14.波斯はしの姫君



 パルス国の宰相リンドバーグの双子の姉妹はとてもお転婆な少女達だった。
 父が王宮に上がると荷馬車にこっそり入り込みついていっては母に心配を掛けていた。

 そんなある日、父を追って王宮内を遊び歩いていた妹が熱で倒れてしまった。母に似て体の弱い妹が倒れたと知り、父が王宮の宰相室に妹を連れて行くと、姉はすぐさま母のいる屋敷に帰された。

「……お父さま……ごめんなさい」

 寝台に横になり毛布をぎゅっと握る姿に、父のリンドバーグが困ったような表情をして娘の柔らかい頬に手を添えた。

「帰ったら、姫に怒られてしまうね」

「……うん」

 姫というのは彼が妻を呼ぶ時に言う呼び名である。マルヤム王の妹である妻は嫋やかでいてあまり自己主張をしない人物だが、家族の事を一番に考えるとても優しい母でもあった。

「辛いかい?」

 汗ばんだ金の髪を撫でると少女がうとうとし始める。薬が効いてきたのだろう、リンドバーグが寝台の横にある水差しを取ろうとすると中身が空であることに気がついた。

「少し待ってなさい」

 目が覚めれば喉が乾くだろう。
 宮女に頼むのではなく宰相自らが、可愛い娘の為に水差し片手に室から出て行った。

 一人取り残された少女が深い眠りに誘われようとした時、軽い靴音が耳に入った。

「……だあれ……?」

 ぼうっとした頭で音がした方に顔を向けると、見知らぬ少年が驚いたようにこちらを見ている。

「そなた……具合が悪いのか?」

 少年が恐る恐る近づいてくる。
 どうしてこんな所に男の子がいるのだろうと思っていると、少年はバツが悪そうに視線を彷徨わせた。

「……その、リンドバーグに政について教えを請おうと……」

「お父さまに……?」

「ああ」

 自分より年上だが、まだ年若い少年が父を頼りにしている。それがとても嬉しくて、少女が笑みを浮かべた。

「あなたのお名前は?」

「ヒルメス」

「ヒルメス……王子さまのお名前ね」

 少し驚いたように目を大きくする少女に、少年が気恥ずかしそうに頷いた。

「ヒルメスさま、私の名前はーー」

「よい、知っている。それよりもそなたはもう少し眠ったほうがいい」

 辛そうに見えると言い、少年が躊躇しながらもゆっくり少女の頭を撫でた。
 柔らかな金の髪を撫でて、熱い頬に手を添える。己の冷たい手から熱を奪われるような感覚に、少年はもう片方の手も添えて少女を熱から解放しようとした。

「……ありがとう……ヒルメスさま……」

 長い睫毛が下りて、次第に規則ただしい呼吸音が聞こえてくる。

 少女が眠ったことを確認すると、少年はすっかり熱を帯びた手をどかして居た堪れないように室内を見渡した。

 胸の鼓動がうるさすぎて誰かに聞こえてしまいそうだ。

「……レイン……」

 眠る愛しい少女を見つめた後、前髪を手でゆっくり払い額に口づけを落とす。

 また、彼女の歌が聞きたくてたまらない。
 この胸の奥を掴まれたような、苦しい感覚は……。

 少年は恥ずかしそうに目を伏せ、逃げるように宰相室から出て行ったーー。


 * * *

 銀仮面卿がパルス貴族の屋敷を与えられた。
 王宮からそちらに居を移した銀仮面卿は否応なしにレイシーも連れて行く。
 屋敷には銀仮面の部下が昼夜見張りに立ち、もうあの時のように逃げることは叶わないだろう。

 相変わらずの軟禁生活に溜息をつきながら、レイシーが召使いがもってきた紅茶を飲む。
 ふと、退屈そうに窓の外を眺めると数十の馬が屋敷の前に止まっているのが見えた。
 誰かが来たのだろうか?
 部屋の扉を小さく開けると、召使いの女性が忙しなく動いている。彼女に聞いてみようと素早く扉から出ると、女性が驚いたようにこちらを見た。

「姫さま、いかがされましたか?」

「屋敷内が騒がしいけれど、来客かしら?」

 レイシーが問いかけると、召使いが躊躇いがちに目を泳がせる。本当は言ってはいけないのだろうが、レイシーの境遇に同情した召使いが口を開いた。

「カーラーンという方のご子息様が、旦那様にお会いしたいと言っていらっしゃったのです」

「カーラーン様の……息子?」

 脳裏にカーラーンの顔がよぎる。
 一体何をしに来たのだろうか、考えられるのは父親の仇を討つために銀仮面に加勢しに来たのだろうか。

「ありがとう、仕事に戻っていいわ」

 召使いが深く一礼して廊下の奥に消えていく。それを見送ると、レイシーは部屋には戻らず広間の方へと急いだ。

 滑るように歩いて音が聞こえないよう細心の注意をする。広間の扉を前にすると、若者の声がこちらまで聞こえてきた。

『始めて御意を得ます殿下! カーラーンの息子、ザンデと申します!』

 腹からだしたような通る声が扉越しにも聞こえる。耳をそばだてて小さな声も拾おうとすると、驚きの言葉を聞いた。

『このたび亡き父にかわりヒルメス殿下にお仕えするため領地より参上いたしました』

 ……ヒルメス、殿下?

 ザンデの言葉に目を見開く。
 銀仮面卿があのヒルメス王子……。

『そうか、おぬしはカーラーンの子か! 俺はパルスからアンドラゴラスを追い払い、ルシタニア人共を一掃して正統の王位を回復する』

 銀仮面の言葉にレイシーがよろめく。
 何故、パルス人である彼がルシタニアに協力して国を滅ぼしたのかが今分かった。彼はただ玉座を欲しただけなのだ。

 ぴちゃん、と水が落ちる音が聞こえた気がして頭が痛み出す。
 何かを忘れている気がしたが、それが何なのか分からない。こめかみをおさえていると、唐突に目の前の扉が開いた。

「……何故貴様がここにいる」

 ナイフのような鋭い視線が突き刺さって、床に縫いとめられたように動けなくなる。
 銀仮面の後ろには体格の良い青年と、さらに数十人の部下が座っている。青年に視線を向けると何故か頬を赤らめた。

「もう一度聞く、何故貴様がここにいる」

「……貴方はアルスラーン殿下を殺すのですか……」

「答えになってないな」

 冷たく見下ろされて逃げたくてたまらない。それでも逃げてはいけないと顔を上げた。

「そしてお姉様を攫ってくるのですか」

「…………」

 無言の銀仮面に思わず笑みが込み上がってきた。


 ずっと、ヒルメス王子のことが忘れられなかった。
 あの日、熱で倒れた私に優しくしてくれた王子様……。

 こんな真実など、知りたくなかった。
 この人は決して私を見てくれない、私はあくまで身代わり。

 無性に涙が溢れてきて悔しい、この人の前で泣きたくなどないのに。
 こんな人を、私は、私はーー。


 *

 ふと、少女が目を覚ました。
 とても幸せな夢を見ていた気がする。
 寝台から起き上がって周りを見渡すと、父が少し離れた所で仕事をしていた。

 なんとなく額が熱い。
 熱があるから当然なのに、熱とは違う優しい温もりを感じた気がした。

「……ヒルメスさま……」

 優しい王子様、また会えますか……?


 額に両手を当てて小さく笑う。
 熱で体が気怠いのに、とても幸せな気持ちが心を満たした……。

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