31.好意と愛情
神前決闘で逃亡したガーデーヴィはあっけなく自分の妻に裏切られ、捕縛された。
亡くなったマヘーンドラの娘であった妻が、父の仇を討つために夫をラジェンドラに差し出したのだ。
そして、王命と神々を裏切ったガーデーヴィは宴と称した処刑の場で死したのだった。
「殿下、ご無事でようございました」
宴にパルスの王太子として招待されたアルスラーンが戻り、レインがホッとする。シンドゥラの衛兵からガーデーヴィが錯乱し、アルスラーンに襲いかかったと聞いたからだ。
「アズライールが私を助けてくれたんだ」
「そうですか……よかった……」
アルスラーンの隣に控えていたダリューンと目を合わせて頷き合う。額に巻かれた包帯が痛々しいが、神前決闘後も支障なく彼は生活している。
「ようやくパルスに戻ることができるな」
「私はナルサスと今後の事を相談してこよう」
「かしこまりました」
ダリューンと共に、アルスラーンをナルサスにあてがわれた部屋まで案内する。
扉が閉まると、ダリューンもやっと安心したように息を吐いた。
「……少し、散歩しないか」
ダリューンの言葉にレインが小さく頷く。隣合いながらゆっくり歩くと、なんとなく感慨深くなる。
「やっと、パルスに帰れるね」
「ああ」
「傷……痛む?」
「いや、そう酷くはない。おぬしに手ずから手当てしてもらえたからな」
自然と二人の足が中庭に向かう。
そこは吹き抜けになっており、上を見上げると澄んだ青空が見えた。
ダリューンの手がレインの肩に回る。
微笑みながら抱き寄せるダリューンにレインの頬が朱色に染まった。
共にいられることが何よりも幸せで、安らぐことができる。そう彼が呟いた。
「私も……私も今ではそう思える。……前までは近すぎて意識していなかったけど、アトロパテネからずっとダリューンが側にいてくれていたから、私はこうして笑顔でいられるんだって、わかる」
彼がずっと守ってくれていたから、この混乱した世情の中でも自分が自分でいられた。
「うん。やっぱり私はダリューンが好き」
改めてそう自覚すると、ダリューンは口元に笑みを浮かべてレインの額に唇を寄せる。
「俺はおぬしを愛している」
「っ……この前もそう言っていたけど……好きじゃダメ?」
「いや、やっと俺の想いが叶ったんだ。好いているでかまわん。だがいつか必ずおぬしに『愛している』と言わせてみせよう」
彼の腕が腰に回り、顔を仰向かせられて深く唇が合わさる。
「んっ……」
好きと愛しているの違いを考えながら、レインが身を委ねていると大きな咳払いが聞こえた。
ゆっくりとダリューンの唇が離れる。
振り返ると、ラジェンドラが苦々しい表情をして立っていた。
「お楽しみのところすまぬが、少々レイン殿をお借りできぬだろうか」
「このままでも構わぬが」
「いやいや、俺は彼女一人に用があるのだ」
ラジェンドラの言葉に、ダリューンが見せつけるようにレインを抱き寄せる。
「恋人を、一人で男の元にはいさせられぬのでな。このままでお話しいただこう」
有無を言わさぬ威圧にラジェンドラの顔がさらに苦虫を噛み潰したかのようになる。
「恋人、か。うむ、そうか恋人同士か。俺もレイン殿に求婚せずそうすればよかったな」
失態だ。と言うラジェンドラが、手を叩いて近侍を呼びつける。
近侍の持ってきた箱の中身を取り出すと、ゆったりと近づいてきた。
「これを、レイン殿に贈りたい。俺との出会いを忘れてもらわぬように」
それは上質な生地でできたシンドゥラの衣装であった。
「父上が身罷られ、はやくも俺が王になった。レイン殿を俺の王妃に迎えたがったが……」
ダリューンの鋭い眼光にラジェンドラは汗をかきながも、にやりと笑う。
「俺は諦めぬからな! 王妃の座を残しておくゆえ、ダリューン卿に愛想を尽かしたら俺の元に飛び込んでくるが良い!」
その時は是非この衣装を着てきてほしいと言い、レインに強引に渡す。
ふんわりとした衣装を手にすると、ラジェンドラは満足そうに頷いて去って行った。
「…………これ、どうしよう」
「捨ててしまえ」
一刀両断するダリューンにレインが苦笑する。王になるラジェンドラからの贈り物を捨てるわけにはいかず、かといって着ることは絶対にないと思いながらレインは溜息をついた。
* * *
こうして、シンドゥラでの戦いは終わろうとしていた。
慣れない異国での生活からやっと解放され、皆が伸び伸びとパルスへの帰国へ馬を進ませている時、シンドゥラのラジェンドラだけは諦めずに兵を進ませていた。
「俺の策でパルスの領地とレイン殿を奪ってみせよう」
あやしく笑うラジェンドラがパルス軍の後をつけて行く。帰国するアルスラーンへ礼と称してシンドゥラ軍三千騎を貸し与え、油断しているパルス軍の陣営に火を放ち暴れさせる。そして兵を率いたラジェンドラがそれを叩くという戦法だ。
そうして、何事もなく最初の野営をおこなおうとしていた夜。ラジェンドラの意に従ってパルスと共にいたシンドゥラ兵が火を放った。
「パルスの陣営に火がつきました!!」
「うむ、突入!!」
ラジェンドラの号令に、闇夜に紛れながらシンドゥラ兵が地を駆ける。
「アルスラーンとレインを捕らえよ!!」
外からの攻撃に、パルス軍内にいるシンドゥラ兵も呼応して挟撃するはずだった。
「なんだ、これは……」
混乱しているはずのパルス兵は人っ子ひとりいなく、天幕内はもぬけの殻。
ことの事態に困惑していると、ラジェンドラの前にごろりと首が転がってきた。それを彼が送り込んだシンドゥラの将軍だと理解した時には、眼前にパルスの兵が突如として現れた。
「!!!」
「シンドゥラの横着者よ! おぬしの奸計はすでに破れた! アルスラーン殿下のお慈悲に縋ってせめてその命をまっとうすることだな!!」
シンドゥラ人の誰もが恐れるその声は、猛虎将軍ダリューン。パルス兵を率いて現れた彼にラジェンドラだけでなく、シンドゥラ兵全員が青ざめた。
「ふ、防げ!!」
「まだ悪あがきするか! そのざまでガーデーヴィを笑えるのか!?」
「俺はガーデーヴィとは違う! 貴様らに捕まらな……」
逃げるラジェンドラの眼前に二騎が立ちふさがる。黒の髪と赤紫色の髪の人物を見た瞬間、ラジェンドラは自分の運命を呪った。
「なんでこうなった……」
こうして、ペシャワールの時と同じようにラジェンドラは捕縛されることとなった。
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