■ 4

「ひとじゃないのに、ひとがだいじなの?」

 もしもこの言葉が揶揄してのものであったなら、その喧嘩を喜んで買っていただろう。
 けれど今この場でそれを訪ねた子どもは、真実ただの疑問として口に出したのだ。それが理解できるから腹は立たなかったし、むしろそんなことを他意なく口にしてしまうことが幼さなさかと納得すらしてしまう。

「ヒトじゃねェのがヒトと仲良しだったら、おかしいと思うか?」

 問いで返すことに不満を言われるかと思ったが、幼女はそのまま素直に受け止めた。うーんと小首を傾げた子どもはやがて首を振る。

「ううん。レナちゃんもね、お友だちにお魚さんがいるんだって」
「レナちゃん?」
「レナちゃんはね、おっきくて強いの。あ、これも言っちゃだめなのかも。うー……今のやめていい?」

 "お魚が友達のレナちゃん"なんて情報以下の情報から辿れる過去があるだろうか。そう思ったものの、目を潤ませ始めている子どもをこれ以上悩ませる訳にもいかず、わかったぜ大丈夫だと言ってやる。
 宥めるついでにくしゃりと頭を撫でたのは完璧にただのノリであり癖であり、つまりいつも当たり前のようになまえにしていることを無意識にしてしまっただけに過ぎなかった。だから小さな肩がびくりと跳ねたことで、ようやく自分のやらかしたのかを自覚した。一筋の冷たい汗が背中を滑っていく。

 ──ヤベェ。叫ぶか? 泣き出すか?

 この子どもにとって自分は"トカゲさん"であり、"トカゲ"さんでしかない。
 居合わせた子どもに泣かれたことは両手の指を優に超えるし、まして女児相手ともなれば尚更、好意的な感想を求めることなど困難極まりないことだと承知していた。人間と異なる質感の肌に嬉しそうに触れてくれるのも、伸ばした手を蕩けそうな顔で受け入れてくれるのも──ただひとりしか知らない。だからこそ、いつもならばこんなヘマはしないはず、なのだが。

  けれども、覚悟していた悲鳴はいつまで経っても聞こえてこない。反射的に瞑っていた瞼を恐る恐る開けば、そこにいたのは見るからに機嫌のよさそうな子どもだった。

「……何かいいことあったか?」
「トカゲさん、せんせいみたい。いつもね、これやったらね、えらかったねって」

 あ、でも、トカゲさんはえらくなくてもなでてくれたから、すごくうれしい!
 褒められると宥められるの違いを理解しないまま無邪気に喜ぶ幼女に、メレオロンの胸が軋んだ。これくらいでこんなにも喜ぶのなら、幾らでも撫でてやろうというものだ。子ども特有のさらさらした髪に指を通しながら考える。薄々どころではなくそんな気は充分していたが、年に似合わない諦めのよさといい、役目の後に撫でられるだけでそんなふうに笑うことといい、便利に使われている感が半端ない。

「その"分銅"って役目、嫌じゃねェのか?」

 どこの時代のどこの場所に行くかもわからぬまま、たったひとりで飛ばされて。自力で帰ることもできず、ただ戻されるのを待つだけで。何も見るな何も語るなと言い含められ、忘れることを望まれて。そんなのは、年端もいかない身には酷過ぎやしないだろうか。

「えっとね。はじめはね、ちょっとこわかったけど、でもどこに行ってもおなじだもん。じっとしてたらすぐにおわるよ。あ、そうだ、たぶんトカゲさんがはじめてだよ」
「今まで、誰にも会わなかったってことか?」
「かな。ひとりでいるひとしかよべないって言ってたし」

 ランダムなようで、最低限の法則はあるのか。いや、法則ではなく制限なのだろうか。そもそも、これは能力なのか現象なのか。考えを巡らせようにも、肝心の少女の知識が乏しいため困難極まりない。
「それにね、大きくなるまでだから。もうすぐまでってわかってると、がまんできるよ」

 無自覚の内に我慢という言葉を選択した幼女に、メレオロンの奥歯がぎりりと擦れ合う。けれど、何を思ったところでメレオロンにはどうしようもできないのだ。この子はいつかわからない昔に生きていた存在で、もうじき本来の時間に帰るのだから。たとえ今この世界でこの子どもの成れの果て探したところで、この不憫な子どもそのものはどこにもいない。そもそも、分銅が戻るということはなまえが戻って来るということなのだから歓迎すべきことだ。帰るしかない幼女を憐れむなんて、それこそおかしな話ではないか。



(2016.01.06)(タイトル:亡霊)
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