| ■ 2 メレオロンは思う。 自分に向けられるなまえのソレは決して、"無償の愛"などと言われるお綺麗で崇高な代物ではない。 知識を与え、学ぶ場を与え、そしてこの社会で生きる術を与えようとする彼女は、いつだって明確に望んでみせた。メレオロンが知識を得ることを、積極的に学ぶことを、この社会に居場所を得ることを、生を喜ぶことを、そして……彼女を許容することを。 そこまで用意した上で、有能な従僕でも便利に使える兵士でも、首輪付きの愛玩動物でもなく、対等な恋人になれと口説くのだ。本当に、理解し難い発想だ。 これだけの手間をかけるのならいっそ、見下した目で、売った恩を笠に着て「さあ役に立て」「返せ」と偉そうに迫られる方がまだ納得できただろう。 ただただ、物珍しさが伴う恋情だとしたなら。いっそ、雁字搦めにして彼女しか見れないようにすればいい。きっとそれは、不安定な立場である"蟻"相手なら随分と容易いことだろう。 けれど彼女はいつだって、屈託無く好意を向けてきては、真正面から直球の愛を叫ぶのだった。 けれど彼女はいつだって、メレオロンからの好意の質や度合いを問うことはしなかった。 例えば、こちらの感情などまったく気にしないような勢いで抱きついてくるくせに、抱きしめ返されることは想定していないところ。倒れこんでくる身体をべろりと引き剥がしたところでへこみもしない彼女は、剥がさずに放置してみるとそれだけで上機嫌だった。 緑の両手はだらりと垂れているのに。彼女の背には回っていないのに。にも拘わらずまるで、これが望んだ最上の形だとでも言うように顔をほころばせた。 例えば、生活パターンに沿い、もっぱら夕食という形式を取ることが多かった度重なる「デート」の誘い。 半端に断ったところで無理やり同行させるくせに、本当に先約があったり気が乗らないどころではない勢いで断れば、意外にも物分かりよくあっさりと引いた。 どこに行きたい?と尋ねられることはあっても、基本的にいつだって彼女は何パターンかの選択肢を用意していた。エスコートもサプライズも、望む素振りすら見せずに。 例えば、引き摺られるように渋々出かけた先々などで、並んで歩いた時に触れてくる手の動き。 人目も気にせずスキンシップを試みてくる彼女が狙うのは、いつだって腕だった。呆れるほど無遠慮に絡み付いて来るくせに、手の平には決して触れてようとしない。 ある時、すれ違った恋人たちを見て、ようやく腕である理由に気が付いた。なるほど……相手からも握り返されないと、手は繋げないのだ。 一見すると、鬱陶しいほどの強引さで、信じられないほどに厚かましく、自由気ままに、能天気に、不遜に、勝手に振舞っているくせに。一度気がついてしまえば不思議なもので、まるで報われることや思いを返されることを諦めているような不器用さが次々に思い出された。 本当に次々。 心当たりがありすぎて、思わず頭を抱えるほどに。 ああ、なんて損な性分なんだお前は。せめて普段がアレでなければ、もっと早く気が付いただろう。そうすれば幾ら自分だって、拒絶にしても躱すにしてももう少し加減しただろう。それどころか、多少は優しくできたかもしれないのに。 もっとも、そんな過去のことを今更どうこう言うつもりは毛頭ない。そう、過去だ。今の自分にとっては、これらの行動はもう愛おしさを生じさせる甘い記憶でしかない。 柔らかな身体を前に"抱きしめない"などという選択肢は存在しないし、それどころか"触れられるのを待っているばかりなのは性分でない"とはっきり言える。 今でも思い出す。初めてこちらから部屋を訪ねた時の、取り乱しようと言ったらなかった。初めて頬に手を伸ばした時は、見事なまでに固まっていた。初めて強く抱きしめ返した時は、肩をびくりと大きく跳ねさせて、すりすりと動いていた頭の動きも止まり、ついでに呼吸の仕方までも忘れたようだった。 受け手に回れば途端に脆くなる彼女が"両想い"という状況に不慣れなのは明らかで、意外な反応に忘れかけていた"男"としての優越感が擽られた。正直、かなり強く。 自分の行動によって、彼女が与えられるということに慣れていきその身体から徐々に強張りが取れていくのを間近で感じながら、嬉しくて仕方がなかった。諦観の滲む抱擁なんて寂しいことはもう二度とさせないと決めた。 そんな自分は傍目にも明らかだったようで、ナックルたちにも会う度に随分ひやかされたり呆れられたりしたものだが……なんにせよ、あいつが可愛いのがいけない。 最早、惚れた弱みでも庇えない程度には色々と手遅れにできあがっている彼女が、それでも少しでも生きやすくなるように、できることをなんでもしてやりたいとすら思う。 そして幸か不幸か、それともそんなところも残念な一因か、なまえという女の優先順位は随分とわかりやすい。ついでに言えば欠点もひどくわかりやすい。 彼女にとっての重要項目は上位数個が突出しているので、概ねそれ以外はおざなりなのだ。そしてその最たるものが、紙を愛するあまりに代償にしてしまった瞳の機能である。 いざ彼女に何かしてやりたいと思ってみれば、その機会も手段も意外なまでに日常にあふれていた。つーか、お前これでよくやってこれたなと呆れてしまうほどに。 うっかりすれば野たれ死ぬだろう生活力のなさで生きていられるのは、言ってしまえば経済力と要領のよさがあればこそで、その経済力を支えるのはつまりハンターとしての腕である。けれどそのハンターとしての能力の高さが前提とするものは、彼女の度を超えた熱意であり執着であり……それらがあるが故に、彼女の生活能力は無残だと言える。 衣食住、既に充分サービスを使いこなしている彼女のことだから、今更メレオロンにどうこうしてもらおうなどという打算はなかっただろう。しかし彼女のお膳立てで生きる術を磨くことと、彼女のために行動することは、考えようによっては同じ方向を向いていると思えた。 誰に強要されたわけでもない。具体的に求められたわけでもない。ただ、自分が。この身で、彼女にできることをしてやりたいのだ。 "女王"に対しても希薄な情しか持ち得なかったあの日々を思えば、今の思考の方がずっと尽くしたがりの一生を送る"蟻"の様だとは自覚している。しかしそもそも、自分の知る"女王"ならば、"働き蟻"や"兵隊蟻"など決して愛しはしないのだ。仮にどれだけ尽くしても、有象無象の一つでしかないだろう。だからやはり、なまえでなければこうはならない。 実のところ、この思いが果たして正しいのかどうかはわからない。個性と言って済まされる愛情や執着の範囲にあるのかもわからない。 しかし相手がなまえなら、それでもいいかと思うのだ。少なくとも、これは彼女が相手だからこそ生まれた関係であり、彼女が相手だからこそ意味がある感情だ。 前例のない関係に伴うのが前例のない感情なら、そこに無理に答えを当て嵌める必要はないだろう? (2015.02.06) (タイトル:プルチネッラ) [ 戻 / 一覧 / 次 ] top / 分岐 / 拍手 |