■ 2016年クリスマス

 依頼人へ最後の報告を終えると、すっかり日は暮れていた。
 路面店の多くは店じまいの時間を迎えている。いつもならば飲食店の明かりがまばらに残るのみだが、今夜の街は様子が違っていた。

「わあ。もうすっかりホリデーシーズンね」

 赤や緑や金の装飾がちりばめられた街は、ともすれば昼間以上の賑わいをみせていた。
 いつもよりもぐっと華やかになった街を行く人々は、まもなく訪れる祝祭に想いを馳せるように笑顔を浮かべている。
 まるで幸福でなければ許されないような空間にどうにも居心地の悪さを感じて隣を伺えば、彼らと同じくらいに幸福そうな微笑みを浮かべたなまえは聖樹から視線を戻してふわりと口を開いた。
「ちょうど仕事も終わったところだし、しばらくこの街でのんびりしよっか」
「どうせ、そのつもりで予定組んでたんだろ」
 まあねと舌を出す彼女に悪びれたところはまるでない。
「……せっかく名が売れてきたってのに。そんなんでいいのか」
「さあ? けどさすがにノエルまで働かなくてもいいんじゃないかな。部屋にこもって美味しいもの食べて、ゆっくり過ごしましょ?」
「あんたは……オ、オレは、あんたはてっきり気にしてないか何処かへ行くのかとばかり……」
 顔の広いなまえのことだ。クリスマスシーズンともなればパーティだとかイベントだとか、誘いなんてそこら中からあるだろう。白い息に乗せた問いかけが卑屈さよりもむしろ拗ねるような響きを持っていることに、彼女が気が付かないわけがないと知っていて口にする。
 案の定、ぱちぱちと目を瞬かせたところまでは予想通りだった。けれど一歩二歩と近付いてくる顔に浮かんでいるのは先ほど以上の笑みだったから、困惑するしかない。腕を掴まれたかと思えば、もう一方の手が顔へと伸びてきた。何も言わないまま、何も言えないまま。感覚をなくしていた頬は、手袋越しの温もりに溶かされていく。立ち竦む男が何一つ返せないでいるというのになまえのペースに変化はない。迷いのない瞳で真っ直ぐに見上げてくる彼女から逃げるように、堪らず焦点を逸らす。
 ほんの少しだけ、困った顔が見られればいいと思っただけだった。少しだけ、優しい言葉が貰えたらいいなという期待もあったけれど……そんな程度だった。こんな温もりもこんな顔もとっくに予想外だったし、おまけに夜とはいえ路上だし、更に言えば人通りもそれなりにある。すっかり参ってしまっているのに、なまえの追撃は止まらない。
「あなたといるのに?」
 至極当然という調子で告げられて、頬がカッと熱を持つ。
 見ないでくれと口にする代わりに手のひらで顔を覆ったところで、焼け石に水でしかなかった。なまえが今の瞬間に限って余所見をしてくれた可能性などほぼないし、冷たい手ですら顔の熱を下げきるには到底足りない。むしろ態度に表してしまったことで、気にしていますよ、自覚がありますよ、と宣言したようなものである。
 いっそ笑い飛ばしてくれれば、居た堪れない心を幾らか慰められるってのに。
 けれど、目元を覆う指の間からそっと窺い見るまでもなく、その先にあるものが気恥ずかしくなる程に真っ直ぐであたたかい眼差しだと今ではもう知っている。知ってしまっている。
「……そ、そろそろ、帰らないか」
「そうね。ああそうだ、明日は早起きして出かけよっか。アドベントカレンダーを選ぶ……にはちょっと遅いから、その分ツリーの飾りをじっくり探そう」

 せっかくだから綺麗なキャンドルも欲しいよね。そうだ、食事も考えなきゃ。ケータリングもいいけど、せっかくオーブンのある一軒家を借りてるんだし、ちょっと頑張ってみよっか。なーに大丈夫、レシピがわからなくてもちょいちょいっと"めくれば"大体は解決するんだから。ワインはリール蔵のがもうすぐ届くからいいとして、あとはケーキだなぁ。何店かしぼってあるから、これも明日回ろうね。

 どこかの店から漏れてきたクリスマスソングを落ち着かない気持ちで聞きながら、明日に向かって歩き出したなまえを追いかける。
「朝から、なぁ。依頼は片付いたってのに、まだまだ"のんびり"過ごせそうもないってことか」
 けれど悪い気はしない。
 あれもこれもと一向に終わる気配のないなまえの話に付き合ううちに、自分の声も彼女に負けないくらい弾んだものになっていく。
 物心ついてからずっと冬という季節は寒いだけのものだったし、想うことがあったとしてもそれはすった財布に大金が入っていることが多いとか隙が増えて仕事がやり易くなるとかその程度のことだった。実のところ、彼女が口にする"ノエル"どころか自分の生まれ育ったあの土地の"クリスマス"すらもろくに知らない。成長して住む場所を選べるようになっても、当たり前のように諦め続けていた日だった。だって自分には、その日を共に祝うような家族など存在したことがなかったから──そこまで考えたところで、ぴたりと足が止まる。浮かんだ思いを咀嚼する間も無く、またも頬が、首が、胸が、焼けそうに熱くなる。どうにもならない熱が身体中を駆け巡る。
「ビノールト?」
 どうしたのと尋ねられて弱ってしまう。なんでもないと言うには露骨過ぎたし、誤魔化そうにも頭が働いてくれない。

 生まれた場所も育った環境も違うふたりだ。なまえの持つ文化が自分の知る常識とイコールだとは限らない。そんなことは今更で、もう充分に理解していたつもりだった。だからなんとなく、彼女にとってその日は友人たちと騒ぐ日なのだろうと思っていたのだ。もしくは、その日を祝わない文化圏なのかと思ったのだ。けれど、こうしてキラキラと瞳を輝かせるなまえを前にしてしまえば、どちらの予想も正しくなかったのだとわかってしまっう。

 はてさて、愛されて育ったお嬢様にとって"ノエル"という日はいったい誰と過ごす日なのか。
 尋ねてしまいたいような、確かめてしまうのがもったいないような。



(2016.12.21)
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