■ 面倒で気紛れな彼女と溺愛されるカメレオン 1

「やあやあ、ご機嫌でなによりだよキャンディちゃん。今日もちゃんと飲んでるー?」

 勝手知ったる友の部屋。すっかり過ごし慣れた空間でだらだら酒を飲んでいたメレオロンは、甘ったるい声にぎくりと身体を強張らせた。
 恐る恐る振り返ると、すっかり出来上がった赤い顔のなまえがすっかり軽くなった一升瓶を片手に笑っている。
 なんてことだ。ついさっきまでナックルと肩を組んで変な歌を歌っていただろう。内心の焦りを隠しながらそっと目をやると、空き缶が詰まれた一角で大の字になっているリーゼントを見つけてしまった。
 ちなみにそれより前からパームとシュートは何やら小難しい話題で盛り上がっており、さらにイカルゴはゴンとキルアと共に早々にこの"ダメな大人の飲み会"から離脱していた。

 要は、浴びるように酒を飲んで盛り上がるのが好きなこいつは相手がいなくてつまらないってわけか。
 オレとしては、盛り上がって騒ぐターンはとっくに過ぎて今はゆっくり飲みてェんだけどなぁ……

 ふうと小さく吐かれた溜息に気が付く様子もなく、なまえは遠慮の欠片もない手付きでメレオロンの肩に手をかけた。そしてそのまま、座るメレオロンの背に伸し掛かると危なっかしい手付きで空のグラスに酒を注ぎ始める。

「ほらーもーやっぱり、煙草ばっかで全然飲んでないじゃなーい。そんなんじゃだめよー、せっかく制限がないんだからこういうときに飲まないと。こないだも飲み足りねえって言ってたじゃん。ほらほら、コレをぐいっといっちゃおー」
「おいおい、もう充分飲んだって……つーか、お前さんが飲み過ぎだろ」
「……やだ。そんな口調で『お前さん』じゃなくて、もっと親しげに呼んでくれなきゃ、やだー!」
「いや、だが実際よォ、オレたちそんな親しいってわけじゃねーだろ……」
「親しいもん! 親しくなりたいもん! なんでメレオロンってば、いつもいつもいつも私だけ邪険にするのー!?」

 ナックルやシュートといったハンター連中は以前からなまえと親交があったようだが、メレオロンは当然そうではない。
 一応、あの悪夢のような城での戦いが終わって迎えに来た船のことは覚えているが、大勢の内の一人などまるで記憶にない。同乗していたのだと言われてもそうですかとしか返せない。だから実際にシュートたちの病室になまえが現れた時も、メレオロン自身は彼女との"再会"を認識できなかった。
 それでも仲間の様子を窺えば確かに親しいようではあったし、物怖じしない彼女の性格とノリに気を許してすぐに冗談を言いあう程度の仲にはなったものの……なまえの態度がメレオロンにはどこか引っかかって仕方ない。
 彼女からしたら再会、自分からしたらほとんど初対面の際のあの不躾な視線がそもそも最悪だった。大きく見開いた目で、上から下まで何度も何度もじっくりと見つめられて、挙げ句の果てには表情を作り間違えたとしか思えない表情を向けられた。初めて見るキメラ=アントという異形に対するには随分と警戒心のない、心の底から弛緩しきったような顔を思い出すと今でも髭の付け根がむずむずしたり尻尾の付け根が落ち着かなくなる。他には、ああ、そうだ。馴れ馴れしい態度に困惑していたら、いきなり「かわいい」と言われたり。キャンディだとかドロップだとか妙な愛称で呼ばれたり、ことあるごとに抱きつかれたり。撫でられたり。もたれかかられたり。オレのことなんてなんにも知らないくせに、妙に気安い態度がいちいち気に障る。

 人間だった頃なら「この女オレに気があるんじゃねぇか?」と有頂天になったかもしれない。でも生憎今の自分は"蟻"だし。見た目なんてカメレオンだし。この状態でああいう態度とくれば、保護対象としてかペット扱いか──いずれにせよ数段劣った存在と見られていることは間違いないだろう。
 対等に扱えとキレることも簡単だったが、自分が彼女だと考えればまあ無理だろうとも分かるので結局なにも言わないままでここまで来てしまった。だから今夜も、たとえ談笑しつつもどこかなまえとは距離をとっていたのだが……これ以上ない程に面倒な酔っぱらいとなった今のなまえはそれが不満なのだと訴え始める。
 おまけにこの彼女が言うことはあくまで酔っぱらいによる酔っぱらいの為の理屈なので、絡まれた側のメレオロンとしては堪らない。ここは適当に返してなんとかご機嫌に去ってもらおうと慰めに徹することにした。

「すまねぇな。お前さんがそんなに気にしてるだなんて、思ってなくてだな。おっと、怒るなって。あーっと……じゃあ、なんて呼べばいいんだ?」
「ふーんだ。別に『お前さん』でもいいもん。要は、言い方っていうか、声の調子っていうか、そういうのがね!」
「どうどうどう、落ち着け、落ち着け。そうだな、オレが悪かった。これからは気をつけるから、そんでいいな?」
「じゃあ、約束ってことでもう一杯飲もうか。ほら、次を注ぐから。早くグラス空けて」

 酔っぱらいが指差したのは、先ほど溢れんばかりに注がれてそれっきりになっているグラスである。これを飲みきって、さらにもう一杯飲めと言われるのはそこまで弱くはないメレオロンとしても辛いことではなかろうか。酒が飲みたいとは確かに言ったが吐くまで飲みたいわけではない。
 期待に満ちた瞳を向けられて、とりあえず口を付けてみたものの勿論それほど減りはしない。はぁと息を吐いて改めてグラスを見つめたメレオロンを、じっと見つめるのはなまえ……だけではなかった。いつの間にか、後方のテーブルに座るシュートとパームも静かに二人に注目していた。さすがにメレオロンの様子が可哀想になったのだろう。見かねたシュートが止めようと立ち上がりかけた所でなまえが予想外の動きを見せた。

「もー仕方ないなぁ。じゃあこれは私が飲むから、メレオロンは次のお酒をよろしくねー」

 言うが早いかグラスを奪ったなまえは、そのままごくりごくりとあっという間に飲み干してしまう。見る間に空になったグラスに、新しく取り出した四合瓶からとくとくと酒を注いでメレオロンに返す。

「はい、カンパーイ」

 またも溢れそうになっているグラスに、手に持った四合瓶をちょんと合わせて乾杯を告げたなまえはなんとそのまま瓶を呷った。完全に頭がおかしい。

「……ぷはーっ! お酒は美味しいねー!」

 やがて瓶から口を離したなまえは、メレオロンにくたりと寄りかかったまま満足げに笑った。
 どん底を更新し続ける酔っ払いからの追及を誤摩化すためにグラスに口を付けて"飲んでいるふり"を続けるメレオロンがこくりと頷いて見せると、なまえの機嫌はますますおかしな具合に組み上がっていく。まるで猫のように身を擦りつけたかと思えば、ゆとりがある服に包まれた細腰を目掛けて抱きついてきたり。やりたい放題に甘えてくる酔っ払いはいつもより数段遠慮を知らない。

 過度の飲酒で荒くなった息のまま熱の増した身体を擦り寄せてくるなまえに対して率直な事を言うなら、さすがのメレオロンとしてもいささか辛いものがあったと言わざるを得ない。
 なにせ、見た目はカメレオンであれど、精神としては人間のそれに近いのだ。
 ついでに言えば、この身体の遺伝子は相手構わずメスと見れば交尾可能なキメラ=アントのオスである。
 どちらに振れても詰んでいる。だが、さすがに皆が居るここで突っ走ってしまえるほどには能天気ではなかったので、強靭な意思で気を落ち着けにかかった。だいたいなァ……と頭を冷やし考える。なまえのこの甘えっぷりは、人間に対してというよりも……愛玩動物に対してというよりも……

「お前さん、オレの事をぬいぐるみかなんかだと思ってねぇか?」

 返ってこない言葉の変わりに表情を確かめようと見下ろせば、いつの間にか目を閉じているなまえの顔が目に入った。どうせならもっと早くこうなって欲しかったぜ。

「……おいおい。今頃になって寝落ちかよ」



(2014.10.17)
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