32.帰る場所



「殿下、計画通りにラジェンドラを捕えました」

 兵士の報告を聞いたアルスラーンが頷く。
 ラジェンドラからシンドゥラ兵三千を貸し与えると言われた時から、ナルサスの予想通りに全て事が行われた。

 パルス軍が油断していると思わせて、シンドゥラからの刺客三千を倒し、あたかもシンドゥラ兵が火を放ったようにみせかけてラジェンドラ達をおびき寄せる。
 ラジェンドラの目的がアルスラーンとレインだと看破したナルサスが、共に二人の身辺を守っていた。

「ナルサス、私はあの御仁がどうも憎めないのだ。殺す気になれない。私の考えは甘いだろうか」

「いえ殿下、甘いとは殺すべき者を殺さない時に使う言葉です」

「ラジェンドラ殿を生かして返してやってもよいのか?」

「無論よろしゅうございます」

 ただし、付け加えてナルサスが懲りるということを知らないラジェンドラに釘をさすと言った。

「釘をさす?」

 どうやってと言うレインにナルサスが笑った。

「いささか人の悪い演技をいたしますので、最初は殿下は黙って御見物ください」

 こうしてアルスラーン達の前に縛られたラジェンドラが連れられた。
 レインがペシャワールの時と同じだな、と思っているとナルサスがいじわるく口を開いた。

「ラジェンドラ殿は以前よりパルスの風土にご興味がおありとお見受けいたす。このまま我が軍の客人となって、パルスの名所を巡歴されてはいかがか」

「そそそ、それは困る!!」

 身代金を払わせるというラジェンドラに、ナルサスはチュルクに使者を送り救援を求めると言った。

「チュルクに!?」

「左様。我がパルス軍は今後ルシタニア軍を追い払うために全力を尽くします、シンドゥラ国には構っておれませぬ。一方チュルクの国王は侠気のある御仁と承ります。喜んで大軍を派遣し、王の居ぬ間にシンドゥラ国を平定してくださることでしょう」

 その言葉にラジェンドラが真っ青になって目を回した。完全にナルサスの手のひらで踊らされている。

「そ、そんなことをされてはシンドゥラはチュルクに併呑されてしまう! チュルク王が侠気ある男などと聞いたこともないわ!」

「おやおや、ご自分を基準にしてものを考えてはなりますまい。善良なラジェンドラ殿下」

 それが決定打となった。
 汗を大量にかいたラジェンドラがアルスラーンに全力で頭を下げる。

「アルスラーン殿、謝る。まったくもって俺が浅慮であった! どうか俺をこれ以上いじめんでくれ!」

「では今回こそ、盟約を守っていただけますね。ラジェンドラ殿」

「守る、守る、守る!」

「それではこの誓約書にご署名ください。そうしていただければ無傷で解放してあげます」

 ニッコリと笑ってアルスラーンが紙を差し出す。そこには二つの条約が記されていた。
 一つ、今回のパルス軍の協力に対しシンドゥラ金貨5万枚の謝礼を支払うこと。
 二つ、むこう三年間互いの国境を侵攻しないこと。

 縄で縛られたラジェンドラが解放されて急いで署名をする。条約が結ばれた記念に宴でもと誘ったが、そそくさと帰って行った。

「殿下!」

 ラジェンドラとすれ違うように、エラムが駆けてきた。パルス軍についてくる影があるという。

「私が見てきます」

 すかさずレインとファランギースが馬を駆ると、一騎のシンドゥラ人を発見した。
 褐色の肌に深い緑の瞳見覚えがある。それはレインと入れ違いにパルス軍の案内をしていたジャスワントだった。

「貴方……」

 レインが驚いたように目を見張ると、隣のファランギースが微笑んだ。

「決めたのじゃな」

 その言葉にジャスワントが静かに頷く。

「どういうこと?」

「殿下がこの者に共にパルスにこないかと提案された」

「殿下が……」

 とにかく殿下の元へ、とジャスワントを連れて行くと、彼を見たアルスラーンが嬉しそうに目を輝かせた。

「ジャスワント、来てくれたのか!」

 馬上のアルスラーンに、ジャスワントが両手をついて見上げた。

「俺はシンドゥラ人です。パルスの王太子殿下にお仕えするわけにはいきませぬ。もしも今後パルスとシンドゥラが戦うようなことがあれば俺は故国についてパルスと戦います!」

 アルスラーンを見上げたジャスワントの瞳が強くなる。

「ですが、俺は三度にわたってアルスラーン殿下に命を救っていただきました! その借りを返させていただくまで、殿下のお供をさせていただきます!!」

 一気にまくし立てるジャスワントにレインが小さく笑う。パルス語を練習するかのような大きな声で真面目に語る彼を好ましいと思った。

「ふふ、真面目で信義に厚そうな人ですね」

 レインに同意するようにファランギースが頷き、ギーヴが隣で苦笑する。

「理屈の多い男だ。素直についてくれば肩も凝らずに済むものを」

「理屈のない男よりも余程ましではないかな」

「私も同感」

 皮肉るファランギースにレインも笑うと、アルスラーンが馬から降りてジャスワントの手を取った。

「よく来てくれたジャスワント。心配しなくてもいい、シンドゥラとは不可侵条約を結んだ。我々が戦うのはルシタニアだ」

「そ、それなら私もなんのためらいもなく、アルスラーン殿下のおんためにルシタニア人物とかいう奴らと戦います!」

 その二人の会話に全員が微笑むように見つめる。アルスラーンの人となりは異国人おも魅力するとわかり、ジャスワントを快く迎えたのだった。

 こうして、三ヶ月に渡るシンドゥラでの戦いが終わった。

 新しい部下を得たアルスラーン達はルシタニア軍との戦い、そして新しい改革のためにペシャワールへと戻ったのだった。


 馬上でレインが小さく歌を紡ぐ。
 彼女の妹がよく歌っていた大好きな歌。

「レイシーを思い出しているのか」

 くつわを並べたダリューンがレインの歌を聞くと、うんと応えが返ってきた。

「私にはダリューンがいる。殿下やみんながいる。……でもレイシーが一人だから、心配で……」

 空は相変わらず澄んでいて雲ひとつない。
 いつかレイシーに、自分にとってのダリューンのような存在が現れればいいと願い、そして同時に仮面の男を思い出した。

(私の考えが正しければ、きっとあの銀仮面はレイシーと私を……)

 遠いマルヤムの空を思い浮かべ、心の中で自分に問いかける。

 もしもレイシーが銀仮面の側にいると決めたのなら、姉の自分はどうしてあげればいいのだろうか、妹に何をしてあげればいいのかと。
 ずっと問いかけ続けた……。

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