■ 深窓の令嬢プレイ

 柔らかな陽射しの下。ドラニプール市立公園は今日も今日とて休日を楽しむ人々で溢れていた。芝の上にシートを敷きピクニックを楽しむ者、シートも敷かずに寝そべる者、犬と戯れる子供達。眼前に広がる平和そのものという光景を微笑ましげに眺めていたなまえが、不意に小さく叫んで振り返った。
「ねえ、クレープ売ってるよ!」
 先ほどまでしてきた哲学的な話の余韻を一瞬で放り投げ、人類愛よりももっと矮小で露骨な感情に瞳を輝かせてさあ買いに行こうと強請る姿は年相応とは言い難く、ビノールトは反射的に手元の日傘を深く構えた。いや、常日頃の彼女ならば特に気にはならなかったのかもしれない。ただ、今の彼女の姿を前提としてみるとその言動はなんとも浅慮で、身内としては堪らないものがあるのだ。いや、身内という表現も正しくはない。正しく言うなら──その身体の持ち主として、だ。
 けれど、そんなビノールトの複雑な内心など御構いなしとばかりになまえは急かしてくる。
「わわ、ちょっと、待って。この靴歩きにくくって」
「一番低いヒールにしたのに?」
「最初のアレとかは人が履くものじゃなかっただろ。あんなんでどうやって歩けと……」
「だから別に歩かなくていいんだって。それを、あなたが自分の足で歩きたいって言ったから譲歩した形になるわけで──ああ、それとも、今なら受け入れてくれる気になったかな?」
 筋肉質な男の腕をひょいと腰へと回されて、ビノールトは慌てて首を振った。冗談じゃない。思い出すだけで気が重くなる。
 普段のなまえなら絶対に町歩きなどには選ばないだろう実用性に欠ける靴が並ぶキラキラした店内で、次から次へと履き替えさせられたことはビノールトにとってはまさに悪夢だった。実のところ、靴と呼べない靴たちよりも何よりも、店員相手に堂々と惚気るなまえの袖を引きこれでは歩けないと訴えて「この腕でどこへでも連れて行って差し上げますよお姫様」と囁き返されたことへのダメージが果てしない。
 ビノールトがここまで抵抗を覚えるにはそれ相応の理由があった。しらふとは思えないセリフを事も無げに吐くのはなまえであってなまえではない。彼女の精神は今、本来の肉体を離れて別人の中に宿っている。だからビノールトの目の前にいる彼女は確かに彼女ではあるのだが、しかし"彼女"の姿はしておらず……つまりビノールト自身の姿をしているわけで。客観的な目線で眺めるどこからどう見ても浮き足立った"自分の姿"というものはかなり胃にくるものがある。
「あ、やだ。待って、裾が──ひゃうん」
 ただでさえ何もない股間が心許ないところにあんな下着を履かされて、その上こんなひらひらの裾では落ち着けるわけがない。内腿が擦り合う度にすかすかするし、一歩進む毎に纏わり付く裏地も鬱陶しい。そんな、余裕のない足取りが更なる事態を引き起こした。差し慣れていない日傘で手を塞がれていたのも悪かった。


 白い日傘がひるがえり、瞳いっぱいに真っ青な空が写り込む。


「おっと、大丈夫? 足を挫いたりは、ああ、うん、それならよかった」
 ワンピースの足元が変なふうに捲れたと気付いた時にはもう遅く、絡みつく布にどうしようもないまま足を取られ──危うく倒れかけたところを厚い胸板に受け止められた。咄嗟のことにもかかわらずふらつきもしない肉体はさすが"自分"だと誇っていいところだろうか。複雑な心境をなだめつつ感謝を告げれば、なまえは上機嫌で頬を緩める。
「……こういう格好が好きなら普段からもっと着てりゃいいだろ……似合うんだからよ」
 邪魔だし動きにくいとは思うし実際着てみてその印象が間違っていなかったと実感するものの、もっとぴらぴらした格好で信じられないほど軽やかに戦場を翔けるプロハンターをビノールトは知っている。
 ひらひらと揺れるレースの裾を手持ち無沙汰にはたいて言えば、男の姿をしたなまえはうっすらと開いた唇から長く静かな吐息を零した。そこから先、含まれる熱っぽさに気付いたビノールトが首を傾げるのとなまえが動くのは同時だった。ぐるりと結ばれたリボンの下にある腰のくびれを撫でるように抱き込んで、もう一方の手を薔薇色の頬に添えて、狼狽える瞳を逃がさないと言わんばかりの目力で射抜いて、ただでさえ近かったふたりの距離を限りなくゼロにして、なまえが口を開く。
「嬉しいけど、それはちょっと違うね。私だけだったらこうは仕上がってない。この靴も服も髪も、あなたが"私"だからこそこんなにもよく似合うんだよ」
 甘い甘いとどめの一言。こんな芝居掛かった動作のくせに声色だけはどこまでも真面目だったから、ビノールトの顔も否応なく熱を持ってしまう。いっそ世辞なら笑い飛ばせるのに、こんな声で告げられてはそれも叶わない。可愛い可愛いと褒めそやされる度に「でもなまえ自身の肉体じゃないか」と引っかかるところも確かにあるのだけれど。
「……ナルシストめ」
「あなたがいつも褒めてくれるものだからね。ほら、過度な謙遜は評価に対して失礼でしょう?」
 やっとの思いで絞り出した皮肉さえまるで通じないのだからお手上げだ。なまえが小さな目で器用に行ったウインクは、一歩間違えれば確実に"滑稽"に転ぶだろうという境界ギリギリで"愛嬌"として成立していた。オレには真似できないなと呆れながらもそっと目を閉じ、近付いてくる唇を受け入れる。



 見かねた通行人が苦笑とともに拾い上げた日傘を受け取ったなまえはまた例のギリギリを攻めるウインクを返し、今度は自分が柄を握ったままビノールトへと差しかけた。
「行きましょうかお嬢様」
「いや、さすがに自分で持てるから……でも、なあ、これってやっぱり差さないとだめか?」
「勿論」
 こそっと尋ねてみたものの、答えはわかりきっていた。ここまでくれば予想通りすぎて溜息すら出てこない。相変わらず何がいいのかはさっぱり理解できないが、拒否する程の理由もないので大人しく傘を構える。
 今度は転ばないようにとゆっくり足を踏み出せば、先刻と同じように半歩後ろになまえが添う。
「あの、さ」
「ん?」
「この服、これっきりじゃ勿体ないだろ」
「え。なに。また着てくれるの?」
「そうじゃなくてさ、今度着て見せてくれないかってことで──」

 オレだってこんな格好をしたお前を見たいのだと。同じように、オレにとってはお前だから意味があるのだと。そういうことである。
 軽口すら飛んでこないのを訝しんで振り向けば、真っ赤な顔と目があった。なまえとしてもよほど予想外だったらしい。そんな反応を前にして、今更ながらに後悔したところで撤回など出来るわけもない。負けず劣らずの赤い顔を隠しながら、ビノールトは本日初めて日傘の存在に感謝した。



(2018.06.20)