9.次に会ったら全力ダッシュ
夜空に瞬く星の光が入ることのできない暗闇の中、壁に掛かっている松明の炎を頼りに私はヒルメスとカーラーンさんの後ろをついて行っていた。
あのアトロパテネでの戦いでルシタニアが勝利した後、エクバターナを包囲したルシタニア軍の城攻めが本格的に激化していった。
それでも強固な守りを誇る城門はこゆるぎもしなかったようで、王都に到着したヒルメスが、内側から城門を開くと策を講じた。
王族を逃すための地下水路を通って城内に侵入するために、数人のルシタニア兵を連れたヒルメスとカーラーンさんと私が、迷路のようなこの水路を進む。
すねまである水に、足をもつれないように慎重に進んでいると前を進んでいたカーラーンさんがこちらに振り返った。
「レイン、具合は大丈夫か」
「大丈夫ですよ、具合悪いなんて言ったら銀仮面卿に置いてかれますもん」
そう笑かければ安堵したようにカーラーンさんが前に向く。アトロパテネ後に体調を崩した私を気をつかってくれているのがわかってなんだか嬉しい。
勝手に一人で落ち込んで体調を崩している場合ではない、ヒルメスについていくと決めたのは自分なのだから、もう後戻りなんてできない。
「しぶといのが私の取り柄ーー」
「どうした?」
突然立ち止まった私の方にヒルメスが顔を向けてくる。私はしっと人差し指を口元に寄せて地下水路の奥に耳をすませた。
「…………銀仮面卿、この先から話し声がします」
「なに?」
私にしか聞こえないのか、周りの皆んなはいぶかしむように顔を見合っている。信じてくれないのだろうかと思っていると、ヒルメスがついと奥を見た後、歩き出した。
水を弾く音すら立てないように進むヒルメスに、全員がならうように慎重に歩いていく。
黙って進むと、壁の松明に照らされ奥から黒いベールを纏った人が走ってきた。
「ひっ!」
「……ほう」
ヒルメスの奇怪な仮面と相対してベールの人物が悲鳴をあげる。その声が女の人であると気づくと、ヒルメスはその場の空気を凍えさせるような声を発した。
「これはこれは……光栄あるパルスの王妃様は民衆を捨て、自分ひとり脱出なさるおつもりか」
(……この人が、王妃様……?)
「あのアンドラゴラスめと似合いの夫婦と言うべきだな。片や兵を捨てて戦場から逃げ出し、片や人民を放り出して地下へ潜る……王座に座る者の威厳はどこへやら」
「……そなたは何者です!?」
「パルスにまことの正義を布こうと志す者だ」
こちらに背を向けていても、ヒルメスが冷たく王妃を見据えているだろうと声の響きで分かる。
ヒルメスの言葉に怯んだ王妃の視線が私達に向く。するとカーラーンさんを見て王妃が目を見開いた。
「万騎長カーラーン様……? 何故このような所に……」
「カーラーン”様”だと? こやつ王妃ではないな!!」
王妃の違和感に気付いたヒルメスが黒いベールを掴む。王妃の素顔が晒されると、カーラーンさんが「あれは王妃ではない」と呟いた。
「……俺の役に立たぬ者はいらん!」
憤怒のごとく呪詛を言葉を吐いたヒルメスが、王妃の身代わりであった女性の首に手をかけた。
「なっ」
「仕える主君を間違えた己を呪え、女!!」
「止めて! 銀仮面卿!!」
女性をくびり殺そうとするヒルメスに思わず叫んだ。
「…………」
闇から浮かび上がるような銀の仮面が私を見つめる。数秒見つめ合うと、ヒルメスが手を離した。
水しぶきを上げて水路に伏した体に力はない。絶命した女性を跨いでこちらに戻ってきたヒルメスに私は何も言うことができなかった。
「行くぞ」
「待て!!」
別の通路へと続く道へ行こうとしたヒルメスを、誰か違う声が行く道を遮った。
「絶世ではないにしても、美人を殺すとはなにごとだ! 生きていれば悔い改めて、俺に貢いでくれたかもしれぬのに」
松明の炎が届かない場所に、ランプの炎がゆらめく。
「まったく……か弱き女をくびり殺し、その上股の下にするとは」
赤紫色の髪をした青年が、自分のマントを脱いで倒れている女性にかけた。
「おぬしの言う”まことの正義”とやらは、人の尊厳を跨いで通るものなのか?」
青年が憤りを隠そうとせず銀の仮面を睨み付ける。
「顔を見せたらどうだ、色男」
「…………」
「それとも血液の代わりに水銀が流れているから、そんな素顔になったのか!?」
「!?」
手にしていたランプを壁の松明に投げつけられ、爆発したように炎が燃え上がる。
飛び散る火の粉をカーラーンさんが防ぐと、ヒルメスは狼狽えたように顔を俯かせた。
「ご無事ですか?」
「おぬしら、このこうるさい蚊を叩き潰せ……レインもだ」
「っ、はい」
「俺は本物の王妃を追う」
振り向かずに行ってしまったヒルメスに歯噛みする。きっと私がヒルメスを止めたことを怒っているんだ。
「おっと、つれないね銀仮面」
残ったルシタニア兵が青年を襲う。
だが多数対一にもかかわらず、青年の俊敏で流れるような剣さばきで早くもひとり倒された。
「まずは一人!」
地下水路に小さな旋風が巻き上がるかのように、青年の剣がルシタニア兵を翻弄する。
次々と兵を沈めた青年は、最後の一人を壁づたいに跳躍して一刀両断した。
「さて、残るは貴女だけだ。か弱い女性を手にかけるのは主義じゃない、大人しく降伏してもらいたいが」
「おあいにくさま、女を侮る輩に降伏するわけないっ」
鞘に収まった剣の柄を握りしめて青年の懐に走る。
「おっと!」
すぐさま鞘から抜けば、青年の剣とぶつかる。せりあいでは女に負けないと思っていたのか、長く続く拮抗に青年が驚いて剣を引く。
「逃がさない」
後退しようとする青年を追い詰めようと剣を打ちあう。剣同士がぶつかるたびに結わえた髪がひるがえる。
「っと、よく見ればなかなかの美人。さながら剣のように研ぎ澄まされ、闇夜を照らす銀色の女神!」
「は?」
「すきあり!」
歯の浮くようなセリフにまばたきをした瞬間、剣を弾き飛ばされて壁際に追い詰められる。
「美人となれば話は早い、あんな冷血仮面なんかにつかず俺にさらわれてみるというのはどうだろう?」
壁に手をついてきざったらしくのたまう青年に言葉が出ない。なんだろうこの場違いなノリは。
「それに、俺を殺す気はないんだろう?」
「……なんのこと?」
「なんだ、気づかれていないとても思っていたのか。ずっと急所を外して狙っていただろ」
「…………」
「あの銀仮面が、王妃の身代わりを殺そうとした時も止めてたしな」
にやりと笑う青年にため息をつく。
こういうタイプは凄く苦手だ……。
「確かに、殺す気はないけど貴方にさらわれる気もないよ」
ぺしっと壁についていた腕をはたく。
「ただ無益な殺生はしたくないだけ。……貴方が私を見逃してくれるなら、私も貴方を見逃す。それならどう?」
「うーむ、みすみす美人を手放すのはしゃくだが……しかたないか」
青年が壁から離れて嘆息する。
落ちていた剣を拾って鞘に収め、ヒルメス達を追いかけようと青年に背を向けると、声をかけられた。
「俺の名前はギーヴ、次に会う時は今度こそ、あんたを銀仮面のもとからさらってみせよう!」
「お断りします!!」
次会った時は全速力で逃げなければと肝に銘じて、地下水路を走る。
早くしないとヒルメスとはぐれてしまう。
ヒルメスになんて言い訳をするか考えながら、暗闇の中を急いだ。
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