3.銀仮面卿
アトロパテネの平野に悲鳴と怒号の声が交差する。
前代未聞のパルス軍の惨敗に、アンドラゴラス王は歯ぎしりし、側で戦況を見守っていた大将軍ヴァフリーズが、王に退却を勧めた。
「陛下、もはやこの戦いに勝ちはございませぬ。お引きくだされ」
「パルスの国王にして大陸公路の保護者たる身が、むざむざ逃げ出すことができようか。自分は武人として恥というものを知っている!!」
「明日勝つために、今日の恥をおしのびくだされ」
誇り高い王の矜持が撤退の言葉を拒む。
ヴァフリーズはなおも王を説得し続け、とうとう王妃タハミーネの名を上げると、王はやっと退却するよう命令した。が、全軍退却の命令をカーラーンの配下が巧妙に嘘の伝令を流した。
「国王が逃げたぞ! アンドラゴラス三世が逃げた!!」
霧の中混乱する戦場がさらに混迷をきたす。
退却の指示が国王逃亡の流言にかき乱され、パルス兵は誰を拠り所にすればいいのかわからなくなってしまっていた。
戦場が混乱しているとも知らず、一足先に退却していたアンドラゴラス王一行は矢の雨に足止めされていた。
伏兵の矢が王と大将軍の身を貫きその場に縫いとめられる。降り注ぐ矢が止んだ時、王の眼前に奇妙な男が現れた。
その男はパルスの軍装に身を包み、顔に銀色の仮面を着けている。仮面から銀色の光が反射して濃霧の中不気味に光っていた。
「カーラーンめが上手くやりおったわ。恥知らずにも、部下を見捨てて逃げ出しおったか、アンドラゴラス。貴様のやりそうなことよな」
冴え冴えとした言葉が銀仮面から発せられ周りを氷つかせる。
ヴァフリーズが銀仮面の周辺のルシタニア兵を見渡し、剣の柄を握りしめた。
「王よ、お逃げなされ。ここはこの老骨が防ぎますれば……」
矢が刺さったまま剣を抜き放ち、ルシタニア兵を斬り捨てていく。老いてもなお凄まじい剣技にルシタニア兵は次々と斬り伏せられ、銀仮面の男へと斬りかかった。
「敗残の老いぼれが、出すぎたまねをするな!!」
怒声が響き銀仮面の長剣が振り払われる。パルスの大将軍が一刀のもとに斬り殺された。
虚しく倒れた老将を見つめ言葉もでないアンドラゴラス王は、今度は銀仮面を見やって口を開く。
「お前は何者だ……?」
茫然とする王に、銀仮面は憎々しげに歯ぎしりをし、見るものを射殺すような眼光を向ける。
「これほどの憎しみを受けながら相手が分からぬほど悪業を重ねてきたか、アンドラゴラスよ!!」
禍々しい銀仮面が憎悪の目をして、アンドラゴラス王に長剣を振り落としたーー。
荒い息をつぎながら銀仮面の男が剣を鞘におさめた。昂った激情を鎮めようとしても、心は狂喜にわいている。
「…………それを連れていけ」
無造作に配下に命令して馬首をめぐらす。
「銀仮面卿、どちらにーー」
「迎えに行かねばならないのがいる。お前たちは先に行け」
そう言い置いて馬の腹を蹴る。
パルス軍の本陣を目指して駆ける銀仮面は、口元に笑みを浮かべて嗤った。
「約束を果たす時が来たぞ、レイン!」
はやる心を反映するように速度を上げていく。
混乱渦巻くパルス本陣は王の退却に際して、屈強な騎兵はそこにいなかった。残っているのは戦場から逃げてきた奴隷兵と下級兵のみ。
羽虫を叩き落とすように下級兵を斬り殺し、天幕を渡り歩く。
「チッ、どこに行った。カーラーンはここら辺だと言っていたが……」
長年想い続けてきた少女の面影を捜して、天幕の布を荒々しくめくる。そこに想い人はいなく代わりに奴隷兵が頭を抱えて震えていた。
「……おい、この軍には女がいただろう。どこに行った!?」
「ひいっ! そ、そいつなら、馬に乗って戦場に出て行ったよ!!」
剣を突きつけられた奴隷が悲鳴を上げて大きく震える。銀仮面は目を見開いた後に、高笑いした。
「あのじゃじゃ馬め、相変わらずのようだな」
目的は王太子だろうが、同じく王太子を捜しているカーラーン辺りにでも見つかっていればいいと期待して、銀仮面が自然な動作で剣を払う。武器を持って彼を殺そうとした奴隷を殺して、天幕から出た。
「待っていろ、今迎えに行く……」
徐々に濃い霧が薄くなっていく。
纏わりつく霧を払うように、銀仮面はマントを翻したーー。
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