34.貴方を待ちながら歌う
六年前の夏の日、マルヤムに向かっている最中賊に襲われレイシーは川に落ちた。
水に呑まれたと思った瞬間手を掴まれて何かが覆いかぶさったのだけはわかったが、下流へと流れてたいく水の力に抵抗できずに流されていき、レイシーは意識を失ったのだった。
そして目が覚めた時、洞窟の中である一人の青年と出会う。
右目に布を当てた青年は偶然レイシー達が盗賊に襲われているところを見つけ、川に落ちる彼女を助けようと手を掴み己も流されたという。
彼に名を聞いたが、何か言えない理由があるのか無言だった。レイシーも無理に問わずに彼のことを『旅人さん』と呼び、共に上流へと目指すこととなった。
「っ、ここはなかなか歩きにくいですね」
日が出てから行動すると、高く生い茂る薮に足や衣服をとられて進みにくい。枝に絡まないように蔓で金の髪を結わえと、レイシーの姉の姿を真似ているように見える。
前を歩く旅人について行くと、彼は剣で枝や草を斬り払って道を開いてくれていてレイシーが転ばないように配慮してくれている。それでも慣れない道に足手まといにならないよう、慎重に歩くので精一杯だ。
「窪みがある、手を」
「はい」
差し出された手を掴みスカートを軽く上げて、窪みで転ばないように気をつける。
優しく手を取る旅人の顔をそっと見ると、無言で手を離そうとした。
「あのっ」
離れがたくなって、思わず離れた手を掴む。少し驚いたように旅人の左目が大きくなると、レイシーは声を小さくして呟いた。
「怪我して足手まといになるといけないので……手は、このまま……」
恥ずかしくなって俯くと、頭上からくすりと微笑んだ気配がした。ちらりと顔を上げると、旅人は小さく笑って手を握った。
「ああ、わかった」
こうして暫くお互い黙りながら手を繋いで先を進む。
手から伝わる旅人の温もりに、レイシーは急に彼を意識してしまいう。手を繋いでいるのは転ばないためで、ほかに他意はないと心の中で自分に言い聞かせて歩を進めた。
(でも)
洞窟の中でくしゃみをした自分に優しく外套を手渡した時や、今感じる手の感触にふと既視感を覚える。
それは幼い頃に王宮で風邪を引いて寝込んでいた時、レイシーの頭を優しく撫でた手つきと似ていた。
(まさか……)
あの時手を添えてくれた少年はもういない。彼の王子は火事で亡くなってしまったのだから。
それでも、どことなく声が似ていると思ってしまうのは、ずっと自分が彼の人が生きていると期待してしまっているからか。
「あの……旅人さんはパルス人ですよね? 何故一人で旅をしているのですか」
「…………」
「言いにくければ、無理に答えなくてもいいのですが……」
「……自ら望んで諸国を巡っているわけではない」
「え……」
「とある事情で国を追われた。だからこうして供もなく一人でいる」
枝を斬ろうと振り上げた剣が、今までより凄烈に叩き落される。
「っ……」
驚くレイシーに旅人は視線だけを向けて、口を歪ませた。
「曰くありの男に助けられ恐ろしくはないのか? 俺はおぬしからすると、国を追われた得体の知れぬ者なのだぞ」
そう言いながら、旅人は苦しそうに唇を引き結ぶ。まるで自ら自虐するような言葉を言っているようにレイシーには聞こえた。
「だとしても、貴方が私を助けてくれたことに変わりはありません……」
「…………」
「それに、私の話もしていないのに無理に旅人さんの話を聞くというのは不公平ですよね。私の名前は−−」
「いい、知っている。パルス宰相の娘なのだろう」
「え、なんで……」
「だから言っただろう、俺はパルスを追われた男だと。もしかしたら俺は宰相の娘だと知っておぬしを助けたのかもしれぬぞ」
脅すように身代金目的だと言う旅人に、レイシーは思わず苦笑する。
それは辛そうな顔をして言う台詞なのだろうか。まるでレイシーを突き放そうとしているようだ。
「いじわるなのですね、貴方は」
「なんだと?」
「死ぬかもしれないのにお金のために体を張る人がどこにいるのですか?」
「……確かにそうだな」
「ふふ、これ以上自分を悪く言って、話を変えようとするのはおよしになってくださいな」
「敵わぬな、おぬしは」
そう笑う旅人の顔は諦めたように晴れ渡っている。自分を悪く言って追求させないようにしていたのがレイシーに見透かされていた。
最初より笑うことが多くなった旅人に、レイシーはやはり昔であった王子ではないのかと考えを膨らませていた。
名前を名乗ろうとして、知っているという言葉が耳から離れない。
その言葉と似たようなことを王子に言われたことがあるのだ。それに、なるべく質素にマルヤム入りをしようとしていたレイシー達を、宰相の身内だと何故分かったのか。
(あの布が気になる……)
王子は火事によって亡くなった。
もしも旅人が左顔に当てている布の下に火傷の痕があれば、本当にあの王子かもしれない。
思い切って聞いてみようこと思ったが、唇が重く開かない。たとえ間違いだとしても、相手の傷を知ろうとするのは戸惑われた。
「……幼い頃、俺はとある場所で歌をきいた」
手を繋いだ旅人がポツリと語る。
「俺よりも年端のいかぬ娘が聞きなれぬ歌をうたっていたのだ。それがマルヤムの言葉だと知った時は、俺は必死にマルヤム語を学んだ。……そして中庭から時折聞こえてくると、その少女が来たのだと胸を高鳴らせていた」
旅人の宝物を語るような口調にレイシーが黙って耳を傾ける。
「太陽の下で金の髪を輝かせて儚く歌う少女に、幼い俺は恋をしていた。だがある忌まわしい出来事で俺はパルスから追われ、少女の歌を聞くことができなくなってしまった」
「……もしも、その少女と再会したら貴方はどうするのですか?」
「なんとしても手に入れたい。焦がれた太陽を己のものにしたいと思う。が……俺は彼女を迎えに行ける資格がいまはない。だから堂々と迎えに行ける日まで俺は足掻くと決めたのだ」
しばらくずっと歩いていたからか、ふと旅人が休憩をすると言って立ち止まった。
「ここで少しまっておれ、水を汲んでくる」
「はい……」
本当はもっと続きを聞きたかったが、口をつぐんでしまった旅人にレイシーが頷く。
川から少し離れた場所で上流を目指していたため旅人が水辺まで向かっていくのを見送る。
一人取り残されたレイシーは、近くにあった一番大きな木の下に腰を下ろした。
鳥のさえずりと風の音が混ざって耳を通り過ぎる。手持ち無沙汰に空を見上げると、今まで見えていた青空はオレンジ色に変わりつつあった。
だいぶ歩いたからか、座っていると足が重たく感じる。
(期待してしまってもいいのだろうか……)
旅人の話を聞いて胸が痛くて仕方がない。
自然と唇が歌を口ずさみ、風にのせるように声が伸びた。
雨が降っている。
貴方の声が聞こえない……。
夜明けを待つ私を抱きしめて、薔薇を散らさないように。
愛しい人、私はただ貴方を待ちながら歌っているの。涙を流しながら遠き日々を、瞼に焼き付けて。
貴方が現れるその日まで、私が枯れるその日まで。
赤い薔薇は、夢を見ている−−。
「儚い、歌だな」
がさりと草を踏む音が聞こえる。
水入れを持って近くの木に寄りかかった旅人がじっとレイシーをみつめた。
「ひたすら待つのはくるしいというのに」
「……きっといつか会えると信じているんです」
「会えたとしても、手に入らないのなら意味がない」
暗い色の外套が風ではためく。
静かに旅人がレイシーの目の前に膝をつく。何かを思い出すように、目が痛みをはらんでいた。
旅人の手が金の髪をすくい、唇を寄せる。伏せたまつ毛にすいこまれるようにレイシーが見つめていると、瞼が開いた。
「おぬしなら、迎えがくるまで待っていられるか」
まるで懇願するように切ない瞳を向けて、顔が近づく。
「……何か理由があって、こられないのなら私は待ちます」
そっと左目を覆う布を指で撫でる。一瞬旅人は驚くが、されるがままになっていた。
どくんと、レイシーの心臓が高鳴る。
きっと今しか聞けないかもしない。
「一つだけ教えてください。貴方が出会ったその少女は、パルス国宰相の娘でしたか……?」
「…………ああ」
その答えで十分だった。
こつんと自分の額を旅人に当てて目を閉じる。間違いない、この人が自分が恋をした人だ。
「なら、私は迎えがくるまで待っています。あの歌のように」
頬を大きな手が撫でて、ふわりと逞しい腕が背中に回る。
旅人がゆっくりとレイシーを抱きしめた……。
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