■ さて、君の世界を終わらせる話をしよう

「おや『書類整理庫(レターケース)』じゃないか、珍しい。君の事だから、てっきり選挙が終わり次第引っ込むものと思っていたが」
「いやぁ、さすがだよ『歩く本棚(ブックシェルフ)』。レイニー氏の件は本当に助かった。お礼と言っては何だけど、また面白いネタが入ったら連絡するよ」

 道を歩けばハンターに当たる。
 ハンター協会のお膝元となっているこの町では、知り合いにばったり会うことはそう珍しい事でもない。
 おまけに、先日の選挙のおかげでいつも以上にハンターが揃っているのだから、その確率は通常時の比ではない。


  ***


 歩けば歩くほど、結構な頻度でかけられる声。そのひとつひとつにそれなりに愛想良く応えていたなまえは、部屋に戻るなりああ疲れたと倒れ込んだ。

「あーもう最低。全然ゆっくり出来なかった。しかも、なんで消えちゃうのかなー? 酷いと思うのー!」
「そりゃあ、まぁなんつーか、仕方ねェだろ」

 宙へと向けられたなまえの声には、しかしどこからともなく返答があった。何も無い空間から声だけが降ってきたのだ。声に続くように、なまえの目の前の空間が揺らぎ始める。

 透明な膜が一枚あるかのようにぼやけ始めた空間は、徐々に一部に色が付き始め、浮き上がり……数秒後には一匹の緑色の生物の形をとった。なまえはと言えば、突如現れたその異形に恐れる様子も見せず、むしろ嬉しそうに目を細める。そして……次の瞬間、勢いを付けてその異形の胸へと飛び込んだ。


「さすがに、"蟻"……じゃなかったな。えーと、ほら、こんな町中でオレみたいな"魔獣"を連れてたら、目立って仕方ねェだろうが?」
「そりゃそうだけど、でもせっかくのデートなのにさぁ。メレオロンは私が見えるのに、私はメレオロンが見えないって凄く不公平だと思うのー」
「……いや、それはまあ、そういう能力なわけだしな?」

 メレオロンにとって、なまえのこういった物言いは好ましいものだった。
 不平不満やひっかかりなどは(それがどんな些細な事であれ)重苦しく胸に秘められるよりは、こうして面と向かって言われた方がわかりやすくてずっといい。
 なまえが望みや感情を口に出してくれるおかげで、メレオロンは気付く事が出来るし、繰り返さないように行動の指針とする事も出来る。
 ただ、それでも……いくら望まれても、今回のように意に沿えないこともやはりあるのだ。
 ……けれども、たとえ人目をはばかる理由があるとはいえ、結果としてなまえを悲しませた事に変わりはない。弱ったメレオロンが焦りと憤りを胸に謝罪の言葉を紡ぐ前に、なまえはむくりと身を起こした。

「あーあ。どうせだったら、美味しいテイクアウトでも頼めば良かったねー」

 なんで帰ってきてから気づくのかなぁと頭を抱える姿には、メレオロンが恐れていたような感情は見つからない。姿を消したことなど、まるでもうどうでもいいかのように、なまえの話題は町のバーガーショップに移っていた。けれど、その話題にメレオロンが追いついて相槌を打つ前に、話はまたぐるりと一回りする。

「まあいいか。どうせもうちょっとしたら、更にハンターも減るだろうし」

 そうしたら今度こそ手を繋いでお喋りしながら歩こうねと笑うなまえが、メレオロンの思考に一体どこまで気が付いているのか。

 考えても考えても、メレオロンにはどうしてもそれがわからない。



 "蟻"と"人間"。"メレオロン"と"なまえ"。
 見た目でも明らかな違いは、くっきりと両者の生きる場所を分ける。
 そう……分けるはずなのに、その境を軽々と飛び越えてなまえはメレオロンに愛を囁いた。
 そしてメレオロンは、選びやすいように限りなく狭められ、ほぼ分岐など存在しないような選択肢に沿って、ただ頷けばよかった。そんな歪な始まりを自覚しているからこそ、次第にメレオロンの胸を一つの不安が占めるようになっていた。
 それは、なまえが笑えば笑うほど。なまえに触れれば触れるほど。なまえに心を動かされるたびに、じんわりとメレオロンを締め上げる。

 気紛れな愛は、訪れた時のようにいつ気紛れに去ってしまってもおかしくはない。

 知ってしまった"仲間"という関係。
 知ってしまった"恋人"という存在。
 知ってしまった"愛"の味。

 けれど、"蟻"の自分がそれらに出会えたこと自体が、すでに充分奇跡のようなものなのだと、メレオロンにもわかっている。まして、こんな化け物になった自分をそういう意味で"愛する"人間などどれほど奇特な存在だろうか。

 なまえを失った時の事を思うと、メレオロンは怖くて堪らない。
 しかし同時に、ぬるま湯のような今の生活がいつまでも続かない事も痛いほど理解しているつもりだった。



「……つーか、いつまでこんなふうに過ごすつもりなんだ?」
 すべては言えない思いを可能な範囲まで振り絞ってメレオロンが尋ねた言葉に、立ち上がったなまえはそうねぇと窓の外を見ながら応えた。
「まあ、長くて再来週までってところかなぁ。さすがに、ずっとここに居たら勘が鈍っちゃいそうだし」
 覚悟はしているつもりだったものの、それでも予想よりも随分と早い別れを提示されメレオロンは密かに狼狽する。
「へ、へえ。……まあ、なまえもハンターだもんな。そりゃ忙しいか」
 その反応になまえは数秒動きを止め、かと思えば悲鳴に近い声を上げた。
「やだ、ごめん。こういうのって、メレオロンにも言わなきゃいけないよね。うわー本当にごめん。なんていうか、こう、自分の予定を教えたり相談する習慣ってのがあんまり無くて……」
 ぱたぱたと手を振って釈明しようとする姿は、見れば見るほど逆の効果しか生みそうにない。つまり、自分がどんどん惨めに思えてくる。
「あー……いや、別にいいさ。オレが知る必要がないってーのは、まあその通りなわけだしな?」
 引導は自分でさっさと渡すに限る。これ以上深手を負わないうちに話を切り上げることにしたメレオロンだったが、なまえはそれを許さなかった。
「いやいや、そういうわけにはいかないって。ごめん、ちゃんと出発の日を決めよう」
 メレオロンだって、最後にしておきたい事とかも色々あるでしょ。話しながらなまえの指は棚の上を彷徨い、やがて一通の封筒を探し出すとはいと寄越す。

「ここから列車でちょっと北に行った町でもうすぐお祭りがあってさ」
「……そうか」
「え、やだ。テンション低いな……って、ああ、そっか詳細を知らないもんね。なら当然か。でも、大丈夫! 資料もたくさんあるし、私だって解説できるし。きっと、着く頃には楽しみになってるよー」

「お祭り自体はずっと続いてたんだけど、今回はちょっと趣向が違うんだよ。せっかくだから廃れてた儀式も復活させよう、ってことで随分大掛かりなことになってさあ。私も文献の解読協力とか類似の事例を掘ったりとかちょっとやったんだよね。さーあ、どんなふうに仕上がってるのか楽しみ」

 珍しくまっとうに社会貢献を行なっていたらしい。もっとそういう活躍を増やせばハンターとしての名声も高まり星に手が届くのではないか、と私利私欲に正直ななまえを諭すにはまたとない好機だったが、あいにくメレオロンはそれどころではなかった。
 何故ならば……その言葉以上に、彼女の発言に垣間見えた前提こそが、彼にとっては衝撃的な内容であり重要な事実だったからである。

 瞳をキラキラと輝かせて、旅の道中と祭りについてあれこれ話すなまえは心底楽しそうだ。
 その理由の一端に、自分が含まれているのだと自惚れてもいいのだろうか。メレオロンの胸に、熱が広がっていく。


 ……いいんだな?
 オレも、一緒に行っていいんだな?


 恐れは、決して消えたわけではない。
 それでも確かに幾分かは軽くなった心の向くまま、メレオロンはなまえに手を伸ばした。



(2014.10.30)(タイトル:ロストブルー)
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