5.奴隷制度
バシュル山にあるナルサスの山荘に入りひと息ついた一行は、エラムのふるう料理に舌鼓をうった。
シチューを匙ですくい一口食べるアルスラーンに、羊肉の串焼きを豪快に食べるダリューン。レインは蜂蜜をたっぷりぬったパンを千切って食べている。
三人が全て食べ終わると、食後の茶を片手にナルサスを口火を切った。
「さて、だいたいの事情はわかっているが、詳しく話を聞こう。アトロパテネで我が軍は惨敗したのだな」
「カーラーンが、裏切った」
「…………」
眉を動かしたナルサスに、レインとアルスラーンが俯く。
「裏切り者を使うとは、ルシタニアの蛮族どもにも知恵者がいるものだな」
「ナルサス、アルスラーン殿下のためにお主の知恵を借りたい」
ダリューンの言葉にナルサスは茶を啜って、卓に杯を置いた。
「ダリューン、せっかくだがいまさら浮世と縁を持つ気もない」
「しかし、山奥でヘタな絵など書き散らしているより遥かにましだろう」
ヘタな絵と言われたナルサスがムッとしてアルスラーンに抗議の声を上げる。
「信用なさってはいけませんぞ殿下、こいつは
戦士の中の戦士で、ものの道理もよくわきまえておりますが、芸術を理解する心を持ちません」
ダリューンが声を上げようとした時、ナルサスが立ち上がり胸に手を当てて言い放つ。
「芸術は永遠、興亡は一瞬!」
ナルサスの芸術論にダリューンは呆れ、レインが吹き出す。アルスラーンが苦笑すると、ナルサスに向き直った。
「一瞬が今この時とすれば、手をこまねいていられない。どうかナルサス、お主の考えを聞かせてくれ」
「さて、考えと言われましても……。殿下、今更申し上げるもせんなき事ながら、父王陛下は奴隷制度を廃止なさるべきだったのです」
「……私の父も、奴隷制度を廃止したいと考えていました」
ナルサスに同意するように頷いたレインに一同の視線が集まる。
茶が注がれた器を置くと、静かに語った。
前宰相でありレインとレイシーの父であるリンドバーグはとても優秀な宰相だった。政治に無関心だったアンドラゴラス王に代わり良政を敷き、ゆくゆくは奴隷制度を廃止したいと願っていたが念願叶わず五年前にこの世を去った。
それからだ、パルスの政治に不正が横行し始めたのは。
リンドバーグの遺志継ぎ、不正を正そうとしたナルサスだったが、友を失った王はさらに政治から遠ざかり、王と衝突したナルサスは宮廷から出奔したのだった。
「殿下、私は貴方の父王に嫌われております。その私を幕僚にされればご不興が深まりましょう」
「私もダリューンも父上に嫌われている。どうせなら仲よく嫌われようではないか」
アルスラーンが小さく微笑み、その夜空のような瞳でナルサスを見つめる。小さく息をついたナルサスはそれでも首を縦に振ろうとはしなかった。
「まことに非礼とは存じますが、お約束はできません。ですが、ここにおいでの間はできるかぎりお世話させていただきます」
「わかった、無理を言ってすまなかった」
そうして、この場はお開きとなった。
欠伸を噛み殺すアルスラーンにレインが部屋まで送り、ダリューンとナルサスはそのまま呑むこととなった。
「どうだ、レインとの仲は。まあ見ていれば検討はつくが」
葡萄酒を片手にそう言ったナルサスに、ダリューンが何も言えずに沈黙する。
「戦士の中の戦士といわれた男が、女相手だとこうも不器用とは、なかなか……」
「悪かったな。……どうも俺はレイン殿相手だとどうすればいいかわからなくなる」
「相変わらずまだ敬称で呼んでいるのか」
「うるさい」
「このへたれめ、いい加減ものにしないと横から掻っ攫われるぞ」
長年レインを一途に想っているダリューンにナルサスがにやにやと笑みを浮かべる。
「まあ、レインもたいがい鈍いから手強いといえば手強いか」
「……どうやらレイン殿は俺を男と見ていないんだ」
「と、いうと?」
ダリューンがアトロパテネから脱出する際に、馬を相乗りした話を説明した。
「なるほどな、確かにレインがお前を男と見ているなら、自分からそんな提案はしないだろう。……よし、わかった。ダリューン、お前はもう少し積極的になれ」
「…………はあ?」
「レインを押し倒すぐらいしてみせろ」
「ぶっ!?」
危うく葡萄酒を吹き出しそうになってむせると、ナルサスが面白そうな目をしてダリューンを見ている。
別に初心ではないからやろうと思えばやれるが、男としてどうかと思う。それに幼いころからずっと見てきたレインのことを泣かせたくないダリューンである。
「…………」
なみなみと注がれた葡萄酒を一気に飲み干して、ダリューンが立ち上がる。ナルサスが行き先を聞くと、夜風に当たってくると言って部屋から出て行ってしまった。
「……ダリューンが敬称で呼んでいるというなら、おそらくレインもまだあいつのことを敬称で呼んでいるのだろう。……もしかしたら、あえて一線を引いているのかもしれないな」
それはある意味ダリューンを意識しているということで、気付いていないのはあの二人だけかもしれないと、ナルサスは苦笑した。
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