8.流浪の楽士



 自称流浪の楽士ギーヴは、宮女に案内された部屋でくつろいでいた。王宮の美食に舌鼓を打ち、葡萄酒で喉を潤すと何を思ったのか部屋を出て王宮内をうろつき始める。

「さて、あの麗しの姫君はいずこに……」

 謁見の間で美貌の王妃の傍にいた女性を思い出して辺りをキョロキョロする。
 最初はパルスで有名な傾国の王妃に興味があってエクバターナくんだりまでしたが、当の王妃よりかの姫君に興味が移った。
 上質な絹に身を包んで王妃の傍にいるということは、宮女ではなく身分の高い姫の可能性が高い。そして女達が自分に熱い視線を投げかけている中、彼女は一人憂いを帯びた目をしていたのに興味がそそられたのだ。

 女性の好む庭園でも行ってみるか、と考えていると、どこからか小さな歌声が耳につく。悲しみを表すようなこの曲調はーー。

「……鎮魂歌か」

 儚い歌声に惹かれるように聴こえる方向へ行くと、そこは王宮が誇る薔薇園だった。

 パルスとルシタニアによる戦いの音や悲鳴が聞こえる中、血のように赤い真紅の薔薇に囲まれて探し人が鎮魂歌を歌っている。

 ふと、あの憂いを帯びた瞳がこちらに向けられる。ギーヴが息をのむと、小さく笑んだ。

「旅の楽士さんに聴かれるとは……つたない歌で申し訳ありません」

「え、あ、いや、つたないだなどと! 女神アシの歌声かと聴き惚れてしまいました。その歌は、戦死者へ?」

 ギーヴの問いに彼女の目が翳って、小さく頷く。

「……えぇ。シャプール様……貴方が解放した勇敢な戦士への歌です」

「そう、でしたか。まさか恋人で?」

「いえ、とんでもありませんわ! 幼い頃から優しくしていただいていたのです……」

 彼女の言葉に内心ガッツポーズを作ると、ギーヴは距離を詰めてうやうやしく柔らかな手を取る。

「なんとおいたわしい。……まさか彼を死にいたらしめたのが自分だと思うと悲しみの海にのまれてしまいそうだ」

「貴方が責任を感じることはありません。あれは仕方のないことですし……あのままだったらきっと、シャプール様は酷い死を迎えていました」

「おお、なんと慈悲深き心! ですが、涙に暮れた貴女を思うと、胸が張り裂けそうだ……」

「えーー」

 泣いて赤く腫れた目を覗き込む。
 自然に腰へ手を回すと、驚いた彼女が目を見開いた。

「姫、是非この俺に名前を聞かせていただきたい。儚い涙ではなく、甘美な夢を俺と紡ぎましょう」

 唇を寄せて囁いた瞬間ーー素早い身のこなしで腕をすり抜けられ、ギーヴの手がスカッと空気を抱きしめる。

「え」

「レイシーと申します、楽士さん」

 逃げ出した拍子に絹のドレスがクルリと舞いレイシーが微笑む。
 先ほどまでの憂いを帯びた儚い瞳から一転、嫣然と微笑む彼女にギーヴは目を奪われた。
 牽制ではあるのだが、いろいろな表情を垣間見れてギーヴの支配欲がむくむくと上がってくる。

「レイシーとは、鈴を転がしたような良い響きだ。太陽に輝く貴女のその髪によく似合う」

 逃げられてもなお構わず言い寄ってくるギーヴに、レイシーが息をつくと彼が手を差し出した。

「こんな危険な王都から一緒に出ましょう。貴女とならどこに行ったっていい。必ず俺が守ります」

「どこにでも……?」

 一瞬レイシーが動揺して瞳が揺れる。
 よし、こい! とギーヴが念じたが、レイシーは小さくかぶりをふってぎゅっと両手を握りしめる。

「お誘いは嬉しいのですが……私は王妃様のお側から離れることは出来ません。お一人で、ここから脱出してください」

「王妃にはたくさんの侍女がいるし、勇敢な騎士もいる。貴女が残らなければいけない理由などーー」

「両親が亡くなっても、私をお側に取り立ててくださったのは他でもないタハミーネ様なのです。あの方を置いてなんていけません」

 それでも悔いがあるのか、まだ瞳が揺らいでいる中お辞儀をして背を向けるレイシーを、ギーヴは黙って見ていることしかできなかった。

「…………女性に振られたのははじめてかもしれないな」

 そんな冷静に自分を見つめ直しているが、内心大ショックを受けてギーヴは頭をかく。


 もしもこの時無理にでも手を引いていればーー。
 のちに彼はこの時を思い出し、後悔するのであった。


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