■ 5

 訪ねていいのか、わるいのか。
 言わせていいのか、わるいのか。

 踏み込み過ぎだと思われないかどうかを気にしながら、極めて自然に、なりゆきを装って口を開く。
「つーか、こんな何日も……それもそんなにフラフラになるくらいって。お前、一体どこに行ってたんだ?」
「ああ、まあ、ハンター協会の本部。厳密に言えば、併設された別棟の奥にある部署が管轄している地下の辛気臭い一室で軟禁されてたわけだけど」
 メレオロンの慎重さをまるで気にしないかのようにあっさりと答えたなまえは、そのままピンクの野菜を口に放り込む。
「たまーにこういう呼び出しがあってさ。いつもは数日で終わるんだけど、今回はタイミングが悪かったみたいで。なんか連中いつもよりギラギラしてて元取ろうと必死だし、いやぁ、もう、私もまさかこんなに帰れないとはびっくりよ。本当に疲れたのなんのって」
「……『元を取る』?」
 彼女のそれは、返答というよりは独り言に近かった。要領を得ない答えにメレオロンが首を傾げると、ああごめんねと補足の言葉が続いた。
「ほら、私の能力ってまあ簡単に言うと……"写本"を収集・保管することじゃない? で、まあ、それなりに珍しいものもちょこちょこあるわけでさ。要は、その情報を教えろって言われるのよ。と言っても、いつもはそんな稀少価値の高い情報なんてないんだけど……」

 彼女は語る。そもそもは、世界中に散らばった"蟻"の数匹が、ある地域に流れ着いたことが問題だった。
 その地域には大きな寺院が存在しており、脈々と受け継がれてきた知識と歴史の数々が分厚い扉に守られていた。……つまり、その限りなく門外不出に近い状態にあった書物たちが、書庫ごとまるっと焼失したのだ。もちろん"蟻"に蹂躙された寺院は勿論のこと、付近の集落においても甚大な被害を受けたのだが、この場ではとにかく書庫が問題だった。
 この事態に一番慌てたのは、ハンター協会の書庫担当である部署、通称「資料室」だった。
 ただでさえ、天才肌というのは一般人から見れば奇人変人と変わらないところがある。加えて、ハンターの道を選ぶ者は当然ながらその傾向が強い。中でも、とびっきりの専門家集団である「資料室」は、人命より倫理より常識より優先するものを持っている、ある意味ではどうしようもない過激派の集まりと言えた。そしてそこに所属する、ありとあらゆる稀少本の情報を求める一班にとって、なまえという能力者は常々非常に都合が良い存在だった。

「本当なら、次に来いって言われたのは来年なんだけど。いやぁ、これで本当に全然"写して"なかったら無駄足で笑い話だったんだけど……ねえ。なんだかんだ飛行船の乗船記録とかまでしっかり調べてるんだから、いやらしいって言うか暇って言うか、まあとにかく言い逃れは出来ないわけよ。うん、そう。実際にちょっと前に、その寺院に行っちゃってたのよねー。しかも、頼み込んでちょこーっとだけ蔵書を見せてもらったりなんて……」

 おかげで、連中が求める一冊一冊しっかり調べられる羽目になっちゃって。冗談じゃないわよ。
 だいたい、外側も無いただの本文だけ書き出したところでどうしようってのかしら。誰に読ませるってわけでもないくせに。そもそも、あの書庫だって入れてもらえないわけじゃないのよ。私だって手順を踏んで礼さえ尽くせば見せてもらえたし。まして協会本部なら、ちゃんと計画立ててちゃんと人員を選べるんだからもっと簡単に協力を仰げたでしょうね。
 ……結局、ずっとそこに合った時は注目もしなくて、なくなってから慌てて必死なふりをする程度の執着ってことよ。

 つまらなそうに言い捨てるなまえが今回のことに乗り気でなかったことは明白で、メレオロンは意外だという感想を持った。
「お前こそ、あんだけ色々集めといて? コレクションを見せびらかす機会ってのは、楽しみの一つなんじゃないのか?」
 何度か入ったなまえの念空間には、今まで彼女が"写した"本がぎっちりと収められた本棚が立ち並んでいた。メレオロンには価値のわからないものばかりだったが、本好きには垂涎ものだろうことは容易に想像がつく。まして、今回のような事態なら。
 そんな風に思っての問いかけに、けれどもなまえはきょとんと見つめ返すという間の抜けた反応を見せた。
「いや、だって。私が私のために集めた結果があの空間なんだし。しかも現物は市場に戻してるんだから、今回みたいな事故でもないと絶対数に変化もないし」
 小首を傾げて彼女は続ける。
「欲しい人は自分で手に入れればいいし、読みたい人は自分で頑張ればいいことじゃない。そもそも稀少本って言っても、私が"写せた"ってことは星なしハンターでも接触できるってことだしね。単純に、ハントの参考に……ってことで本の知識を求めるなら別だけど、書物自体に触れたいからって私を当てにするのは根本からしてなんか違うでしょ?」

 迷いなく言い切られた言葉に、彼女のハンターとしてそしてコレクターとしてのスタンスをようやく、おぼろげながら理解することが出来たような気がした。ライセンス所持者は、その活動内容から結果的に社会貢献をしている者が多いと聞いた覚えがあったのだが、どうやら彼女の行動理念はそれらとは相容れないらしい。いや、むしろ、だからこそ。現物に執着しないからこそ、他者に見せるという意識がないからこそ、"写本"という能力になったのだろうか。
 現実には決して持ち出すことが出来ず、彼女の念空間にだけ存在する"写本"など、考えてみればなんと儚いものだろう。なるほどなあと頷きかけてふと止まる。なまえの念空間にだけ、存在することが出来る?
 それは、つまり……?
「つーかよ、なんつーか……それって、例えばお前の身に何かあったら全部消えちまうってことじゃねェのか?」
「そうよ」
「ちょ、おま、そんなあっさり……。なあ、正直なとこ、勿体ねェとかって思わねーのか?」
「え、なんで。だいたい、死んだ後のことまで考えたって仕方なくない? 私が私の好みに従って私の為だけに集めた情報を、私が全部抱えて逝く。それってとっても無駄がなくていいと思うけど」

「ああ。でも、何も残す気がないってのは違うからね。そういう冷血だって思われるのは嫌よ。もし誰かに何かを残すとしたら、もっと別のものを別の形で残すでしょうね、ってことだから」

 胸を張って自信満々に言われたところで、一体どう返せばいいと言うのか。死ぬときの話なんて縁起でもないと言いかけたものの、その話題を振ったのが自分だと気がついて慌てて引っ込める。ついでに言えば、一連のやりとりで一番よくわかったことが、つくづくこのなまえという女が自分勝手で厄介な女だということなのだから頭を抱えたい気分だ。

「……面倒くせェ奴だなぁ、お前。いや、前々から知ってたけどな?」
「え、ちょっと、何よいきなり失礼な!」
「つーかさすがに、全く自覚がねェとか言うなよ」
「うわー。なんかわかんないけど、ひどいと思うー」

 それはそうと、とメレオロンはそっと息を吐く。
 頬を膨らませてむくれてみせるなまえを、まさか可愛いと感じているなんて。そんなこと、絶対に知られるわけにはいかない。オレもどうしてこんな面倒な女がいいんだろうな、なんてこと思いながら、求めて止まなかった女の顔に静かに手を伸ばす。
 途端に驚いたように目を見開いて黙ってしまった彼女の頬をそっと撫で上げ……小さな額まで指を滑らしたところで、パチンと弾いた。それも、そこそこの力を込めて。ぎゃんという色気も何もない悲鳴と共に叫ばれるのは理不尽な行為への非難だったが、そんなものはさらりと流してしまおう。
 ここ暫くオレがどんな気持ちで居たかわかるかとか、散々オレの心を掻き回しやがってだとか、そんなことは言えるわけがないが何もしないのも癪だ。
「しゃーねーな。これでチャラにしといてやるぜ?」


 飲み込むしかない言葉たちと、これから訪れるだろう面倒にまみれた日々の対価としては、デコピンは随分と寛大な処置だろう?



(2014.12.16)(タイトル:銀河の河床とプリオシンの牛骨)
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