■ 試作品

「つーかよぉ。お前こんな入り浸ってて暇なのか? 仕事の方はどうしてんだ?」
「えーそんなこと聞いちゃうの? やだなぁ、ちゃんとしてるってばー」

 心配ご無用と笑ってみせたなまえは、相変わらず我が物顔でソファを占領している。
 討伐隊に属した者たちのための部屋だというのに、たった一人紛れ込んだ彼女が一番寛いでいるのはどういうことか。
 いや、それ以前に、彼女がここに居る事自体がそもそもおかしいのだとナックルは思い直す。
 ナックルたちのように体調管理や、パームやメレオロンのように"蟻"として検査と称した実験目的に呼びつけられたりしているわけでもないのに。
 最初は、本当にただ自分たちを見舞ってくれているのかと思ったのだが、重傷だったシュートが退院してからも変わらない頻度に別の目的があると気が付いた。次に、どうやらなまえがメレオロンにご執心らしいと分かったため、てっきり恋(?)に猪突猛進した結果なのかと思っていたのだが……。

「おい。マジで、お前は今何をやってるんだ?」
「えーやだなぁ。どうしたのよそんなに突っかかるなんて」
「そうだぞ。別になまえが気紛れなのはいつものことだろう」
「……って、ちょっとシュート。その言い方はどうかと思うけど?」
「おい、なまえ。オレは、真面目に聞いてんだが」

 シュートとじゃれあいに発展しそうだったなまえを、ナックルは強い語調で押しとどめる。そんなナックルに興をそがれたなまえは、露骨に不機嫌そうな顔を向けた。

「だーかーらー、ちゃんとお仕事してるって言ってるでしょ。私だって暇じゃないの」
 険を宿した瞳で向かい合う二人に挟まれたシュートだけが、おろおろと視線を彷徨わせる。
「まあまあ、もうちょっとであいつらが帰ってくるわけだし……」
 パームたち"蟻"の検査が終わるのは、もうそろそろの筈だ。なにも、こんな時に喧嘩をしなくてもいいだろう。
「いや、シュートは黙っててくれ。オレはこいつに確かめなくちゃいけねぇんだ 」
 一瞥もせずにシュートの言葉を遮ったナックルは、湧き上がる怒りを秘める気もないまま、一歩二歩とソファに向かって進む。
「……おいなまえ。お前、いったい……あいつらをどうするつもりだ?」

 なまえ相手に冷静に怒るという、珍しいナックルの姿に呆気にとられていたシュートは、しかし復活する前に次の衝撃に襲われる。あいつらってのは、誰の事だ? それは問うまでもなく明らかだ。この場には居ない仲間で、自分たちとは決定的に違う生物……キメラアント。

「おーナックルってば本気なわけね。アンタって本当に、馬鹿そうなのに意外と頭の回転は早いし鋭いしさすがよねー。正直なところ、まさかアンタにこんな風に疑われるなんて思ってもみなかったわー……なんていうのは嘘だけど」

 飄々と笑うなまえの態度は、向けられた疑いを一切否定していない……としかシュートには思えなかった。

「おかしいと思ったんだ。『歩く本棚(bookshelf)』のお前が、会長選の議事録も取らずにいるなんざぁ、普通じゃ考えらんねぇ」
「うーん、それはちょっと失礼な言い方よー? 生憎、あの辺のごたごたは最初から興味の範疇外だしー」

 怒気溢れるナックルを迎え撃つように、挑発的な口調で話すなまえは相変わらずソファに踏ん反り返ったままである。その余裕溢れる態度が狙ったものであると分かりながらも、ナックルの感情は乱される。

「……もう一度聞く。お前、あいつらを……メレオロンたちを、どうするつもりだ」
「あーもー嫌よねー。数年来の友人を疑うくらい、あの"蟻"たちがお気に入りなんてー」


「ねえ、シュートも酷いと思わない?」
「へぇ!?」

 すっかり二人の世界だと思っていたところで、突然自分に振られてシュートはびくりと肩を震わせる。

「ナックルったらね、私が何かしらの企みを持って"蟻"の彼らに接しているだろうって言ってるのよ。酷いよねぇ。確かに監視もしてるし、色々検査もさせてるけど、でもだからって私が悪いみたいな言い方しなくてもねー?」
「……してたのか」
「してたのよ。実は」

 一体何が面白いのかケラケラと声を上げたなまえは、そのまま弾むようにソファから立ち上る。構えたナックルの横をすんなりと抜けると、その先にある扉へ手をかけた。

「まあ、私も数年来の友人をたばかろうかって程に夢中だから、人の事は言えないけど。ねー、メレオロン!」

 そう言ってなまえが開いた扉のすぐ向こうにはパームとイカルゴ、そしてメレオロンが立っていた。

「まったく。頭は回るけど、詰めが甘いってのは昔から変わらないわねー。せっかくだけど、何がしたいかがバレバレよーん」

 残念でした、とナックルに向けて小首を傾げて小憎らしく舌を見せたなまえは、そのままくるりと回ってメレオロンに抱きつく。突然のアタックにあたふたするメレオロンは別として、残る二人の表情が普段通りのものである事に気が付いたナックルは慌てて構えを解いた。直前のなまえの言動に、自分の想像と異なっている彼らの反応。そこから導き出される答えは、ナックルに否が応でも真実を伝えてしまう。

「……お前、まさかオレを騙したのか!?」
「えー酷いなぁ。別に騙してないよー。むしろ、私の行動を知ったナックルが最初に『騙されている』って思ったんでしょ? 私はちょっと誤解されやすい振る舞いをしただけで、それを疑ったのも決めつけたのも、全部ナックルが自分で選んだ行動だし」
「なんでそんなことを……」

 全貌が見え始めたシュートが呆れたように紡いだ言葉に、なまえは世間話でもするようにぱたぱたと手を振る。

「慎重で心配性の、肝っ玉の小さな方々が居てねぇ。身内が用意してきたデータじゃ信用出来ないとか言いやがるのよねー。『正面から頼み込んで測らせてもらいました』って言うより、『騙して測ってきました』って言って差し出すデータの方が信じられるらしくてさ」

 まあわからなくもないけど、でもだからって他の人には任せられないし? だったら私が裏切り者ですよーってアピールするしかないじゃない。そう話すなまえに詫びる様子は微塵もない。一方、哀れなナックルたちは呆気にとられる事しか出来ない。

「いやぁ、でもアレだわ。ちょっと期待はしてたけど、まさかアンタがここまでばっちり引っかかってくれるなんて! こないだからの疑惑の視線よかったわよー。私に付いていた監視も、アレが駄目押しになって随分楽に片が付いたしねー」

 どうあってもメレオロンから身体を離す気がないらしいなまえは、憤るナックルや呆れるシュートを無視してひたすらにいちゃつき始める。メレオロンの方も、膝の上に乗り首に腕を回すなまえほど積極的にはいかない代わりに避ける事もしないので結果的には見事なバカップルの独壇場である。
 どうやら扉越しに全てを聞いていたらしいパームとイカルゴが、二人して気の毒な者を見る目を向けてくることがナックルにとって慰みになるのかは難しい所だ。悔し紛れに「こんなところでそんな重要な話をして大丈夫なのかよ」と言ってみたものの返って来たのは余裕の微笑みだった。

「それが、大丈夫なんだよなーっと。まあ、その辺は抜かり無くだからねぇ。言ったでしょう、片が付いたって」

「ってことで、あと数日程度付き合ってくれたら、検査漬け生活は一応終了かな」
 だから、どうかナックルも協力よろしくねとにっこり微笑まれて、最後の矜持のつもりでナックルは凄んだ。
「ハァ? そこまで言われて、ほいほいとお前の言う通りに行動してやると思うのか?」
 本来ならば傷が治った時点で自由になれていた筈なのに、とナックルがまくしたてる。こいつらやオレが、こうして毎日毎日データを求めて検査漬けにされたのは全部お前のせいじゃねぇのか。けれども、なまえはその言葉には怯まなかった。それどころか溜息すら零しながら口を開く。

「私が担当じゃなかったら、規格外の生物である"蟻"なこの人たちが、どんな非人道的扱いを受けるかわかって言ってるわけ? まあ、キメラも結構な数が捕獲されてるし? おまけにほぼ一代限りの体質の集まりだから連中も今更そこまで熱心には調べないだろうけど。でもね、そういうことも関係なく、個体の限界値を割り出そうと必死になる研究者気質ってのも結構居るんだからね」

 ねー、パームさん。そう言って見上げてくるなまえにパームもそうねと頷き返す。パームとて少し前までは、こうして調べられる対象ではなく調べる側だったのだ。"研究材料"や"実験動物"の扱いを想像する事など容易い。
 それでも、パーム自身はこうして"蟻"となってもハンター"パーム"という個を維持していられるから受ける扱いもマシだろう。だが、他の二人はとてもそうはいかない筈だ。大多数の人間にとって彼らはただの危険な"蟻"であるし、権利を守る法も定まっていない。国すら無くした彼らにとって、今の環境で頼れるものといえば一部のハンターたちくらいなものだが……そのハンターたちですら混乱の最中にあった。
 決して、なまえのとった手段が"最善"と言い切る事は出来ないのだけれど……とパームは声には出すことなく思う。

 そんな視線に耐えかねるように、ナックルはくそうと声を上げた。
 ナックルやシュートもそれなりの場数を踏んだハンターである。なまえの理屈も、考えも、理解出来ないわけではない。むしろ、今生きている存在自体ではなくその存在が辿って来た経過と結果を重んじる傾向の強い彼女にしては良くやった方だとも思うのだ。
 記録を残す事と、残された記録を集める事を生業にするなまえである。てっきり、生命そのものよりもデータの充実を優先すると思っていたのに。

 ああもう、だからって。なんで何でもかんでも一人でやっちまいやがるんだ。オレらが何者かお前だって知ってるだろうが!

「チッ。言っとくがな、生態調査と保護に関しちゃ『歩く本棚』のお前より『ビーストハンター』と『UMAハンター』のオレらの方が専門なんだぞ!」


 見開いた目をぱちりと瞬いて「あ、確かに」と呟いたなまえに、とりあえずチョップの一つも落さないことには気が済まない。褒めてやるのも謝るのも謝らせるのも、まずはそれからだ。

 傍観を貫こうとするシュートに誘いの声をかけたナックルは、危ない笑みを浮かべながらゆっくりとなまえに向かって歩き出した。



(2014.10.30)(はじめはこんなイメージだったんです)
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