21.運命の日



 これは今から五年前のこと、パルス歴三一五年。
 エクバターナにあるとある館のバルコニーで、一人の少女が歌を歌っていた。
 波をうつ金の髪が闇夜に輝き、夜空を見上げる幼い瞳は真紅に瞬いている。

「レイシー、そのままでは風邪を引いてしまうよ、そろそろ中にお入り」

 後ろに振り返ると、赤銅色の髪を三つ編みにした彼女の父リンドバーグが優しく微笑んでいた。十七歳のレイシーは、素直に頷いて室内に戻る。

「どこか遠くを見ていたけれど、何かあったのかい?」

「それは……」

 さっと頬を赤らめたレイシーにリンドバーグはおやと目を丸くしている。恋する乙女のようにもじもじしているのを見て、彼は小さく笑った。

「まるでどこかに魂を置いてきてしまったようだね。……今度は私も一緒にマルヤムに行こうかな?」

「お、お父様」

 慌てたような素振りを見せるレイシーに、父親はくすくすと笑っていじめすぎたかなと漏らしている
 ほんの一年前、マルヤムに母親と姉と旅して以来、時折溜息を吐きながら夜空を見上げるようになったレイシーに、リンドバーグは父親として複雑な心境を抱いていた。

「レインはバフリーズ殿の甥御の所にいて帰ってこないし、私は寂しいな」

「もう、お父様ったら……」

 レイシーの双子の姉は、幼馴染が千騎長になった祝いで今夜は帰ってこないだろう。それもあってか、どうやら父は拗ねているようだった。

「お父様にはお母様がいるでしょうに……まったく。さ、夜も遅くなりますから寝ましょう」

 背中を押して父親を寝室へと送る。
 先に眠っていた母の隣に添い寝する父を見て、レイシーは嬉しいような恥ずかしいような、小さな笑みを浮かべた。
 自分も大人しく姉妹の部屋に戻り、寝台に潜りこむ。


 しばらく寝入っていると、悲鳴と怒号によって起こされた。

「え……なに……?」

 眠気眼をこすりながら体を起こすのと同時に、部屋の扉が音を立てて開き外から金の髪をなびかせた母が、息急き切って入ってきた。

「お母様、どうし……」

「レイシー、早くこちらに!」

 普段温厚な母が声を荒げて手を伸ばしてくる。腕を引かれて部屋を出ようとした時、煙の臭いが鼻につき、母の目の前に黒い人影が見えた

「!!」

 ぬっと現れたそれは、全身黒ずくめのなりをしており、手にした短剣が不気味に光っている。
 短剣を目にした母が素早くレイシーに覆いかぶさるように抱きしめると、瞬間、血飛沫が上がった。

「え」

 力強く抱きしめた母が「貴女だけでも……」と囁く。だが、続きを紡ぐ前に母は崩れ落ちた。

「ーー! レイシー!」

 父が自分と母の名を呼び、レイシーを襲おうとした黒ずくめを見つけて、血濡れた剣を振りかざす。
 地に伏した黒ずくめを一瞥した後、レイシーにひしと抱きしめたれた母親を見て、リンドバーグは拳を握りしめた。

「!」

 唇を噛み締めるリンドバーグの下、床に伏した黒ずくめの指がぴくりと動く。

「おと、さま!!」

 黒ずくめの左手に鉤爪が現れたのが見えたと思うと、レイシーは無我夢中で近くに落ちていた短剣を拾った。

 握りしめた瞬間、世界が止まったかのような錯覚に陥る。人間は窮地に陥ると世界が緩やかになってしまうのか、父親が止めなさいと唇を動かしているのさえゆっくり見える。

 黒ずくめが起き上がろうとした背中に、深々と剣が突き刺ささる。
 突き刺した所から血が溢れ、ぼたぼたと両手が鮮血で染まる。その色を目にして剣を引き抜くと、指から力が抜けて短剣が両手から落ちた。

「……おと、さま……お怪我、は」

「大丈夫、私は大丈夫だよ……!」

 レイシーに手をかけさせてしまったリンドバーグは嘆き、後悔するように彼女の血に染まった手を両手で包み込む。
 何度も何度もあやまる父に、レイシーは涙を流した。

「っ……とにかく、脱出しよう」

 リンドバーグが手にした剣を鞘に収め、倒れている母親を抱き上げる。
 今にも倒れそうな白い顔のレイシーを気遣いながら部屋を出ると、廊下は煙で真っ白になっていた。

「やはり火を放っていたか……くっ」

 父のつぶやきに煙を吸い込まないように袂で口を覆う。
 ふらふらと後についていくと、階段をおりた先は熱気と煙で渦巻く火の海だった。
 さらに玄関扉の前に、複数の黒ずくめの人間が見える。

 階段を降りた父が、玄関扉と階段から中間に位置する場所に母を横たえる。炎は館の周りをおおうように広がっていて、まだ幾分かは火の粉はかからないと判断した。

「レイシー、お母様の傍を動かないように」

 腰から下げていた鞘から剣を引き抜いて構える。
 赤銅色の三つ編みが揺れたかと思えば、黒ずくめと同時に床を蹴った。


 * * *

 幼馴染のダリューンが千騎長になったという報せはレインにとって、誇らしいものだった。
 弱冠二十二で千騎長を務めるという誉れの宴に、レインももちろん参加した。
 盛り上がる宴会に思った以上に長居をしてしまう。ダリューンの伯父バフリーズに泊まってはどうかと勧められるも、帰り支度をしたレインはダリューンに送られる形で、館に帰るのだった。

「ダリューンが千騎長か、万騎長になるのも夢じゃなくなったね」

「ああ、こうなれば最年少で万騎長になってやるさ」

 くつわを並べて帰路を進む。
 夜空を見上げると、星が海のように散らばっていた。

「……また、戦が近いって聞いた」

「ああ」

「千騎長になったからって、油断して死なないでね……」

 なにやらトゥラーン、シンドゥラ、チュルクが不穏な動きをしていると父が漏らしていたのを思い出す。
 一度戦に出れば、帰りを待つ者は毎日生死を心配する。父を待つ母を見ていたからこそ、レインの胸に不安が渦巻いてしまう。

「これが初陣という訳ではないのに、心配性だな」

「待つ身としてはずーっと心配するよ」

 ダリューンを見れば、何故か嬉しそうにしている。人が心配しているのに、とレインが思っていると、ダリューンが真剣な顔をしてこちらを見てきた。

「レイン、そんなに心配なら俺のーー」

 その言葉が言い終わる前に、前方から何かが転がってきた。
 それが人であると気がつくと、その人物は煤で汚れたように真っ黒な顔でレインの馬に取りすがった。

「姫さま! ああ、姫さま!!」

「あなた……まさか」

 館にいるはずの召使いの男の名を呼べば、男は泣きはらした後ような声で叫んだ。

「館が、何者かに襲撃されて、火を放たれました!!」

「え」

 男の言葉にレインの思考が止まり、鼓動が早くなる。嘘と呟けば、召使いは泣きながら首を横に振った。
 呆然としていると、ダリューンが召使いを愛馬の後ろに急いで座らせている。

「ーー、レイン!!」

 黙ってそれを見ていたレインはダリューンに声を掛けられて、やっと覚醒した。

「だ、ダリューン」

「とにかく館に急ぐぞ」

 力強くそう言われ、レインは頷いて手綱を握りしめる。
 駆けに駆け、館が見える所までくると、煙が見えた。

「父様、母様、レイシー!!」

 館を包む朱い炎がゆらゆらと揺れ、煙が立ち上る。
 駆け寄ると、使用人達が水を入れた桶を回して消火しようとしていた。
 奴隷制度を廃止しようと密かに動いていた父は、館の奴隷を使用人として雇い、賃金を支払うことで自由民と同じ待遇にしていた。最初は戸惑っていたが、父の温厚で人当たりの良い性格が功を奏し次第に受け入れられるようになった。
 両親が愛する使用人たちが、身の危険をかえりみず消火に奔走する姿にレインは泣きそうになる。

「まだ火が放たれてそれほど時は経っていません! 今のうちにーー姫さま!?」

 使用人がぎょっとした声に、消火を手伝おうとしたダリューンが振り返る。

「レイン!?」

 使用人の一人から桶を取って頭から水を被ったレインが炎を睨んで、走り出した。

「待て、レイン! っ、誰か俺の伯父に宰相の館に火が放たれたと伝えてくれ!!」

 ダリューンも手にした桶を全身にぶちまけ、レインを追う。

「おい、レイン! ーー!?」

 玄関から入ったレインを追ったが、すぐにレインの背中にぶつかって立ち止まる。
 一点を見つめた彼女の視線を追うと、そこには折り重なる死体があった。
 左右に二体ずつ、さらに中央に二体の事切れた死体からは赤銅色の髪と、金の髪が、見えた。

 眠るように横になった母を、守るように覆いかぶさる父。

「レイシー……」

 レインの片割れは、その後ろで燃え盛る天井を見上げていた。

「レイシー!!」

「…………」

 虚空をうつした瞳が、のろのろとこちらに視線を移す。
 その瞳に、光はなかった。


 魂を抜かれたように動かない妹を助けると、使用人に呼ばれたバフリーズが王宮から兵を引き連れてやってきた。
 数時間に及ぶ消火の末に館の炎は鎮火し、黒炭のような姿で朝を迎えた。

 後に、レインとダリューンが見た死体が父親と母親だと確認が取られ、その他の遺体は宰相を狙った暗殺者と判断された。
 レイシーに怪我はなく、体や手についた血は返り血だと判明したが、心の傷が深いのかあれから眠っては目覚めを繰り返していた。

『お姉様、マルヤムに行きたいです……』

 時折目覚めたレイシーはそうレインに言った。どうしてと問うと、本人は虚空を見つめてわからないと呟く。

『……忘れて、しまいました……どうしてでしょう』

 自分でも分からないと言うレイシーに、レインは胸が潰れる思いをした。
 
「ずっと、夢に見るの、レイシーが悲鳴を上げて私に助けを求める声を」

 こんこんと眠り続ける妹の傍を離れようとしないレインが、ダリューンにそう言った。

「私、決めた、強くなるって。たった一人だけになってしまった家族……レイシーを守るために」

 眠る妹を見ていた瞳がダリューンに注がれる。

「だからダリューン……いえ、ダリューン殿。私に剣を教えて」

 今まで父の真似事をして習っていた護身用ではい、人を守り、殺める剣を。

「…………わかった」

 一度決めたら覆さない父親の血を引いた娘に、諦めさせることは無理だと知っていた幼馴染は頷いた。

「だが、女だからといって手加減はしない」

「ええ、勿論」

(なら、レイン、誰がお前を守るんだ……)

 ダリューンの想いは言葉にならずに、胸の中に沈む。

 運命の日、双子の姉妹は最愛の両親を亡くし、二人きりとなった。


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