| ■ チューニング、オーケイ? 食卓には気まずい空気が満ちていた。 少なくとも、ビノールトにとっては。 「ふふ、持ちにくそうだね」 「……別にそんなことは」 目を逸らしたところで向かいに座る男の表情は変わらない。肯定も否定も全て同じ結果に繋がる。恥じる姿まで残らず舌先に乗せて食い尽くされてしまう。自分の皿をさっさと空にして、残りの時間全てを使って相手の食事風景を観察しようなどよく思いついたものだ。しかも、考えるだけでなくしっかり実行してみせるのだから悪趣味にも程がある。 「子供用のフォークがいるかな」 「いや本当に大丈夫だから」 「ああ、そのグラスも持ちにくいでしょ。わかるよ、結構重いもんね」 「"わかる"って……なあ、今度から食器は別で買うか?」 もしや常日頃から不自由さを感じていたのかと問いかければ、「まさか」と笑って返された。 「何年もそのサイズで生きていればとっくに日常だよ。まあ、あなたの場合は落差がとんでもないから大変なだけで……でもさ、明日の夜にはもう普通に扱えてるんじゃない?」 そう思うのなら、初日くらい大人しく見守ってくれてもいいだろうに。 いきなりひと回り以上サイズが変わったのだ。そんな身体で、同じように食事が摂れるわけがない。現に先ほどまでは、四苦八苦しながら"なまえの身体"でカトラリーと格闘するビノールトの前方で"ビノールトの身体"に入ったなまえもそれなりの戸惑いを覚えていたようだったのに、気がつけばあれ程におもちゃみたいと笑っていたナイフとフォークを器用に使いさっさと食事を終えてしまうのだから要領の良さを見せ付けられた思いだ。 「ねえねえ、食べさせてあげよっか」 「いいから。つーか、"自分"が食事するとこ見てて楽しいか?」 嫌味ではなく純粋に疑問だったものの、曇りのない眼で「すっごく楽しい」と即答されてしまい言葉を失う。 「自分が食べてるところを客観的に見るなんてそうそうない機会だしね。そんでもって、あのビノールトが見るからに不慣れな感じでご飯食べてる姿って思うと、正直なところ色々辛抱堪んないっていうか後でぜひ私のこれも咥えてほし……」 「爽やかな顔してえぐいこと言うな。キャラ違ってんぞ」 もともとマイペースを貫いている女ではあったが、それにしても食事中に下ネタをぶちかますような女ではなかった筈だ。訝しむついでに窘めてみるものの、全く反省しない顔で可愛らしく小首を傾げるのだから身体の持ち主としては絶句するしかない。先ほど見せられた爽やかな笑顔だって相当なものだった。なまえの心に応じてころころと表情が変わる顔は自分ではないよく似た他人のようで、何ともむず痒いものがある。きっと明日の今頃は顔面の筋肉が悲鳴をあげているのだろう。 「ごめんごめん。なんかビノールトの身体ってすごくてさあ。何をするにもそんなに力が要らないっていうか、疲れにくいっていうか。あっちの方もあれだけ"した"のにまだ全然元気だし、むしろちょっとした仕草とかタイミングですぐ反応しちゃってどうしようっていうかー」 聞いているだけでげんなりしてくるが、彼女の異常に閃くものもあった。へらへらと笑うなまえの言葉を聞き流しながら急いで思考を組み立てる。 なぜ気がつかなかったのか。髪の毛を通してなまえの肉体を日々数値として"視て"きたビノールトとは違い、なまえはビノールトの身体の基準も限界も知らないのだ。言わばいきなりスペックを知らない車に押し込められてコースに出されたようなものだが、更に恐ろしいことに彼女は天性の要領の良さで慣らしもそこそこにレースを始めてしまったわけである。車の癖もブレーキの感度も確かめないまま何となくで突っ走るのだから、そりゃ肉体と精神のバランスは乱れるし脳内麻薬もどばどばだろう。 嫌な汗が背中を伝う。 冷静を装い、いつもの調子で切り分けた一口分はなまえの身体には存外大きくてなかなか咀嚼できない。諦めて、頬張っているものをほとんどそのまま呑み込んで口を開く。慎重に、慎重に、言葉を選んで伝えなければ。何よりも、彼女自身が問題を自覚していないとするならば下手な刺激は逆効果でしかない。 「あー……とりあえず昼からは連絡待ちってことにして、出歩くのはやめにしないか? こんな状態で外に出て面倒事にでもぶち当たったら目も当てらんねえ」 能力者どころかチンピラ相手の喧嘩すら分が悪いと続けたいところを抑えて言えば、意外にもすんなりと同意が得られた。てっきりもっと渋られるものと覚悟していたが、さすがにプロハンターなだけはあって話が早い。 「そりゃまあ、ね。単純な力勝負は出来てもテクニックの話となるとお手上げだもん。そっちも実力全部は出せない感じでしょ?」 「まあ、出せる出せない以前の問題だな。まず身体がイかれちまう」 いつもの調子で殴った結果、相手ではなく自分のこの拳が砕けてしまう……なんて間抜けな事態にはなりたくない。ビノールトの知っている戦い方は、鍛えた肉体とそこから発生するパワーと充分なリーチがあってこそのものだ。感覚はわかっていても、現実がついてこないのでは仕方がない。困ったものだと笑って見せれば、なまえもだよねぇと気の抜けた合いの手を入れてくる。これからの予定などないかのようにワインを煽る姿にほっと安心していると、そのままなまえの手が伸びてきた。 ぐいと頬を拭われて初めて自分の顔にソースが付いていたことを知る。一体いつからだ。ああ、参ったな、本当に他人の身体は勝手が違う。 ビノールトに見られないのをいいことに、指先をぺろりと舐めたなまえはにんまりと笑った。気恥ずかしいのか誤魔化したいのか或いは両方か。一言も発さず、感情が過ぎ去るのを待つようにじっと目を閉じるビノールトは本人に自覚がない分余計に愛らしい。 元より、今から町歩きに興じるつもりなどなかった。カトラリーを扱うことすら思うようにいかない、己の容姿にも無頓着な、文字通り華奢で可憐な転身を遂げたこのビノールトをどうしてこのまま町になど出せるだろう。まずはしっかり"わたし"という肉体を"自覚"してもらわなくては。 (2018.06.20)(タイトル:fynch) |