15.水面の花



 暗闇の中、どこまでも続く森をひた走りアルスラーン一行はペシャワールを目指していた。

 あの後カシャーン城塞では、ホディールがアルスラーンを専有しようとダリューン達に兵を向けてきたのだった。
 ナルサスの機転でホディールの罠を看破して兵を撃退、ホディールはダリューンによって討死。それによりアルスラーンは彼の所有する奴隷を解放しようとするが、優しい主人を亡くした奴隷達によって攻撃されたのだった。
 奴隷は自由よりも身の安全を求める。
 優しい主人に使われていれば衣食住は不自由しない。多少自由がなくともその事を甘受してきたのだ。
 厳しい現実に直面した王太子はそれでもなお、人々の”自由”を模索するのだった。

「ホディールの兵が山に火を放ったようです!」

 ペシャワールへと東進していた一行は後方にホディールの兵、前方にルシタニア兵の両軍に追われる身となっていた。
 火が回れば逃げ道が無くなる、だが目の前にはルシタニア兵が見えている。
 人馬ともに疲弊している今、まともにぶつかればアルスラーンの身に危機が陥るともしれない。そう判断したダリューンが一人馬首を巡らせた。

「ここは俺に任せろ、先に行け!」

「ダリューン殿!」

 背を向けるダリューンに、レインが声を掛けるが振り返らずに彼は槍を構えた。

「ペシャワールで会おう!!」

 その言葉に全員が馬の腹を足で叩く。
 とにかく今はこの包囲網を突破し、ペシャワールを目指すしかない。
 アルスラーンの護衛を第一に馬を走らせるが、放たれた火の煙が風に追われて辺りを白く染める。

(くっ、殿下はどこにーー)

 煙に咳き込みながらレインがアルスラーンを探すが、はぐれてしまったのか辺りは数十のルシタニア兵に囲まれていた。

「金髪の女を見つけたぞ! 銀仮面卿に差し出せ!!」

 兵が目の色を変えて押し寄せてくる。
 舌打ちしそうになるのを堪えて剣を構えると、馬を竿立ちさせて周りの兵を蹴散らした。

「はあああっ!」

 細身ながらも鋭い剣が兵を斬り捨てて、間を縫うように通り抜ける。
 女に反撃されるとは思っていなかったのか、ルシタニア兵が怯んた隙に森を駆けて煙の道を抜けた。

「ナルサス!!」

 抜けた先はアルスラーンではなく、ナルサスが剣を薙払ってルシタニア兵と戦っていた。
 ルシタニア兵とナルサスの間を割って入るように、金色の髪が煌めいて剣を振るう。突然の乱入者に兵が浮き足立ち、それを見逃さなかったナルサスがトドメを刺す。

「すまないレイン、助かった」

「それよりも直ぐに行こう」

 後方から蹄の音が聞こえる。
 頷いたナルサスが先に馬を走らせ、レインが並走する。
 夜通しの逃走劇は、陽が昇るまで終わらなかった。


 * * *

 包囲網を突破したナルサスとレインが山道を走っている。
 夜が明けてやっと追跡をかわした二人は息を整えながら辺りを注意深く探り道を進む。どこに伏兵がいるか分からない中、ナルサスがレインを岩場の影に引き寄せた。

「……ゾット族のようだ」

 ナルサスが指し示した先に盗賊らしき数十の人影が見えた。
 遊牧の民のような装いの集団がルシタニア兵に向かっている。その兵の中心には銀色の仮面をした男がいた。

「まさかあれが銀仮面……?」

「ああ、エクバターナでレイシーを連れ去った男だ。見覚えはあるか?」

 ナルサスの言葉に銀仮面の男を見つめる。
 執拗に自分を捕まえようとしているというが、男のことをレインが知っている人物ではなかった。

「…………ううん、見たことない」

 何故自分を追うのか、そして妹のレイシーを攫ったのか理由が分からない。
 父の知り合いという線もあるが、パルスを裏切ってルシタニアに与するような者の知り合いなどいるはずがない。

 銀仮面を見ると、ゾット族の長を一刀に斬り伏せていた。ダリューンとナルサスと互角にやりあったという話は本当らしい。

「よくも親父を殺したな!!」

 ふと、ゾット族の一人が声を上げて銀仮面に突っ込んだ。水色の布を頭に巻いた赤毛の少女が憎しみの目をして短剣を振り被る。
 剣同士がぶつかる音が鳴り響き、それに応えるように他のゾット族がルシタニア兵に群がる。

「ナルサス、あの女の子が危ない」

 少女の力では到底銀仮面には太刀打ちできないだろう。レインが馬の手綱を引こうとするが、ナルサスがそれを制した。

「まて、策もなく突っ込むのは得策ではない。少しまっていろ」

 馬から降りたナルサスが音も無く岩場を通って行った。
 罠でも作っているのだろうか。ナルサスの事だから何か策があるのだろうが待っている身としてはとてもハラハラする。
 手持ち無沙汰にゾット族の少女と銀仮面の戦いを見ると、剣を弾かれた少女が大勢を立て直している所だった。

「小娘、貴様の名は」

「アルフリード」

「アルフリードとは、本来王侯貴族の姫君に使われる名だ。下賤な盗賊の娘にはすぎた名。増上慢に相応しい罰を喰らわせてやるべきだろうな」

「やってみるがいいさ!」

 剣を構え直したアルフリードが果敢に剣を突く。だが鋭い剣筋に弾き飛ばされ、背中から岩に叩きつけられた。

「ぐうっ」

 痛みに悲鳴を上げる中、銀仮面が第二撃を放ちそれを間一髪でかわす。

「よくかわす。だが貴様が逃げてばかりいる間に、手下どもは哀れなことになっているぞ」

「!!」

 アルフリードが周囲を見渡すと、仲間のゾット族が全滅していた。
 銀仮面の目に昏い炎が見えた気がすると、仮面と同じく銀色に光る長剣を振り上げた。

「待ちなさいっ!!」

 思わず体が動いていた。手綱を引っ張ってレインが岩崖から下ると、こちらに振り向いた銀仮面と目が合った。
 
「ーー!!」

 落雷が落ちたような、驚愕の目をした銀仮面が唇を震わせる。

「…………レイン」

 地の底から這うような声音が、次第に狂喜の笑みへと変わっていった。

「やっと見つけたぞ、レイン。どんなにこの時を待ったことか!!」

 目を見開いて高らかに笑う姿にレインの息がつまる。自分の知らない所で何があったのか、真正面から対峙してもこの人物の事を思い出せずにいた。

「……なんのこと……私は貴方のこと知らない」

 レインの言葉に銀仮面の口が引きつったように歪む。絶望に似た激情が仮面の奥から感じとれた。

「知らない、だと……幼い頃ならまだしも、六年前の事を忘れたのか、レイン。いつか会いに行くと……俺の本当の名を教えると約束したではないかっ!!」

「六年前……?」

 呟いた声は馬の嘶きに掻き消され、眼前に手を伸ばした銀仮面が真紅の瞳に映る。

「レイン!!」

 どちらが声を放ったのか分からない、もしかしたら両方かもしれないが、気が付いたらナルサスが銀仮面とレインの間に割って入っていた。

「っ、ナルサス!」

「まったく、待てといったであろう、このじゃじゃ馬娘め」

 ナルサスが手にした剣を振るうと、銀仮面が凍てつく瞳で剣を交わす。

「へぼ画家っ、一度ならず二度までも俺の邪魔をするとはな」

「前回はレイシーを奪われたが、今度は渡さんよ」

 ピリピリとした空気が辺りを包み、一触即発の状態で両者が睨み合う。
 風が動き、先に動いたのは銀仮面だった。
 素早い攻撃がナルサスに放たれるが、風のようにかわされ鳩尾を狙われる。
 咄嗟に剣で弾くが、視界の端に煌めく金の髪が翻ったと思うと、鋭い突きが襲う。紙一重でそれを避けると、愛してやまない真紅の瞳と目が合った。

 恋い焦がれたその瞳は水のように揺らいで決して己を見ない。
 拒絶の声が執着を掻き立て、ナルサスへの憎悪が溢れてくる。
 澱んだ殺意を剣に込めて、ナルサスの首目掛けて剣を振おうとした瞬間ーー近くの兵士から絶叫が迸った。

「何っ!?」

 岩場から岩石が降り注ぎ、ルシタニア兵と銀仮面卿が驚いたように身を庇う。

「レイン、行け!」

 銀仮面が岩に注意を払っている隙に、先ほど作った罠を利用したナルサスが呆然と成り行きを見ていたアルフリードをすくいあげて手綱を引く。
 直ぐに状況を理解したレインは素早く馬を東に向けた。

「! レイン、行くな、レインー!!」

 雨のように降り注く岩石を避けながらレインの後ろ姿に手を伸ばすが、結わえた金糸を揺らして彼方に消えて行く。

「…………何故だ、何故……俺を覚えていない…………」

 辺りは岩石に下敷きになった部下しか残らず、一人取り残された銀仮面ヒルメスは手のひらから零れた存在を想った。


 いつもいつも手に入れたと思えば零れていく。

 身を焦がすほど欲した紅蓮の瞳は。
 全てを忘れたように、澄んだ水面の色をしていた。

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