐 / 拍手