■ 2

 八人の内、三人が帰り、五人になった。
 五人の内、二人が寝た。

 残った三人は、宴を終える事にした。


「というわけで、オレたちはこいつを部屋にぶち込んでくるから。お前はなまえをよろしく頼む」

 シュートの言葉にメレオロンは目を剥いた。

「おいおい、おかしいだろうが! なんでオレがこいつ担当なんだよ! だいたい、こういう時は泊めてやれよ女同士そういうもんじゃねーのかよ!?」
「あら。いやよ、ベッドが狭くなっちゃうじゃない。だいたいあなたならなまえを運ぶくらい余裕でしょうが」
「冗談じゃねェぜ? オレの姿で女背負って歩いてみろよ。ソッコー通報されるだろうがよ?」
「そこで活躍するのがその能力でしょ。どうせ帰る先も同じところなのに断る方がおかしいわよ」

 それなりに飲んでいたにもかかわらず普段通りなパームにこうも迷いなく言い切られてしまっては、善良な酔っ払いに勝ち目はない。わずかばかりの反論も虚しく、ぐーすかぴーと暢気な寝息を立てるなまえを背負うことが確定した。


  ***


 最低限の息継ぎで夜道を歩きながら、メレオロンは考えていた。
 "蟻"としての体力は華奢な人間を背負うことなどまったく苦にしないし、《神の不在証明》の発動自体も、まあそれほど大変でもない。おまけに、何度考えたって変わらない事実として……つまり自分は"蟻"だし、姿に至ってはカメレオンだ。こんな自分を男と思えと説く事に無理があるのも事実だろう。
 ただ、いくらそうは言ってもやはり自分の性別はオスだし、(いくらそういう対象に見ないようにと努めても)事実なまえはメスだ。
 普通の神経なら、まずこんな泥酔の、しかもそれほど親しくもない女を男が担いで帰るってことは下心ありと見なされても文句は言えないだろう。一緒に戦ったあいつらが、オレの事を信頼してくれるのは分かる。だが、こいつまでがオレを信用するのはどう考えてもおかしいだろう?

 だいたい、そもそも"蟻"とか"男"という次元ではなく、そこまで親しくない存在を相手にしてこうも無防備な姿をさらしていていいのだろうか。それとも……いざとなればどうとでも戦えるという、ハンターとしての驕りだろうか。しかし、それにしてはなまえはそこまで強くは見えない。

 そんなことを思いながら歩くうちに、目的の建物に辿り着いた。
 NGL帰還組は今も協会の監視下にある。それは、全快したゴンやシュートなどのハンターたちも例外ではない。一定の範囲でならある程度自由に過ごせるかわりに、調査への協力や行動の制限などいくつかの条件が付けられていた。その中に常に所在を明らかにしておくべしというものがあり、NGL出身の"蟻"ふたりにはこの宿泊施設が割り当てられた。ちなみに先ほどいた病院横の宿泊棟では要観察中のハンターふたりと扱いの微妙なパームが、キルアとゴンはそれぞれさらに遠い別の建物へと振り分けられている。
 ハンター協会の決定は監視と隔離の意図を隠さないものだったが、不満を唱える者はいなかった。当事者のひとりであるメレオロンとしても納得の処遇であったし、むしろ日中に研究施設まで出向く移動の手間を差し引いてもこうして心身を休められる個室を得られたのは僥倖だった。
 実際に、雨風を凌いで余りある部屋は本当に快適だった。こんなものをぽんと貸し与える協会ってやべえなとイカルゴと囁き合うくらいには、不相応なまでの高待遇だった。いくら功労者とはいえ"蟻"である。研究者たちの態度を思い返すだけでも、これほど人並みの、文字通りに人間並の自由を許される身ではないことは明らかである。
 いったい誰の采配か。
 少なくとも、モラウたちには感謝してもしきれないことだけは確実だ。

 だがしかし。今夜だけはこの厚遇にあえてケチをつけたくなる。
 ここに来たばかりの時、具体的に言えば談話スペースで談笑するハンターたちの中によりによってなまえの姿を見つけた時の衝撃は記憶に新しい。ハンターが集まるこの都市には専用の宿泊所など幾らでもある。だというのに、なまえはここにいた。以後、廊下でもロビーでもお構いなしに出会う都度じゃれついてくるなまえのせいで、スタッフたちばかりか滞在中のハンターからも自分たちの仲がいいと思われている。
 今だって認証の為に能力を解除してゲートをくぐると、こんなに怪しい状態だというのに極々普通に通され、ロビーの真ん中を進んでも警備員がすっ飛んでくることもなくエレベーターが開いた。そして極めつけのように、なまえの部屋のロックすらも眠る彼女の指紋で簡単に外れてしまう。

「まったく、どうなってんだよこの状態はよ?」

 扉の内側は、メレオロンの部屋とさほど変わらない。
 ふうと息を吐いて、メレオロンは背中を振り返る。すうすうと気持ちよく眠る女からは、相変わらず鼻が曲がりそうなくらいの酒の匂いしかしない。こうして部屋まで連れて帰って来てやっただけで充分だとは思うのだが……生憎、パームから念を押されていた。

「ああ、そうだ。なまえは、部屋に入れただけじゃ絶対にベッドまで行けないから。風邪をひいたって文句を言われたくないならきちんと寝かせてあげてね」

 思い出すだけで、頭が痛くなりそうだった。部屋の扉を開けたのはなんとでも説明をつけられるが、さすがに部屋に入って、しかもベッドまで行くのはまずいだろう。万一途中で起きられたら面倒だが、仮に起きなかったとしても結果は変わらない。
 外で飲んでいた記憶のまま、自室のベッドで目を覚ますのだ。普通の神経を持つ人間なら意識もないのに帰宅できた理由を誰かに尋ねるのは当たり前の行動だろう。

 さてどうしたものか。
 メレオロンは他人宅の玄関で途方に暮れた。


  ***


「おい。おい、なまえ。起きろって。なまえ!」

 結局、ここはさっさと当人に起きてもらって、自分でベッドに行ってもらおう。そう結論を出したメレオロンは、背負っていたなまえを降ろして声をかけることにした。

 何度か呼びかけると、ようやくなまえの瞼がゆっくりと動く。

「んー……なぁにぃ?」

「なあに?じゃねェぞ。ほら、お前さんの部屋だから、とっとと立ち上がってベッドに潜ってお休みだ。わかるよな?」
「んー……喉乾いたー……お水ちょーだい」
「っておいおい!! ……じゃあ、上がるぞ? いいんだな? 知らねェぞ? お前さんが言ったんだからな?」

 しつこい程の確認になまえがこくこくと頷いたのを確認して、そろりそろりと一歩を踏み出す。
 ああ、けど相手が酔っぱらいだもんなぁ。不法侵入って騒がれたら、完璧オレが悪くなるんだよなぁ。どんよりと重くなる気分を撥ね除けるつもりで冷蔵庫を開けると、幸いな事に水のボトルはすぐ見つかった。

「ほいよ。水」

 軽く捻って開けてから渡してやると、なまえは焦点の合わない瞳を細めてこくりこくりと喉を鳴らした。

「ふぃー生き返る、メレオロンもどうぞー」

 満面の笑みでぐいと勧められるのは、水の入ったボトルだ。そうだ。決して酒ではないのだ。つい数刻前までの状態を思い出しながら、引き攣った顔でメレオロンはそれを受け取り喉を潤した。こんなになりながら──明らかにまともな思考力も判断力も手放したなまえが、それでもメレオロンの名前だけは呼べるということがどういうことかわからないまま。



(2014.10.19)
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