17.二度目の恋
ペシャワール城塞の城壁からヒルメスが飛び降り濠に落ちた。なんとか濠から上がって全身ずぶ濡れの自分に自嘲の笑みが浮かぶ。
そう、あの日もこんな夕陽の暖かい日だった気がする。
『レイン』と再会した六年前の夏の日……。
あれは確か、アンドラゴラスに殺されかけマルヤムに逃れていた時。ヒルメスは復讐を果たそうと、パルスの情勢の調査をするためにマルヤムからパルスを目指していた。
山の中腹を馬で進み、一休みするために川辺を探していると近くで馬の嘶きが聞こえる。
山賊か何かが近くにいるのかと訝しんだヒルメスがその場から離れようとすると、女の悲鳴と下卑た嘲笑が聞こえてきた。
「おい、レインっていう金髪の女はどいつだ!!」
『レイン』という名に思わずヒルメスが馬から降り、木々の間から声のした方を見る。
そこには山賊に囲まれなすすべのない旅の一行がいた。
貴族だろうか、一行の真ん中には質素ながらも輿がありその周りに随従の者が主を守るかのように取り囲んでいる。
すると随従の中でも馬に乗っている者達の奥から掻き分けるように、一人の女が現れた。
金糸の髪に紅玉のような瞳。
それはまさしくヒルメスが幼い頃から思慕してした『レイン』であった。
美しく成長した少女は柔和な笑みを浮かべて山賊の頭目と対峙する。
「私達に何か御用ですか?」
「お前がレインか、さっきは俺様の部下が世話になったそうだな」
探していた女が美しい少女だと知った頭目は舐め回すように少女の身体を眺め、距離を縮めてこようとしている。だが少女は軽やかな動作で男から逃れて水辺の方へと下がった。
あと数歩後ろに下がれば水辺に落ちる距離になる。水の流れが激しいそこに落ちれば確実に流されるだろう。
「さあ、存じ上げないですわね」
そんな危機を知ってか知らずか、少女は可愛らしく首を傾げている。そんな姿に男が下品な笑みをして少女に手を伸ばした。
少女の肩に手が触れる直前、少女が射るような鋭い視線を男に向ける。その紅蓮のような瞳にヒルメスが強く惹かれていると、少女が口笑みを浮かべた。
「ぐわあっ!!」
どこからか矢が飛来して男の肩を貫く。
突然の激痛に男がもんどりうつと、目の前の少女が横にずれそのまま男は水辺に落ちた。
「お頭!?」
周りの部下がどよめくと、今まで静観していた少女の随従が手に剣を持ち山賊達を倒していく。
少女がホッとして矢が飛んできた方向へと目を向けていると、頭目を倒されて怒り狂った部下の一人が剣を振りかざしてきた。
「!?」
咄嗟にヒルメスが駆けるが、少女は剣を避けるように後退し、足を踏み外した。
「きゃあああっ!?」
「レイン!!」
細い指が縋るように伸ばされ空を掻く。
その手をヒルメスは精一杯掴み、共に激しく流れる水辺へと落ちた。
* * *
どれほど流されただろうが、激流に呑み込まれながらもレインの手は決して離さず抱き寄せる。
水の中から顔を出し近くの岩に掴まると、勢いよく這い上がった。なんとか水辺から上がりレインを草の上に横たえさせる。
気絶しているレインの顎を上向かせ鼻をつまんで口を寄せる。数回息を吹き込むと、大きく咳き込んだレインが薄っすらと目を開けた。
「……ね……さ……」
ぱたりと瞼が閉じる。
また気を失ったようだが呼吸は安定していてただ眠っているようだ。
安心すると、どっと身体が重くなり頭に鈍く痛みがはしる。流されている間自分も気を失っていたのか、幾分か水を飲んでいたようで激しい咳が襲った。
咳が落ち着き、ふと顔の右側を触ると、そこを隠す布は流されておらず人知れず安堵した。
起き上がって辺りを見渡す。
とにかくずぶ濡れの体をどうにかしなければいけない。このままにしていれば確実に二人とも熱で動けなくなる。
草と土を踏みしめて奥まで歩を進めると、先程流されたところよりも浅瀬の水辺を見つけ、水辺を挟んだ奥に岩間の洞窟を発見した。
レインをその洞窟まで運び、ゆっくり寝かせる。ヒルメスは息をつくと、覚悟するように拳を握りしめて踵を返した。
火を起こすための材料を探し、洞窟に戻って恐る恐る拙いながらも火を起こし始める。幼い頃の炎への恐怖は拭うことができない。だが冷えたままのレインを放っておくことなどできなかった。
何とか火を起こし、近くに木の枝を利用して外套と上着を刺して乾かす。レインの衣服も脱がして乾かした方がいい、だが衣に手をつけようとして指が止まった。
濡れた金の髪が白い首筋に張り付いたさまがあまりに艶めかしく、目が離せない。
流石にこれではダメだと視線をそらして距離をとった。
火がパチパチと爆ぜる音だけが洞窟内に響き静かに時が過ぎていく。
外が薄暗くなってきたと思ったら、眠っていたレインの手がぴくりと動いた。
「…………ん」
地面に散らばっていた金の髪がゆっくりと起き上がり、紅玉の瞳がぼうっと火を見つめる。完全には覚醒していないのか、眠たそうな目がヒルメスに向く。
「…………!?」
上着を乾かしているヒルメスは現在上半身裸。その姿を見てレインは目を見開いて頬を染めた。
「だ、誰!?」
「そう警戒しなくとも危害は加えない。まずは座れ」
「…………」
すごすごと座ると、先程の騒動を思い出したのか、あっと声をあげてヒルメスをじっと見つめている。
「……貴方の名は……」
レインの言葉にヒルメスが黙り込む。
本当なら直ぐにでも名乗りでたかったが、現状のヒルメスの立場では彼女を巻き込ませることになる。それと幼い頃に出会った自分を彼女は覚えているのか不安だった。
「名乗れない訳があるのですね。……なら『旅人さん』と呼んでもいいですか?」
レインの提案にヒルメスが頷くと、彼女は嬉しそうに笑ってヒルメスの方へと近づく。
「助けてくださりありがとうございます。貴方がいなければ私は死んでいました」
小さな手がヒルメスの手をとり、心からの感謝を伝えるようにギュッと握りしめる。
「あ、ああ……」
真っ直ぐ注がれる紅玉の瞳を直視できず耳を真っ赤にしながら顔をそらす。
「陽が沈んだ今は動かず、朝になったら動く。だいぶ流されたが上流の方へと遡ればどこかでそなたの仲間と合流できるだろう」
「ええ、それでいいと思います」
ふと、ヒルメスは何故彼女がパルスとマルヤムの間の地にいるのかが気になった。
「私達はマルヤムを目指していたのです。母の故郷を目指して」
そう、彼女の母親はマルヤムの王妹。母の里帰りに共についてきていたという。
ならばあの輿には王妹が乗っていたのだろう。そしてマルヤムを目指していた途中で、山賊が旅商人から金品を巻き上げているのを見つけ追い払ったらあの山賊達に目をつけられたということだった。
レインが話し終えると、我慢していたのか小さくクシャミをする。服を乾かさない状態だったため火があっても冷えるのだろう。
乾かしていた外套を取り状態を確かめてレインに手渡す。
「使うといい」
そう言っても受け取らないレインに溜息をつき、マントを羽織らせる。
「……ありがとう」
やはり冷えていたのかマントに包まるように身を縮めるレインを見て自然と笑みが零れる。
陽が沈んでしまえば食料を探すこともできない。
空腹を紛らわすように二人は他愛ない話を
して夜を過ごした。
ふと目を覚ますとあたりは暗く水のせせらぎと虫の音しか聞こえない。
疲れが溜まっていたのか、レインと話している時にいつのまにか眠ってしまったらしい。再会した彼女ともっと話したかったと後悔していると、どこからか歌声が聴こえてきた。
洞窟を見回すと既に火は消えていてレインがどこにもいない。
この懐かしい響きに耳をすませていると水の弾く音が一緒に聞こえる。視線を外に向けると、裸足のままレインが浅瀬の中にいた。
今夜は満月。
月明かりがレインを照らしてその場を輝かせている。
くるりと、彼女が水辺に舞うようにゆっくりと踊った。
くるくると回るたびに、長い金色の髪が舞う。
まるで月神に祝福された紅の蓮の花のよう。
食い入るように彼女を見つめていると、艶やかな瞳と目があった。
もう手離すことなどできないと確信する。
会うことは叶わないと思っていた存在が目の前にいることがこんなにせつなく、嬉しいことか。
一度目は幼い頃に王宮で彼女に恋をした。
そしてまた静かな旋律の中、二度目の恋をする……。
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