23.心奪われたのは



 パルスが誇る王宮の庭園、美しい花々に囲まれた四阿あずまや に美貌の王妃がいた。
 白い肌に魅惑的な唇、男を虜にする瞳をもった麗しの美女は、四阿の長椅子に腰掛けてただ宙を見つめている。
 その瞳がなにかをとらえた時、冷たくかげってたそれに光が差した。

 黒いベールを纏った王妃が立ち上がる。
 彼女の視線の先には白いドレスを着た女が、泣きそうな顔をしてその場に立ちすくんでいた……。


「うう……なんと美しい再会……そうは思わぬか、弟よ」

「……ええ、そうですな」

 泣きながら王妃に駆け寄った女を眺めながら、王弟ギスカールが兄王に頷く。
 イノケンティス王が熱に浮かされたように、パルス国王妃のタハミーネに恋をしてから早数ヶ月。
 甲斐甲斐しく贈り物をしてはイアルダボート教への改宗を勧めてはいるが、当の本人は何を考えているのか分からぬ微笑みを浮かべて何も言わない。
 やっと何かを言ったかと思えば「アンドラゴラス王の首を見なければ、イノケンティス王と結婚できない」と言い出したのだ。
 こちらが揉めていることを知ってかしらずか、王妃は嫣然とそういってルシタニア側をかき乱してくる。

 そしてしばらく沈黙していたかと思えば、イノケンティス王に一つだけ願いがあると言ってきた「王宮で離れ離れになった侍女を探してほしい。面妖な銀の仮面をつけた男に連れさらわれてしまった」

 どんな難題を吹っかけられるかと肝を冷やしていたギスカールだったが、話に出てきた男が見知った人物であったためなんなく侍女を特定できた。

「やっとタハミーネの願いを叶えることができて予は幸せだ!!」

 タハミーネのために何としても探しだしてみせると息巻いていた兄王は、二人の再会に舞い上がるほど嬉しがっている。
 たったこれだけで結婚できるとは思ってはいないが、愛する女のために願いを叶えられたという満足感で自分に酔いしれているようである。

「あの侍女、小鳥のように可憐であるな。もちろんタハミーネの美しさには及ばぬが!」

「まったくそのとおりですな」

 先程からギスカールは適当な相槌しかうってないが、それに気づかないほど王は二人に、否タハミーネに熱い視線を向けている。

(それにしてもあの女、まさかマルヤム王家の血を引いているとはな……)

 ギスカールとしては、溶けない氷の王妃よりも、レイシーという侍女に興味があった。
 王妃いわく、今は亡きマルヤム王の妹を母に持ち、父はパルスの前宰相だったという。
 最初はマルヤム王家の血を引くと聞いて、王妃が彼女を使ってイノケンティス王又は自分に害をなそうとするのかと勘ぐった。兄を傷つける分にはギスカールにとって有益ではあるが、その矛先が自分に向かうことは避けたい。
 だが、タハミーネはイノケンティス王に「レイシーをギスカール公爵に預けてもいい」と言ったという。
 王妃の思惑は分からないが、こちらにくれるというなら断る選択肢はなくなる。女が王妃に操られるより早くこちらが操ればいいのだ。

「レイシー、か」

「む? 何か言ったか、ギスカールよ」

「なにも、独り言ですよ兄者」

 王妃の無事を心から安堵するように、泣き笑いを浮かべる女を見つめる。

 女の涙をはじめて美しいと、ギスカールは思った。


 * * *


 久しぶりに王宮の庭園に足を踏み入れたレイシーは、四阿に座る黒衣の女性を見つけて息をのんだ。

 突然のギスカール公爵による召集に、身の危険を感じていたが、呼び出された場所が庭園と知った今は別の意味で心臓が鳴り響くほど緊張していた。

「タハミーネ、さま」

 広い庭園内なのに、ただ独りきりでその場に佇む姿に胸が打たれる。

「タハミーネ様!」

 白い石畳の上を走って王妃の側に跪く。
 床に両手をついて顔を上げれば、唇に小さく笑みが浮かばれていた。

「レイシー、貴女が無事で安堵しました」

「勿体無いお言葉、嬉しゅうございます。タハミーネ様こそご無事で……っ、あの日からタハミーネ様の無事をずっと祈っておりました」

 緊張の系が切れたのか、タカが外れたようにポロポロと涙が零れ落ちてくる。
 王妃みずからレイシーの手を取って立たせると、白く細い指が涙をぬぐった。

「私がルシタニア王に言って、貴女をギスカール公爵の保護下におけるようにしてみせます。ここにいれば、自由はなくとも命の危険はありません」

「え……」

「もう、あの面妖な銀仮面のもとにいなくてもよいのです」

 王妃の言葉に頭を殴られたような衝撃がレイシーを襲う。
 まさかこの場に呼ばれたのはただ王妃に会うためではなく、王妃に保護されるために連れられたのか。

「……あの人は、どうして……」

「レイシー?」

 共に王宮に来たヒルメスはきっとギスカール公爵の命令に従うだろう。今、ルシタニアと事を荒立てるよりもレイシーを手放すほうがいいと。

「あっ……」

 きっと王妃の言う通りにすれば安全だろう。
 だが、それでもヒルメスと離れたくないと思ってしまう。
 どんなに冷たく酷いことをされても、たとえ裏切られようとも、ヒルメスと共にありたいと。

「……もうしわけ、ありません、タハミーネ様……私は貴女様のお傍にいることができません」

「……何故ですか」

 はじめて王妃の瞳に険がでる。

「言えません……。ですがタハミーネ様を裏切る気持ちはございません。自分の命よりも大切なものが……あります」

 裏切りと等しいことをしていることをレイシーは自覚している。ヒルメスにつくということはそういうことだ。

「……私をこの鳥籠の中で独りにするのですね」

 長い睫毛を伏せたタハミーネが呟く。

「ですが、貴女は十分私に尽くしてくれた……。いいでしょう、もう貴女は私の侍女ではありません、どこへなりと好きに生きなさい」

「っ、タハミーネ様」

「……貴女を、娘のように思っていたわ」

 枯れない泉のように溢れ出てくるレイシーの涙を指ですくい、おそるおそる髪を撫でる。まるで忘れてしまった慈しみを思い出すように。

「この手を離れた我が子のように……」

「え……」

「生きなさい」

 レイシーの目に映った王妃は、今までで一番美しく優しい微笑みを浮かべて独り鳥籠に残った。
 瞼を落とした王妃は冷たく口を閉ざして、我が子のように愛した娘を見送った。


「…………」

 庭園から出たレイシーはこちらを見つめる銀の仮面に気がついた。
 廊下の端に影のように佇むヒルメスに近づくと、強い力で腕を引かれる。

 近くの扉を開けると無人の控え室のようで、乱暴に壁際に追い詰められると、覆いかぶさるようにヒルメスが壁に手をついた。

「あの女になにを吹き込まれた」

「なんのこと」

「ルシタニアの王弟から貴様を預かると命じられた。国王か王弟どちらかの暗殺を強要されたのか!?」

「それがなんだというのです」

「失敗したら貴様の命もないんだぞ!!」

「……私を、心配してくれるのですか?」

「!!」

 自分で言った言葉に珍しくヒルメスが狼狽えている。
 彼は王妃がレイシーを利用しようと企んでいると思っているようだった。ずっと王妃を憎む彼ならそう思うのも仕方がない。
 それよりもレイシーは、ヒルメスが自分の事を心配してくれるのが嬉しかった。

「タハミーネ様へは御断りしてきました」

「なに」

 レイシーが断るとは思っていなかったのか、驚いて言葉を失うヒルメスに小さく笑う。

「そんなに驚くことですか?」

「……何を考えている」

「貴方のことだけを」

「っっーー!!」

「貴方の傍にいてもいいですか?」

「…………」

 昏い瞳が真意をさぐるように見つめてくる。

(ああ、私はいつの間にかこの翡翠の瞳に魅入られてしまったのかもしれない)

「…………好きにしろ」

「はい」

 壁から手を離して背を向けるヒルメスに頷く。
 もう後戻りはできない。
 彼について行くと決めた以上、全てを捨てる覚悟でいなければいけない。

(いつの間にこんなに惹かれてしまったのだろう)

 私の心はもうすでに彼に囚われていた。

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