4.ダイラム旧領主



 濃い霧が徐々に薄まっていっている。
 だが土煙と交わって辺りは相変わらず白く染まっていた。

「父上はご無事だろうか……」

 地面に膝をついて俯いたアルスラーンが呟く。

「百戦錬磨の伯父がついております、おそらくご無事で戦場を離脱されたかと。国王陛下のほうこそ、殿下の御身を案じておいででした」

「父上が、私を……?」

 ダリューンが安心させるようにこたえると、アルスラーンの瞳と目が合いすぐに逸らした。
 嘘がつくのがヘタなダリューンにレインが内心溜息をつくと、へたり込んでいた王太子を抱き起こそうと手を伸ばした。

「これ以上、ここにとどまるのは危険です。殿下の安全の為にも早急に戦場から脱出しましょう」

 甲冑についた土埃を払いながら立たせてレインが提案すると、アルスラーンが心配そうな顔をした。

「わかった。だが、王都へ戻るにはまた戦場をつっきらねばならぬ。無茶ではないだろうか……」

 レインが考え込む素振りをすると、黙っていたダリューンが口を開いた。

「我が友ナルサスを頼りましょう。ひとまず彼のもとに身をよせ、機会を見て王都へ帰る方法を考えればよろしいかと」

「……そうね、ナルサスを頼るしかないか……」

 今すぐにも王都に戻りたいレインだったが、この戦いに勝利したルシタニア軍が王都への道を進軍しているとなると容易に戻れないと推測して仕方なく頷く。そして彼女は馬を斬り殺されていた王太子に自分の愛馬を渡した。

「殿下、私の馬をお使いください」

「だが、そうしたらレインはどうするのだ」

「私はダリューン殿のシャブラングに相乗りさせていただきます。ダリューン殿、いい?」

 レインの言葉に一瞬ダリューンが固まる。アルスラーンが首を傾げると、気づいたように咳払いをして頷いた。

「あ、ああ……」

「では殿下、私の馬にお乗りください」

 王太子を馬に乗せている間にダリューンが黒馬に跨る。
 準備が整ってダリューンの後ろから馬に乗り、一言断ってから彼の胴に腕を回すとダリューンの肩が揺れた。

「平常心……平常心……」

「? ダリューン殿?」

「い、いや、なんでもない。では行きますか、殿下」

「ああ」

 ダリューンとレインが乗った黒馬が駆け出し、アルスラーンの乗る白馬もそれに続いた。


 * * *


 霧のアトロパテネ平野から脱出して、ナルサスが住まうバシュル山の森に馬を進ませる。
 
 アルスラーンが空を見上げると、暗い空に星が瞬いていた。

「……そういえばレインもそのナルサスとは親しいのか?」

 アルスラーンの問いに、ダリューンの馬に相乗りしていたレインが頷いた。

「はい。ナルサスは今は亡き私の父を師と仰いでいました。なので私とレイシーにとっては兄のような存在なのです。昔は宮廷の書記官として名をなしていたのですが……。国王陛下との確執から今では絵を描いたり異国の書を読んだりと隠居生活をしています」

 苦笑しながら語るレインにアルスラーンが興味を持った目をした。

「ナルサスは、絵が好きなのか」

 アルスラーンの質問にレインが微妙に目をそらして黙り込む。と、察したダリューンが辟易したような声で続いた。

「まあ誰にも欠点はあるものでして」

 後ろでうんうん頷くレインに、アルスラーンが首をかしげてダリューンの話の続きを聞く。

「あの男は天行の運行、異国の地理、歴史の変化、なんでも知らぬことはごがいません。が、たったひとつ自分の絵の技量についてはいわゆるヘタの横好きーー」

 ダリューンの言葉が夜気を切り裂く白い光に消された。アルスラーン達の横を飛んだ一本の矢が木に刺さると、少年の声が一行を牽制した。

「それ以上進むと、今度は顔の真ん中におみまいするぞ。ここからはダイラムの旧領主、ナルサス様のお住まいだ、怪我をしないうちに立ち去れ」

「エラムか? 俺はダリューンだ! お前のご主人に会いにきた、ここを通してもらえぬか!」

 ダリューンの言葉に木の陰から少年が現れた。

「これはダリューン様、お久しぶりでございます。知らぬとはいえ、失礼しました」

「私もいるよ、エラム」

 ダリューンの後ろからひょこりと顔を出したレインが笑いかける。エラムと呼ばれた少年が一礼すると、先を案内するように踵を返した。

 山道を進むと、山荘が見えてきた。
 まずダリューンが馬から降りて、レインの手を取り降ろす。アルスラーンも馬から降りると、山荘の扉にダリューンが声を掛けた。

「ナルサス! 俺だ、ダリューンだ!」

 しばらくすると、ゆっくりと扉が開いて知的な顔の青年が顔を出した。

「名乗る必要はない、騒々しい奴め。一ファルサングも遠くから聞こえておったぞ」

 肩に垂らした髪が揺れて意地悪そうな笑みが見えた。

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