■ 6(完)

「あ、そろそろだ」
「わかるのか?」

 改めて目を凝らせば、子どもを取り巻く微量なオーラの流れに僅かな変化が見て取れた。
 ゆっくりと渦の形を取り始めたオーラはやがてただの子どもが無意識に垂れ流すには無理のある重圧を放ち始め、それに伴い別の誰かの、いや、"なにか"の気配が漂いはじめる。それはまるで好きも嫌いも存在しない、現象という他ないただただ圧倒的な力の塊のようにメレオロンには感じられた。
「あのね」
 皮膚にびりびりと突き刺さる圧迫感などまるで感じていないように、控えめに伸びて来た小さな手が呆然としていたメレオロンの裾をちょんと引く。
「わたし、がんばっておぼえてるから」
「あー……おう。そっか」
 軽口のひとつふたつ叩いて楽にしてやりたかったのに、あまりにも真剣な瞳を前になにも言えなかった。無理するなとも、まして頑張れとも言えるわけがない。けれど、歯痒さを滲ませるメレオロンの様子にめげる素振りも見せず子どもは──幼い女は声を張り上げた。今日一番の勢いだった。

「だからね、あのね、いつか、どこかで会えたら、わたしのこと見つけてね! きっと、ぜったい!」
「へ、オレか!? キャンディじゃなくて!?」
「わたしがんばるから、がんばるから……でも……ううん。だから、あのね、トカゲさんもおぼえてて!」

 それだけ言って手を離し、そのまま真下を向いてしまう。どんな顔をしているのかはもう見えない。小さな身体を取り巻くオーラもますます濃く深くなり、メレオロンの視界を妨げる。正直なところ、目を白黒させるばかりでこの展開についていけてはいない。
 けれども、こちらの返事を聞く余裕がまるでない前のめりな口調に、ふと、ここには居ない顔が重なった。
 友人どころか知り合い未満の段階で一方的かつ盛大な空回り決めながら、ゆっくりと距離を詰め合う過程も惜しいとばかりに押せ押せモードで突っ込んできた強引で面倒で勝手な女。好奇心と知識欲の塊のような彼女と物わかりの良過ぎる薄幸そうな子どもでは似ても似つかないと思っていたが、どうせすべて忘れてしまうのだからと諦めに慣れた微笑みを止めた時のあの顔は、キラキラと瞳を輝かせたあの顔は、いや、そもそも最初からだってその目も髪色も、まるで……。

 ああそうか。

 メレオロンの口元に不器用な笑みが浮かぶ。
「ばーか。オレみてェな目印のカタマリ、そうそういねェだろうが。だからよ、お前の方から見つけてくれよ」
 うつむいていた顔がこちらを向いた。もうよく見えないが、きっとあの大きな目をこれ以上なく見開いているのだろう。
「それからな、”トカゲさん”じゃなくてな、オレの名前は──」


 子ども特有の甲高い笑い声と共に小さな身体が渦の向こうに消える瞬間、残像のように代わりのシルエットが現れる。腕一本分の距離を慌てて詰めれば、瞬きの間に顕現した彼女が嬉しそうに──けれどどこかほんの少し困ったように──口元を動かした。


「あは、ただいまハニー」



  ***



「あーん、やっぱりこの甘酸っぱさが堪らなーい!」

 お気に入りのキャンディを含みながら、なまえが勢いをつけ身体を倒した。背にあるのはベッドでもソファでもなく、メレオロンの胸板である。筋骨隆々の友人たちには到底敵わないが、それでも愛しい恋人を受け止めることくらいは容易いことだ。けれど暖かく柔らかな身体とぴったり密着するだけではまだまだ足りなかったので、自由自在に動く尻尾をなまえの腰に巻きつける。
「……心配させやがって」
「ごめんね。だって結局いつなのかはわかんなかったし、本当に喚ばれるかもわかんなかったしー」
「……つーか、知ってたんなら言えよな」
 おかげですげェ"遠回り"した気分なんだぞとへの字に曲げた口元に、甘い唇が近付いてくる。
 ごめんごめん。軽い謝罪と香料の香りに続くのは、甘ったるい味だ。なまえは"甘酸っぱい"と表現するが、メレオロンにとっては充分過ぎるくらいに甘ったるい。こんなものを何袋も食べて、よくもまあ飽きないものだと常々不思議に思っているくらいには甘ったるい。それでも今はこの唇越しに味わう甘味料の風味ですら、愛おしくて堪らない。
 深まる口付けの合間に薄目を開けると、懸命に反らされる首筋と浮き出た鎖骨、そして形の良いふたつの膨らみが作る谷間という魅惑のフルコースが待っていた。男の顔を後ろ手に掻き抱いた不自由な姿勢で、もっともっとと貪欲に唇を求めてくる姿は魔性だ。
 あのガキがよくもまあこんな花に育つものだと舌を巻けば、心外だと爪が立てられる。彼女の言わんとすることはもうわかっているから、それ以上茶化すのは止めて別の使い方の為に長い舌を動かす。
 つまり、言葉ではなく彼女の舌を巻き取り味わう為に。
 


「あのね、私はただレールの上を突っ走って当たり前のようにここに至ったんじゃなくて、探して、求めて、選んで、散々這いずり回って、そんでもってやっとの思いでメレオロンに出会ったんだから」

 なまえが言う。
 "未来"なんてものはあらゆる方面に何重にも伸びているのだ、と。

「あの観測所の記録を辿れる範囲で辿った私が断言するけど、違うことばっかりなんだから。起きてたはずの大事件はその日に起きなかったし、勝った国と負けた国は逆だったし、映画がヒットしても続編が作られなかったし。それどころか個人単位で言えばそもそもの肩書きや職業からして違うっていう人ばっかりだったし。だからさっきもそういうのやめなよーせめて上手く使いなよーって言ったけどまるで聞かないんだよねー、やっぱそうとう頑固だわアレ」
「でもよ、お前にとって今日はそのまま"今日"だったんだろ?」
「さぁ、それでもちょっとずつ違うんじゃないかな。そもそも意識改革したてだったから全体的にあやふやで確かめようもなくてさぁ。なんか飴食べたからかすごく眠かったし。尻尾枕してくれた感触は覚えてたんだけどそれだけじゃどうしようもないしね……って、あれ、なんでそんな顔するの」
「尻尾って……いや、そこじゃなくて。てっきり"運命"だァなんだァって喜ぶかと思ってたからよ。意外とドライで拍子抜けしたっつーか。でも確かに、誰の意志も関係ないところで決まってたって納得するより、誰かさんの努力の賜物だって思う方が有難いわな」

 ただでさえ幼少期の、夢よりずっと淡い幻のような記憶だというのに、そもそも歴史のどこを探してもカメレオン男など影も形もないと知った時にあの子どもはどんな顔をしたのだろうか。"彼女たち"が手繰り寄せたものが確固たる未来ではなく無数にある可能性のひとつに過ぎなかったとするなら、逢えることすら確かなことではなかったということで。ナックルやシュートに挟まれた自分を見た際の、彼女の表情の理由にも今なら思い当たる。
 あの時あの場になまえが立っていたことは、確かに彼女が選択し続けた結果だった。そして、紆余曲折の果てに自分が彼女に好意をもったことも、こうして今ふたりで居ることも、互いに積み重ねてきたものがあるからに違いない。 


「見つけてくれて、ありがとよ」


(2016.01.06)(タイトル:亡霊)
(要は平行世界を斜め移動していた系)(なんども言いますが当サイトのメレオロンは王子様ではなく"お姫様"です)
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