35.約束を胸に



 ぎゅっと手を繋ぎながら道を進んで行く。
 お互いに言いたいことは山ほどあったが、日中にどんな猛獣が現れるか分からないため静かに草を掻き分けていた。

「……少し西に行きすぎたな。川沿いの東に向かうか」

「はい」

 太陽の向きを見ながら旅人が周囲を見渡す。整備された道が無いせいか、自然と山の奥の方に進んでいたらしい。
 進路を東にかえてしばらく歩いて行く中、レイシーは徐々に体力を消耗していた。途中休憩からだいぶ歩き、日に照らされて息があがってくる。

 木の根に足をとられないように慎重に進む中、巨木に手をついて木々の間を抜けようとして指に痛みが走った。

「いたっ……」

「どうした」

 旅人が振り返り足が止まる。
 手を握っている方とは逆の指が、木の突起を触ってしまって血が出ていた。

「ごめんなさい。少し血がでただけ……」

「かせ」

「えっ」

 手にしていた剣を鞘におさめ、旅人がレイシーの手首を掴んでぐいと自分に近づける。彼は優しく指を持って流れ落ちる血を見つめて、そっと唇を寄せた。

「!?」

 驚いて言葉もでないレイシーに構わず舌が血を舐めとる。
 棘が刺さっていないか確認するように舌が動き、愛撫するようにぬるりと這っていく。
 最後に口づけを落とすと、旅人は満足したように口元に笑みを浮かべた。

「菌が入るといけないからな」

「っ……あ、りがとう、ございます……」

 頬を真っ赤にさせたレイシーに旅人がまた笑う。笑わないでという彼女に、旅人は愛おしむように目を細めて繋いだ手をぎゅっと握りしめた。

 レイシーは恥ずかしくてたまらず、旅人の顔を見れずに黙ってついて行く。
 先程までの疲労が嘘のようにぐんぐんと道を進み、耳に水のせせらぎが聞こえてきた。木々に隠れていた視界が開けて川が視界に入る。

「おいあいつらだ!! 川に落ちたのに生きてやがるぞ!!」

「!?」

 川沿いに進もうとしていたレイシー達に怒号が響く。あたりを警戒すると、彼らが向かう道の奥から、無数の男達が突如として現れた。

「まさか、あの時の!?」

「ちっ、そのようだ」

 レイシーとひと騒動あった盗賊の出現に旅人が剣を抜く。どうしてこんなところで行き当たってしまったのか分からないが、旅人は外套をひるがえしてレイシーを背に隠し、盗賊達を見据えた。

「何故貴様らがこのような場所にいる」

「けっ、おまえらの仲間に追われて逃げてきたんだよ!!」

「ちょうどいい、お頭の仇だ。ここで始末してやろうぜ」

 おまえらの仲間ということは、レイシーの姉達が盗賊を蹴散らして川沿いに南下しているということだろう。ならばあと少しすれば合流できる。

「ふん、この俺に剣を向けたことを後悔させてやろう」

 武器を手に向かってくる盗賊達に旅人が不敵に笑う。無造作に腕が動いたかと思うと、一度に三人の盗賊を斬り伏せた。

「こいつ、強い!!」

 レイシーに傷一つ付けさせずに旅人が剣を振るう。
 息を止めてそれを見ていたレイシーは、倒れた盗賊の持つ武器に目を止め、それと同時に視界の端に自分を狙う賊を捉えた。

 決して足手まといになりたくないという思いが、自然と手が弓と矢筒に向かう。

「!? なにをして……!」

 旅人が目を見開くと、レイシーが矢筒を肩に掛け、弓を引き絞っていた。

 空を引き裂く音がしてレイシーを狙っていた男を矢が貫く。

「これでも宰相の娘、弓の腕なら多少心得ていますわ!」

 凛とした声に、盗賊達が今まで自分を追っていた金の女と同視して冷や汗が流れる。
 だが旅人は矢をつがえるレイシーを見て、驚きと同時に笑いが込み上がってきた。

「ふ、はは。なかなかにじゃじゃ馬ではないか!」

「まあ、失礼ですわねっ」

 右から旅人へ襲いかかってくる盗賊に矢を射て、レイシーがむっとしながらも口元に笑みを浮かべた。

 次々と盗賊を斬りふせる旅人に、矢を射かけるレイシー。
 その攻撃から賊達が後退しようとするが、後方の男達が後ろからも来たぞと喚いた。

「おい、押すな! 前にはこいつらがっ、ぎゃあっ!!」

「ダメだ挟み込まれる!」

「逃げるぞーーー!!」

 旅人が横合いからの攻撃を斬ると、盗賊達は我先にと西の方へと逃げて行く。それを黙って二人が見ていると、北の奥側から馬が見えてきた。

「姫さまーーー!」

「あれは!」

「どうやら迎えがきたようだな」

 息をついた旅人が剣を鞘に納める。
 遠くから馬をとばしてくる者たちにレイシーがほっとすると、旅人が南の方へと背を向けた。

「俺の役目はここまでだ」

「…………お別れですか」

 静かに頷く旅人にレイシーが俯く。
 彼とのささやかな旅はレイシーが家族の元に戻ることで終わりを迎える。弓と矢筒を地面に下ろし、レイシーは旅人の背に指で触れた。

 今ここで離れたら、次にいつ会えるかはわからない。でも追いかけたくても、追いかけられない。

 国を追われた旅人を宰相の娘の自分が追いかけることは、彼をさらに危険をともなわせてしまう。レイシーが行方不明になったと知れば、きっと宰相が国中に指名手配をかけるだろう。一人でひっそりと行動している彼の足枷にしかならないのだ。

「……いつかきっと、再会できますか……?」

 ぽつりと呟くレイシーに、旅人がゆっくりとこちらに向き直る。背に触れていた手が引かれ、大きな胸に包み込まれた。

「いつかきっと、おぬしを迎えに行く」

 かき抱くように大きな手が金の髪に触れる。

 レイシーが背に腕をまわして包み返すと、旅人の両手が頬を撫でた。

「その時はきっと、俺の名をおぬしに明かそう……」

 まるで誓いの言葉を伝えるようにじっと見つめられ、レイシーの心臓が苦しくなる。
 この人を離したくない……。

「はい……待っています。きっと、貴方が私を迎えに来ると……」

 熱い吐息が落ちてくる。

 ぎゅっと抱きしめていた腕をほどけば、名残惜しそうに唇が離れた。

(待っています)

 心の中でそう反芻し、彼の姿をしっかりと目に焼き付けるように見つめる。

 最後に繋がった指が離れていく。

 彼が去るように背を向けると、レイシーを捜していた随従たちが隣にたどり着いた。

「姫さま、お捜ししておりました。ご無事で良かった……」

「……ええ」

「して、あの者は?」

「私を助けてくれた方です」

「ならば是非礼を!」

「いえ、良いのです……」

 去っていく背を見つめて、レイシーが呟く。

「きっとまた、会えますから」

 ぽたりと、雫が頬から落ちる。
 静かに涙を流しながらレイシーは一人、待つと決めた。

 いつか迎えに来てくれるその日を待って。

 初恋の人にまた恋をするように、心は想いで溢れていた……。


 * * *


 薔薇の庭園を抜けて王宮を駆け足で進む。

「なんで、私は忘れていたの!」

 ずっと今まで忘れてしまっていた約束を思い出して、レイシーは気がはやっていた。
 スカートを掴んで階段を素早くのぼる。奥くの方へと進むと、やっと息を整えて立ち止まった。

「ギスカール公」

「レイシー、そんなに息を乱してどうした」

 そこにはルシタニア兵に書簡を渡していた王弟がいた。一息吐いて息を整える。ゆっくりとギスカールに近寄ると、深々と頭を下げた。

「お願いがございます。私を銀仮面卿の元に向かわせていただけないでしょうか」

「……何故急に、そのようなことを?」

「あの方に会って話さねばならないことがあるのです」

 真剣にそうこたえるレイシーにギスカールが驚きの表情を見せて、書簡を渡した兵士に手で払う仕草をする。
 頭を下げて去るルシタニア兵士の背を見た後、ギスカールが振り返った。

「おぬしが行くというのは良いが、ザーブル城攻略中の銀仮面卿の足を引っ張ることになるのではないか」

「それは……」

「それに、ザーブル城へ行くおぬしの供をルシタニア兵から出さねばならん。往復何日もかかる場に無駄な人員はさけん」

 ここで一人で行くと言うのは簡単だが、ザーブル城までの道すがら何があるか分からない。ヘタにとびだして銀仮面卿へ不利に働かないとも限らなかった。
 レイシーが唇を噛んで俯くと、ギスカールはふむと意外そうに言った。

「一人で行くと吠えぬあたり、自分の分はわきまえておるようだな」

「え……」

 顔を上げるレイシーに王弟はかぶりを振る。

「銀仮面卿の足手まといになりたくなければ、戻ってくるのを待つのだな」

 そう言って自室へ去って行くギスカールにレイシーはうなだれた。

 静かに踵を返し、とぼとぼと王宮を歩く。回廊に差し掛かと俯いたまま立ち止まった。

「もう、待っていられないのに……」


 やっと約束を思い出したのに手が届かない。

 王宮の中から見える外の青空を眺めて、手を伸ばす。

 自分たちを隔てた長い距離を思い、レイシーは一人王宮で待ち人の帰りを願っていた……。


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