19.シンドゥラの第二王子



 シンドゥラ軍が攻めてきたという一報に、パルス軍は色めき立ちナルサスの指揮にてすぐさま迎撃の準備が始まった。

「本当に、私はこのままでいいのだろうか……」

 皆が準備を進める中、アルスラーンは一人ぽつりと会議室の窓から見える景色を眺めていた。

「殿下。ナルサス、ダリューン、キシュワード卿を含めたパルス軍五百騎、ただいま出立いたし……殿下、いかがなさいましたか?」

 恭しく礼をして入室したレインが、覇気のないアルスラーンの顔を見て早足に近づく。
 振り向いたアルスラーンはレインを見て申し訳なさそうにうつむいてしまう。

「そういえば、レインも私と一緒に留守番か」

「はい。貴方様をお守りするのが私の役目です。またあの銀仮面が侵入しないとも限りませんから」

「だが、そしたらそなたが一番危険ではないか。あの者はレインをーー」

「いえ、殿下のお命を狙っているのです。私は、彼が追っている『レイン』ではありませんから」

「……それはどういう……謎かけか?」

 困惑するアルスラーンにレインはくすりと笑い、「さあ、どうでしょうか」とはぐらかして、共にパルス軍の帰還を待つのであった。


 * * *

 そして、夜が明ける少し前。
 ナルサスの奇策でシンドゥラ軍に勝利したパルス軍が、ペシャワール城へと帰ってきた。
 広間で待っていたアルスラーンは、パルス軍の被害少なくシンドゥラの第二王子を捕らえたという報告にホッと胸を撫で下ろし、傍に控えていたレインと頷きあう。

 ほどなくしてナルサスとダリューン、キシュワードが広間に入室し、次いでギーヴとファランギース、最後にエラムとアルフリードが入ってきた。
 そしてアルフリードが手にもつ縄にしっかり巻かれて引っ立てられているのが、シンドゥラ国の第二王子ラジェンドラである。

 濃い小麦色の肌に彫りの深い目鼻立ちの青年王子は、アルスラーンの前で胡座をかいて笑った。

「いやあまいったまいった、見事にしてやられたわ」

 パルス語でそう陽気に笑い、悠然とその場にいる姿はまさに一国の王子らしい。

「ラジェンドラ王子、私はパルスの王太子アルスラーンです。いささか乱暴でしたが、お話したいことがあってこのようにご招待いたしました」

「ほー、驚いたな。パルスでは縄で縛って引っ立てるのを招待と言うのか?」

「これは大変失礼いたしました」

 アルスラーンが控えていたレインに目配せすると、一礼した彼女がラジェンドラに歩み寄る。

「ほう……」

 王太子の背後から現れた金髪の女にラジェンドラが目を向けると、なかなかに見目の良い女だと鼻の下が伸びている。
 自らの手で縄を解くのかと思った瞬間、レインが腰の剣を抜いた。

 ラジェンドラが驚いて身を固くすると同時に、細い剣がきらりと光り真下に振り下ろされる。

「!!」

 ぱらりと切られた縄が床に落ちてラジェンドラの身が自由になる。傷一つ付けずに縄を一刀両断したレインがラジェンドラに礼をして退がると、アルスラーンが一歩近づいた。

「失礼しました。これで対等にお話できるかと思います」

 退がるレインの後髪を目で追っていたラジェンドラが、片目を瞑ってアルスラーンを見やる。

「まあいいだろう、話とは?」

「貴方と同盟を結びたいのです。まず我々は貴方がシンドゥラの王位につけるよう、お手伝いして差し上げましょう」

「その代わり、おぬしの戦にも力を貸せと?」

「ええ、悪い話ではないと思いますが」

「面白い事を言う。国を追われた王子に何ができると言うんだ?」

 ラジェンドラの言葉にエラムとアルフリードが抗議しようとするが、アルスラーンに手で制され引き退った。

「ですがラジェンドラ殿、こう言ってはなんですが、今の御身のお立場をよく考えていただきたい」

「脅迫のつもりか? 俺の身になにかあってみろ、俺の兵たちは決して貴様達を赦しはしないぞ」

「そんな野蛮なことはいたしません」

 柔らかにアルスラーンが微笑む。
 ナルサスに叩き込まれた話術によってひ弱な王太子の外見から、堂々とした余裕のある王太子として様変わりした姿にレインは内心誇らしく思いながら主君を見ている。

「ええ、というか既にシンドゥラ国内には通達してしまいました」

 成り行きを見守っていたナルサスがすっと一歩前に出て、ラジェンドラを見つめる。

「何を……」

「ラジェンドラ王子はパルス国の王太子との間に、友誼と正義にもとずく盟約を結んだ、と」

「な、なんだと!?」

 先ほどまでの悠然とした態度から一変、顔色を失ったラジェンドラにナルサスは容赦なく言い放つ。

「さらに王子はシンドゥラ国に平和をもたらすため、国都ウライユールに進撃を開始したとも」

「貴様ら……俺を反逆者に仕立て上げようとするのか!」

「もとより、いずれ第一王子ガーデーヴィとは雌雄を決するおつもりだったのでしょう、それが少し早まったことだけですよ」

「私は貴方をガーデーヴィとの交渉に使いたくはない」

 最後のアルスラーンの言葉に、ラジェンドラは苦虫を噛み潰したような表情で聞き、顔を俯かせたかと思うと、豪快に笑いだした。

「あはははははっ! やってくれたなパルスの王太子よ!」

「協力していただけますか?」

「いいだろう、このラジェンドラがおぬしに力を貸してやる!」

 こうしてナルサスの思惑通りにラジェンドラとの同盟がなった。

 そして捕虜から賓客となったラジェンドラを招いて祝宴を開くこととなったのだ。


 悠然とした王子は陽気な客人として酒を飲み、料理を食べ、シンドゥラの歌を歌う。
 賑やかな宴を楽しそうに見ているアルスラーンを見て、レインも緊張がほぐれたように目の前の卓に並んでいる杯を取る。

「珍しいのう、おぬしが酒を飲むとは」

「ファランギース。うん、たまには羽目を外してもいいかなと思って」

 そういえば、いつかの祝宴のさいにレインは酒が弱いから飲まないようにしている、と言っていたことをファランギースが思いだした時、アルスラーンと話していたラジェンドラ王子がこちらに近づいてきた。

「美しいご婦人達よ、俺も混ぜてはくれないか」

「ラジェンドラ王子」

 レインの隣に座ったラジェンドラが笑顔で二人の杯に酒を注いでいく。並々と注がれた葡萄酒にレインがうっと気後れしていると、目ざといギーヴがファランギースの隣に腰を下ろして、ラジェンドラ王子に挑戦的な笑顔を振りまいた。

「おおっと、俺も混ぜてもらおうか。酒の肴に楽士の歌はどうだい王子様」

「面白い。では飲み比べといこうではないか」

「の、飲み比べ……」

「レイン、大丈夫じゃ。おぬしが負けても私は負けん」

「ちょっとまて! レインが飲み比べなどーー」

 ダリューンが止めに入ったが、一杯目の声かけが上がり飲み比べがはじまってしまった。

「うーん、やはりパルスの酒はなかなかに美味だな。気に入った」

「……はい。確かに、美味しゅうございますね」

「!?」

 一杯目を飲み干したレインの頬が上気し、蕩けるような甘い表情で微笑む。心なしかいつもより声調が高く、熱を帯びたような語調にその場にいた男三人(ダリューン含む)は釘付けになった。

(なっ、まさかレイン殿にこのような一面があったとは!)

(だから飲ませたくなかったんだ!!)

(この女、良い!!!)

 凜とした顔で剣を持つ姿とは真逆の、愛らしい顔で微笑む姿はまさにレイシーに瓜二つ。
 血は争えないな、と薔薇園でのことを思い出したギーヴである。

 二杯目、三杯目、四杯目といくにつれレインはぼーとした表情で杯を進めていく。そして隣のラジェンドラの杯が空なのに気づいて、あら、と可愛らしく笑みを浮かべた。

「ラジェンドラ様、杯が空でございます。今お注ぎいたしますね」

「あ、ああ」

 ぴったりと寄り添ってラジェンドラの杯に酒を注く。熟れた桃のように頬を染めるレインに、思わず喉が鳴る。

 そして一体何杯目か、あれから随分飲んだあと、ふらりとレインの後ろ髪が揺れた。

「……ふぁらんぎーす……眠いです……」

 ぱたりとレインがファランギースの膝に倒れる。

(羨ましい!!)

 男三人の意思が初めて揃った所でレインが脱落。ラジェンドラとギーヴは酔いが回っているのか、顔が赤くなっている。そんな中ファランギースだけがひょいひょいと、酒を水を飲むかのように飲み干している。

「む、ダリューン卿、殿下がお部屋にお戻りになられるようじゃ。供に行かなくても良いのか?」

 ダリューンが後ろを見れば、アルスラーンが疲れた顔で祝宴場から出て行く所だった。心配そうにダリューンがレインを見つめると、ファランギースが心得たように頷き彼女の前髪を撫でる。

 レインをファランギースに預け、アルスラーンの後をダリューンが追うと、隣のギーヴがくらくらと体を揺らしていた。

「うう、ちくしょう、頭の中で水牛が合唱して踊ってい、るっ……」

 そしてとうとう顔を真っ赤にしたギーヴが倒れた。

(くっ、この俺が酔い潰せぬとは……侮れんなこの女……)

「おお、失礼した。さてもう一杯」

「い、いや、もう十分だ。ああ! ご婦人をこんな場所で寝させるのは酷だ。俺が部屋に送って行こう」

 酔っているとは思えないほど俊敏な動作で、ファランギースの膝で寝ているレインを抱き上げる。悠々とした足取りで出て行こうとする王子を止めようとファランギースが立ち上がろうとすると、衣服をギーヴに掴まれて動きが取れない。

「くっ、ギーヴ!」

「うーん……レイシー殿〜、ファランギース殿にレインど……げふっ!」

 女神官による綺麗な蹴りがギーヴを襲ったのだった。


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