22.記憶の欠片
レイシーは不思議な夢を見ていた。
穴だらけの記憶を見るような、何かが欠けた夢。
それは六年前の、母と姉と共にマルヤムへ旅した日の遠い記憶だった。
パルスからマルヤムへ、国境を越えて完全にマルヤム国内へと足を踏み入れた一行は、ゆっくりと山を進んでいた。
「ミリッツァ様にイリーナ様、お元気にしてるかな」
母の乗る輿の少し前でゆったりと馬を進めていたレイシーが、姉の言葉に振り返った。
「どうしたのです、お姉様」
「久しぶりに会うから緊張しちゃって」
隣で苦笑する姉にレイシーが微笑む。
マルヤム王の娘であるミリッツァ内親王とイリーナ内親王は、二人にとって従姉妹である。だがマルヤム王家の血を引いていようとこちらは傍系、直系の内親王達へ失礼があってはならないとレインは気を引き締めていた。
「きっと大丈夫ですよ、お二人ともお優しい方ですもの」
「うん……そうだよね」
レイシーの言葉に少し自信を取り戻したのか、レインがいつもの表情に戻る。
しばらくマルヤムでの思い出話に花を咲かせていると、前方でなにやら諍いがあるのに二人は気がついた。
「お姉様、あれは」
「まさか商人が襲われている?」
旅商人の男性が数人の山賊らしき男達に囲まれているのが見える。「誰か」とレイシーが随従してきた者達に声をかけようとすると、レインが腰に帯びた剣を抜いた。
「姉様!」
レイシーが気づいた時には、剣を抜き放ったレインが馬を駆って山賊達に突っ込んで行くのが見える。
困った人を見捨てられないというのが姉の美点ではあるが、猪突猛進なのは相変わらずである。随従に姉を追わせると、間もなく商人を助けたレイン達が戻ってきた。
「まったく、考えなしに行かないでくださいまし」
「ごめんごめん、つい」
姉の無事にレイシーが安堵していると、突如レインが商人を近くの村まで送り届けてくると言いだした。
どうやら足を怪我しているのか、商人は一人で歩くのが困難で、姉は見放す事ができずに自ら送ることを提案してきた。
「お姉様……」
ため息をついて随従に送ってもらえればどうかと言ったが、レインは自分で勝手に首を突っ込んだことを途中で放棄はできないと言って引き下がらない。
結局レイシーが根負けして、誰か随従を数人連れて行くのを条件に承諾した。
姉と離れて数時間山を進むと、右手に川が見えてきた。前日の雨で水かさが上がっているのか、水の流れが激しい。
鳥のさえずりを聞きながら川を見ていると、後ろから投槍が飛んできて母の乗る輿の近くをかすめた。
「なんだ!?」
輿を担いでいた者達が投槍に気を取られて足を踏み外し、輿が大きく揺れる。母の小さな悲鳴に当たりが騒然とすると、一行の周りを何かが取り囲んだ。
「おい、レインっていう金髪の女はどいつだ!!」
姉の追い払ったはずの山賊に囲まれたと気づいた時には、大柄な男が嘲笑を上げていた。
「皆さんはお母様をお願いします」
「姫さまっ」
すぐさま状況を理解したレイシーが母を随従に託す。
この場を切り抜けるには時間稼ぎをするしかない。もう少しすればレイン達が戻ってくることに賭けて、レイシーは山賊の前に立った。
「私達に何か御用ですか?」
柔和な笑みを浮かべて出れば、その山賊の頭目と見える男が舌舐めずりをしている。
「お前がレインか、さっきは俺の部下が世話になったそうだな」
どうやらさっきの山賊が、レインに追い払われた後に頭目に縋り付いたようだ。
レイシーをレインだと勘違いした頭目の男は、相手が若い女ということに興味がそれて彼女へと距離を詰めようとしてくる。
伸ばされた男の腕から逃れて、母達を巻き込まないようにレイシーは水辺の方まで逃げていく。
「さあ、存じ上げないですわね」
あくまで素知らぬ風を装って首を傾げると、水辺を背に逃げ場を失ったレイシーを捕まえようと男が手を伸ばした。
(っ!!)
下卑た男への嫌悪感から思わず睨みつける。山賊達の遥か後方から金色の髪が揺れるのが見えた。
(お姉様!!)
急いで駆けつけてきたのか、馬上で弓に矢を番えたレインが男目掛けて放った。
「ぐわあっ!!」
飛来した矢に肩を射抜かれて男がもんどりうつ。その隙に横に避けると、矢を受けたまま男は水辺へと落ちた。
「お頭!?」
頭目が流されたとわかった瞬間に輿を守っていた随従達が、どよめく山賊達に反撃をする。
レイシーがホッとして遠くから馬を駆るレインへと視線を向けると、横合いから山賊の一人が襲いかかってきた。
「!?」
しまったと思っても時既に遅く、迫り来る剣を避けようと咄嗟に後退して足を踏み外した。
「きゃあああっ!?」
姉へと伸ばした手が空を掻く。
遠くでレインが何か叫んでいるのが聞こえたと思うと、すぐ傍で誰かを呼ぶ声がした。
「ーー!!」
視界が黒く染まり、手が強引に引かれる。
川に叩きつけられるように落ちた瞬間、レイシーは意識を手放した。
どこからか鳥のさえずりが聞こえる。
「いつかきっと、おぬしを迎えに行く」
顔の見えない誰かの声が聞こえた気がした……。
* * *
目を覚ませば、そこは銀仮面卿の館であった。
寝台から起き上がって自室を見回す。
鈍く痛む頭を押さえながら、レイシーは小さく息を吐いた。
「……また、あの夢……」
銀仮面卿、もといヒルメスがペシャワールから戻ってきてから不思議な夢に見るようになった。
夢の中でレイシーは誰かに助けられ、何かを約束した。でも目覚めれば約束の内容も、自分を助けた人のことも霧がかかったように思い出せない。
どこか頭がふわふわしたような感覚を持ちながら、身支度をして部屋を後にする。
廊下の角を曲がりある一つの部屋に入ると、そこにはサームとヒルメスがシャトランジをしていた。
「おはようございます、サーム様」
「ああ、おはよう」
テーブルにあるバスケットから林檎とナイフを手にして、二人にほど近い椅子に座る。
丁寧に林檎の皮を剥きながら、無言で駒を進めるヒルメスを盗み見る。
ペシャワールから戻ってきた彼は驚くほど静かだった。どうやらあちらで何かあったのか、シンドゥラに旅立ったというアルスラーン一行を追わずにずっとこの館にいる。
療養中のサームは、まだ包帯を取ることは出来ないが少しずつ怪我を回復させ、ヒルメスへの忠誠を決意した。
自分だけが中途半端な立場に居続けていることに自覚のあるレイシーは、身の置き場が無い孤独に一人不安を募らせている。
ヒルメスが帰ってくる前、レイシーは彼と真正面から向き合うと決めた。だがいざ顔を合わせれば言い表せない胸の鼓動と、何も言ってこないヒルメスへの不安が波のように寄せて、結局以前と変わらない状況なのであった。
「……はあ」
「どうかしたのか?」
思わず深いため息を吐けば、サームが気遣うように声を掛けてくれる。
「い、いえ、なんでもありません」
恥ずかしさにうつむいて林檎を剥けば、何か視線を感じてそろりと顔を上げる。一瞬ヒルメスと目が合ったが、すぐにそらされてしまった。
「…………」
何事もなく盤上に視線を落とすヒルメスに胸がもやもやする。
それを振り払うように林檎を切り分けて皿に乗せ、サームとヒルメスのいる卓にゆっくり置く。
「どうぞ」
「ありがとう」
林檎を手にとって美味しそうに食べるサームにやっと顔が綻ぶ。
だが、ヒルメスが無言で林檎を取ろうとするのに気づいてレイシーは緊張したように彼を見つめた。
(少しでも、喜んでくれれば……)
ヒルメスが林檎を口にしようとした時、部屋の扉が勢いよく開いた。
「銀仮面卿!」
「騒々しいぞ、ザンデ」
皿に林檎を置いたヒルメスにレイシーが落胆していると、ザンデが困惑したようにヒルメスとレイシーを見る。
「申し訳ありませぬ……ですが、ギスカール公爵からレイシー殿を王宮に呼ぶように、との通達がきまして」
「え……」
「なに?」
意外すぎる言葉にその場の空気が重たくなる。
レイシーは気が遠くなるのをやっとの思いで堪えて、ヒルメスを見つめた。
「…………分かったと、伝えておけ」
銀色の仮面からは一切表情を推し量ることは出来なかった。
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