28.神前決闘



 ダリューンがラジェンドラの代理として、神前決闘に出ることになった。

 戦いの支度をしているダリューンの天幕に、そろりとレインが顔をだす。真剣な表情で身支度をしている彼を見つめるだけで、声をかけることができなかった。

「……誰だ」

 ふと、ダリューンが顔を上げて天幕の出入り口を見る。鋭い視線とかち合い、おずおずと足を踏み入れた。

「あの……ダリューン……」

「ああ、レインか……」

 その言葉きりに、互いに何も言わない。
 無言で黒い手袋をつけ、剥き身の剣を鞘におさめる音だけが響く。

「……無事に、帰ってきて……」

 レインが呟いて、ダリューンの座る前にぺたんと膝をつく。

「お願いだから、絶対に死なないで……!」

 悲鳴のような悲痛な言葉に、ダリューンはゆっくりと手をレインの握りしめた拳に当てる。何故、彼女がこんなにも憔悴しているのか手に取るように分かっていた。
 もう、親しい者が死ぬのがたえられないというようにギリギリと握った拳は爪が食い込んでいる。

「絶対に死なないさ」

 ふっと、今まで鋭かった目が柔らかくなり、愛しい者を見るような視線になる。

「アルスラーン殿下の護衛であるかぎり、結婚しないと言ったそうだな」

「う、うん……」

 何故今その話になるのか分からないレインに、ダリューンの指が拳を解き優し黒い包み込む。

「それは、レイシーの行方がいまだわからぬからか」

「っ……」

 全て見透かされていた。
 ラジェンドラ王子に言った言葉は方便で、本当はレイシーの無事が確認できないかぎり、自分は幸せになる権利はないということを。

「俺は、お前に幸せになってほしい。できるなら俺の手で幸せにしてやりたい」

「ダリューン……」

 力強い腕が華奢なレインの身体を抱きしめた。
 どくんと、胸が鳴る。みるみるうちに身体中が熱くなり、どうしてか胸のうちに広がっていた悲壮感が拭われていた。

「神前決闘で戻ってきたら、俺の恋人になってくれないか……」

 突然の告白に一瞬で頭が真っ白になると、抱きしめられた腕に力がこもった。

「殿下やレイシーのことを思って結婚できないというならそれでもいい。だがどうか、俺にお前を守らせてくれ」

 返事は決闘が終わってから聞くと言い、逞しい腕が離れる。呆然とするレインにダリューンはなんとも言えない表情で笑みを浮かべながら、剣を携えて天幕を出て行った……。


 * * *

 ついに、神前決闘がはじまろうとしている。
 円形の闘技場には薪が環をつくるように置かれ、その環の内側には四方にジャッカルが繋がれていた。それを壁上の見物台から見下ろしたレインは言い知れぬ不安に襲われているた。

 ダリューンに告白されて、何かから解放されるように嬉しかった。
 彼の腕に抱かれているのが何にもまして安心できて、満ち足りていたのだ。だからこそ、これからの闘いの行く末が不安でたまらなかった。

「お願い……」

 薪の環の中央に佇む黒衣の騎士をじっと見つめる。そしてついにガーデーヴィの代理人が現れると、場が一様に湧き立った。

「死なないで……!」

「これより、ガーデーヴィ、ラジェンドラ両名の王の資格を懸け神前決闘を開始する!!」

 闘いのはじまりと同時に薪に火がつけられ、太鼓の音が鳴り響く。

 相手は二メートルをゆうに越す巨体が咆哮をあげる。獣人の如きそのなりにアルスラーン陣営全員が狼狽させた。

 巨大な戦斧を振り上げ、唸るようにダリューンに襲いかかる。
 それを盾で防ぎ跳び退さりながら剣で薙ぎ払い、突くように剣を撃ち込むが、分厚い腕は貫通すらさせない。そのまま戦斧が剣を真上から叩きつけられ、天高く長剣の破片が舞った。

「!!」

 全員が息を呑み、レインが震えながら石壁に手をつく。
 暴風のように襲う戦斧を盾で防ぎ、盾ごと巨体の顔面を殴るが痛みを感じないかのように、巨人は笑うだけだった。

「バハードゥルやれ! パルス人を八つ裂きにするのだ!!」

 カリカーラ王から向かって左側に座するガーデーヴィが、声を上げて巨人を煽る。

 バハードゥルの目に闘いに陶酔するように残忍な光が差し込み、戦斧を持ち上げようとした時、ダリューンが折れた剣を顔面に突き刺した。
 頬から口に剣が貫通して巨体が傾く。
 だがバハードゥルはギョロリとした目をダリューンに向けて殴りかかってきた。

「馬鹿な!! 何故倒れない!!」

 ギーヴとファランギースが異口同音で叫びを上げる。

 まるで邪魔な針を抜くように、折れた剣を抜いて放り投げるバハードゥル。殴られた衝撃で盾を落としたダリューンに残忍に笑いかけ、盾を遠くに蹴り飛ばした。

「ラジェンドラ殿! あの男の身体は一体どうなっているのですか!?」

 アルスラーンの叫びにラジェンドラが唇を噛んだ。

「……バハードゥルは常人ではない。あの男は痛みを感じるというのとがないのだ。だからどれほどの傷を受けようとも闘い続ける。……ダリューン卿を殺すまであの男は止まらない」

「嘘……!!」

 レインが悲痛な叫びを上げてダリューンを見る。

 嫌だ、嫌だ! 死なないでダリューン!!

「貴方は……貴方はそれを知っていてダリューンを代理人に選んだのか……」

 アルスラーンが我慢ならないように拳を握りしめる。

「知っていて、ダリューンにあんな怪物の相手をさせたのか!?」

「お、落ち着けアルスラーン殿」

「落ち着いてなどいられない!!」

 声を荒げたアルスラーンがラジェンドラを睨みつけ、剣の柄に手をかける。

「もしダリューンがあの怪物に殺されでもしたらパルスの神々に誓って、あの怪物と貴方の首とを並べてここの城門に掛けてやる。誓って、そうしてやるからな!!!」

 たじろぐラジェンドラにアルスラーンは構わず睨み返す。はじめて見せた彼の怒りに、静かな声が制した。

「落ち着きなされ、パルスのお客人」

 カリカーラ王のその一言で、アルスラーンの瞳が揺れる。

「ガーデーヴィが神前決闘の代理人を選んだのは、ラジェンドラより後のことじゃ。お客人の臣下は無双の勇者だとか。勝てぬ者はおらぬか考えあぐねての人選であろう。それほど敵から恐れられる臣下を、ご主君は信じておやりなされ」

「っ……」

 眼下で闘うダリューンを見て、アルスラーンが口を引き結ぶ。カリカーラ王に一礼すると、黙って死闘を見つめる。

 ダリューンが跳び上がって膝からバハードゥルに蹴り込む。が、舞い上がったダリューンのマントに掴みかかり、引きずるように地面に叩き落とした。

「ダリューン!!!」

 もう誰が叫んでいるかわからない状況で、全員がダリューンに振り上げれられた斧を見つめる。
 戦斧が兜を砕き、ダリューンの額から血が噴き出る。地面に手をつくが、支えきれずに倒れ伏した。

「いやああああああ!! ダリューン!!!」

 男達の歓声の中、ただ一人女の悲鳴が響き渡る。

「嫌だ、嫌よ、だってまだ、言ってない、貴方に私の気持ちを伝えていないっ!!」

 アルスラーンと共に、ダリューンと何回も叫ぶ。すでに視界は涙に濡れてぼやけていた。

「生きて!!! ダリューン!!!」

 喉が枯れるほど叫びをあげる。
 周りの歓声に掻き消されて本人には届いていないかもしれない。でも懸命に叫んだ。貴方に生きていてほしい。

 だって、私は−−。


「殿下、レイン! 見よ!!」

 いつのまにかファランギースがレインの肩を抱きしめ、眼前を見据える。

 涙を拭ったレインは、血を流しながらも立ち上がるダリューンを目にした。

 咆哮を上げるバハードゥルに、マントの紐を解き背後の火にかざす。たちまちになめるような炎がマントに燃え移り、ダリューンはそれをバハードゥルの顔目掛けて投げかけた。

 燃え盛る炎がマントからバハードゥルに移る。唸りながらマントを剥ぎ取ったバハードゥルだったが、目の前にダリューンはいなくなっており、背後から殺気が襲いかかってきた。

 ダリューンの腰にマントで隠れていた短剣が露わになり、それを引き抜いた瞬間、銀色の如き一閃がバハードゥルの首を引き裂いた。

 誰もが息を呑む。

 巨体が傾いで地面に倒れると、会場から万雷の歓声が上がった。


「ぁ……勝っ……た……」

 レインの呟きに、ファランギースが大きく頷くと、身体から力が抜けて、壁際に膝をついてしまった。

「よか……良かった……っ……ダリューン」


 大粒の涙を流してダリューンを見ると、こちらに笑いかけてくれているように見えた。

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