29.無くす者、得る者



 鳴り響く喝采が闘技場から沸き上がる。
 倒れ臥す巨体と、血に染まった短剣を持ち静かに佇む黒衣の戦士にカリカーラ王が席を立った。

「ダリューンの勝ち、すなわちラジェンドラの勝ちじゃ。神々よご照覧あれ、次のジンドゥラの国王はラジェンドラに定まった」

 カリカーラ王の宣言に場内が歓声を上げる。いたるところから「ラジェンドラ国王」と呼ばれると、ガーデーヴィが叫び声を上げた。

「認めぬぞおおおおお!!」

 神が間違ってるいるとわめき散らす王子に周りがざわめく。急変した王子にマヘーンドラが落ち着かせようとたしなめると、ガーデーヴィは怒り狂うように剣を抜いた。

「父上……私に王位をお譲りください。この剣にかけて……」

「殿下、なりませぬ!!」

「ええい黙れ!!!」

「血迷ったかガーデーヴィ!!」

 カリカーラ王に剣を向けたガーデーヴィにマヘーンドラが青ざめ、ラジェンドラが叫ぶ。

「殿下、こちらに」

 ことの成り行きを見ていたナルサスがそろそろ危険だと判断し、皆で静かに下がろうと後退する。
 レインがアルスラーンの後ろについた時、ガーデーヴィの怒声が響いた。

「者共ラジェンドラを殺せ!!」

「父上をお助けしろ! ガーデーヴィを討て!!」

 兄弟の兵士が入り乱れながら乱闘が起こりはじめた。
 巻き込まれないようにこの場を後にしようとしていたアルスラーン達にも、ガーデーヴィの手の者が行く手を阻む。
 アルスラーンの前方をエラムとアルフリードが、左右をギーヴとファランギースが守り、ナルサスが行く道を指示する。後方からの攻撃をレインが防ぐと、アルスラーンを睨みつけるガーデーヴィ王子が目に入った。

 王子が兵士から槍を奪い、アルスラーン目掛けて投げ飛ばす。

「くぅっ!!」

 咄嗟に抜いた剣を両手で持ち横薙ぎに払う。はじき飛ばされた槍にガーデーヴィの顔が憤怒に変わり、今度は自らの剣を抜いて襲いかかってきた。

「貴様らパルス人のせいで!!」

「神の名において勝敗が決まったのに、何故受け入れられないのです!」

 剣を受け止めたレインがガーデーヴィを睨みつける。
 女に説教されるとは思わなかった王子の顔が羞恥に染まり、絶対に認めないと叫びを上げる。

「黙れ黙れええ!!」

「っっ!!」

 怒りを表したガーデーヴィの斬撃がレインの衣服を割いて腕から血が滴り落ちる。

「レイン!!」

 アルスラーン達の顔色が変わった時、ガーデーヴィの兵が崩れた。
 周囲の兵を蹴散らして見物台に上がってきたダリューンに、全ての兵が息を呑む。燃え盛る闘気がその背中から放たれ、誰からともなく「猛虎将軍ショラ・セーナニー」という畏敬が叫びとなって口々にのぼった。

「っ、殿下、今のうちに」

「だがレイン!!」

「ナルサス、早く!!」

 その場の全員がダリューンに釘付けになっているこの好機に、レインがナルサスに視線を送る。

 頷いたナルサスがアルスラーンを場外に連れて去って行くと、怪我をした腕を手で押さえてレインがこちらにやってくるダリューンを見上げた。

「ダリューン」

 無言のままダリューンの背に庇われる。
 顔を見なくても分かる。怒りの沸点を超えたその姿は、まさに猛る虎のようだった。

「猛虎将軍! 猛虎将軍!!」

「な、なにが猛虎将軍だ! この俺が、この手で!!」

「なりませぬガーデーヴィ殿下!」

 静止の声を上げて立ちふさがったマヘーンドラがガーデーヴィの肩を掴む。
 これ以上罪を重ねず寺院に入り罪を償うべきと説く宰相に、ガーデーヴィが呆然と彼を見つめる。だが、ダリューンにガーデーヴィの助命を乞うた時、ガーデーヴィが薄ら笑いを浮かべた。

「パルスに尻尾を振るのか……やはり貴様は裏切り者だ」

「え……」

 ぐさりとマヘーンドラの腹部に剣が突き刺さる。皆が凍りつく中、ガーデーヴィは狂ったように笑った。

「たかがパルスの一騎士に頭を垂れろだと? 罪を償え? 坊主になれ? 誰に物を言っているマヘーンドラ!!」

 血を噴いて倒れる宰相を一瞥もせずガーデーヴィは高らかに叫んだ。

「俺は王だ! 俺が王だ!! 神々が間違っているのだ!!!」

 その声を拒絶するかのような、涼やかに弓を引く音がした。

「ぐぅっ!」

 ファランギースの矢がガーデーヴィの腕に刺さる。強引にそれを抜いたガーデーヴィが地を蹴って脱兎のごとく逃げていく。
 ガーデーヴィについて行こうとした兵士にラジェンドラが怒鳴った。

「ガーデーヴィは神意と勅命とに共に背いた。奴に従う者は大逆罪の共犯になるぞ!武器を放棄して法と正義に従え!!」

 その言葉に一人、また一人とガーデーヴィの兵が武器を捨てた。


「レイン、大丈夫か」

 振り返ったダリューンにレインが静かに頷く。
 レインの視界にマヘーンドラに縋り付くジャスワントの姿が映っているのにダリューンが気がつくと、それを隠すように場所を移動した。

「ダリューン……」

「無事で良かった」

 ギュッと抱きしめられれば、何も心配しなくてもいいと優しい言葉が耳に落ちる。

「……それは、こっちの台詞だよ……」

 ダリューンの背に手を回せば、驚いたように彼がこちらを見てきた。

「ダリューンが、死ぬかもしれないって思って……心配で……心臓が潰れるかと思った……」

「レイン……」

「私ね、ラジェンドラ王子から求婚された時は、どう断るかでいっぱいだった。……でもダリューンに告白された時ね、すっごく嬉しかったんだ……」

 逞しいその胸に顔を埋めて涙をこらえる。

 やっと、やっとわかった。
 ずっと近すぎて気づいていなかったけれど、ダリューンが傍にいることがこんなにも幸せで、とても安心できる。

「私、ダリューンが好き」

 顔を上げれば、我慢していた涙が堰を切ったように溢れて、零れていく。

「ダリューンが大好きだよ」

 その言葉に安堵したようにダリューンが微笑む。

「俺はレインを愛している」

「へ……きゃっ!」

 軽々と体を抱き上げられると、優しい口づけが唇を塞いだ。

「んっ」

「やっと、俺のものだ」

 笑顔を浮かべたダリューンが場内を出ようとすると、ふとカリカーラ王の隣にいるラジェンドラが憎たらしそうに見ているのが見えた。

(っ、忘れてたけど、全員見てる!?)

 出口の近くではファランギースが柔和に微笑み、ギーヴが面白くなさそうに見ている。

「だ、ダリューン下ろして!」

「できぬな」

「どうして!?」

「もうおぬしは俺のものだからだ」

「ええ!?」

 もがくレインを決して離すまいとダリューンが抱きしめる姿に、ファランギースとギーヴが目を合わせて笑いあった。

 この場の雰囲気に似つかわしくないやりとりだったが、逆に凍りついていた空気が溶けてパルス兵もシンドゥラ兵も笑い合う。

 こうして神前決闘の幕は降りた。
 王位を無くした者、親しき者を亡くした者がいる凄惨な事件の中、新しく示された王の名に民は歓喜し、安心しあった。

 そして新しい王、新しき恋人達の先行きに幸あれと言わんばかりのように、外の空気は澄み渡り青空が広がっていた。
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