■ 交わす言葉の温度

「ようゲンスルー。まーたお前、体調崩してたのかよ。本当にひ弱だなー」
「お前が来ないとなぁ、あっちの統計が仕上がらないんだぞぉ。つーかお前、もっと身体鍛えろよな。あ、今日からでもオレとトレーニングするか?」


 ちょこまかと本拠地内を走り回っていたなまえの目に映ったのは、数日振りの愛しい人の姿だった。


  ***


 ゲンスルーさんだ!
 気が付いた瞬間どくりと心臓が大きく跳ねた。すぐにでも声を上げて走って行って、そのままあの広い胸に飛び込みたい。そんな衝動に駆られながらも今はぐっと我慢して視線を向けるだけにしておく。まあ、実際は視線だけでなく足まで止まってしまったのだけれど、この場合は無理もないと思う。
 崩れていたという体調はもういいみたいだ。いつも通りの姿で歩を進めるゲンスルーさんは、すれ違いざまにかけられる声のひとつひとつに愛想良く答えている。

「やっぱり、人気者だなぁ」

 あしらわれても堪えずなおも一緒にトレーニングを!と食い下がるジスパーさんと、あまりのしつこさに辟易している様子のゲンスルーさんのやりとりが耳に入り吹き出してしまう。
 ゲンスルーさんもジスパーさんも幹部だけれど、特に役割を担っていない時は別行動が基本だ。この本拠地にだって、毎日顔を出す必要はない。けれど、ゲンスルーさんみたいに度々──それも数日単位で体調を崩しているような人をジスパーさんは放っておけないのだろう。
 私も最初にゲンスルーさんの事情を知った時はとてもびっくりしたし心配したのだけど、ある程度働いた後はまとまった休息を必要とする体質なだけで健康面に問題はないのだと説明を受けて、そんなものなのかと納得したというか、少し安心したというか。まあ、とにかく下手に心配することはなくなった。

 念使いの体質は個人差があるものだし、実際にどれくらいの負担が当人にかかっているのかは外側から窺い知ることはできない。
 本当にまったく心配していないのかと問われれば答えはノーだけれど、実際にこうして休息から戻って来たゲンスルーさんはいつもとても生き生きとして精気に満ちている気がするのだから私にはそれがすべてだ。ゲンスルーさんが言うようにこの生活リズムでリフレッシュになっているのだったら、ゲンスルーさんにとってちゃんとバランスが取れているということだし部外者があれこれ口を出せるところではない。
 せっかく休むなら一緒に連れて行って欲しいとか、数日単位でまったりゆったりイチャイチャ過ごしたいとか、そりゃあ思うところも多々有るのだけど、でもまあ……ひとりがいいというのなら、仕方がない。
 でもせめて、いつかは私の傍でもゆっくり休んで欲しいな、とこっそり願ってしまうことくらいはさすがに許してもらえるかな。

 などとあれこれ思っていたら、見つめすぎてしまっていたらしい。
 視線に気付いたジスパーさんが先にこっちを向いて、つられるようにゲンスルーさんの視線も動いて……ああ……だめだ……。

 しまったと思った時にはばっちり目が合っていて。でも当然、今更逸らすわけにもいかなくて。
 挙げ句に「ようなまえ!」とジスパーさんに呼ばれれば次の行動は決まってしまう。仕方がないので慌ててぺこりと頭を下げて寄って行って、お久しぶりですお身体は大丈夫ですかと声をかけることにした。
 それに対しての「大丈夫だよ、ありがとう」という定石の返事は、定石にも関わらず、なんだか他の一般メンバーに対するのより少しだけ優しい声な気がして、私はそれだけできゅんとしてしまう。
 そんな私に気付く様子もなくジスパーさんは世間話を続ける。時折私に振ってくれるけど、当然ながら私はそれどころではなくてなかなか上手くお喋りできない。

「それよりもなまえ、お使いの途中じゃないのかな? ……その手に見えるのは、コンターチ宛の荷物だろう?」

 ……あ、しまった。きゅんとかしている場合じゃなかった!
 そうだこれを持って行く途中だったのだと思い出して、包みを抱えている腕にきゅっと力を込める。名残惜しいけれどどうしようもない。それに、幾ら嬉しくても……あんまり一緒にいると私たちの関係をジスパーさんに見抜かれてしまうかもしれないし。いや、私としてはむしろちゃんと言ってしまいたいのだけれど、でも、でも、でも。ゲンスルーさんが今は我慢してというのだから、ここで知られるわけにはいかない。

 それじゃあ失礼しますとぺこりと頭を下げて、私はまた走り出した。


  ***


「今の見たか、可愛いなぁ」
 ぴょこぴょこと走って行く後ろ姿を見送った後、ジスパーはにやにやとゲンスルーを振り返った。
「荷物だろう? 何もあんなに大事そうに抱きしめる必要はないだろうに。走りにくそうだったしな」
 両手で抱きしめるように持って、バランスのとれない上半身の代わりに幾らかお尻を振って走っていった後ろ姿はマスコットのようだ。苦笑を浮かべて同意してみせたところに、ジスパーが「お前なぁ」と突っ込む。
「そこじゃねえよ。いや、まあ、それもなかなか可愛かったけどよ」
 女性メンバーは皆無でこそないが、圧倒的男女比によりほぼ男所帯というのがこのチームの実情だ。そんな中で唯一の"少女"であるなまえは、単純に大体の人間から可愛がられていた。
「アイツ、絶対お前に気があるよな。さっきもお前と話せて凄く嬉しい!って感じだったし。いやぁ、妬けるなぁ、色男さんよぉ」
 このこのっと肘を寄せて来るジスパーに、ゲンスルーは顔を赤らめる事もなく呆れた奴だと笑ってみせた。
「おいおいジスパー。どこをどう見たらそうなるんだよ。まったく、鈍いにもほどがあるだろ」
「……へ?」
「オレはただの相談役だよ。あの子の本命は……まったく、いい加減に気が付いてやれよ」

 この流れでトンと肩を叩かれれば、意図は明白だ。ジスパーが何か言おうと口を開きかけるのをゲンスルーはさらりと制する。
「……おっと、口が滑ってしまった。まあ、じゃあ、オレもそろそろ行くよ」

 にやりと笑って見る間に遠くなる同僚の姿。
 その後ろ姿から視線を外し、顎に手を当てたジスパーはうーむと深く唸った。なまえは確かに可愛い。ちょろちょろしているが出しゃばる事は無いし、庇護欲をそそられる存在なのは間違いない。初対面のあの時に生じたこのぼろぼろの娘を守ってやりたいという感情は今だってあるし、そりゃあ"そういう"意味で好かれているというのは悪い気はしない。だが、しかし。悪い気がしないというのと、こちらが"そういう"意味で好意を返せるかというのは別問題だ。

「うーむ……やっぱ、惜しいなぁ。せめてもーちっと育ってくれてりゃ、喜んで口説くんだけどなぁ」

 せめて、アイアイの裏通りにある酒場のオネーチャンくらいに育っていれば、と盛大に溜め息を吐いたジスパーの声を聞く者はいない。



(2014.09.08)
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