10.独りきりの背中



「ぷはっ! あーっ、空気が美味しい……」

 地下水路のこもった空気でない、新鮮な空気に触れて大きく息を吸う。
 ギーヴと別れてヒルメスを追った私は、地下水路から地上に出る出口を見つけてやっと狭い道からからぬけだすことができた。

「あれ、なんか煙臭い……」

 頭上を見上げれば、王宮から炎が昇っている。チラチラと見える煙に息をのむと、遠くから悲鳴があがった。

「っ、城門が開いたんだ!」

 先に地上に上がったヒルメス達が城門を開かせて、ルシタニア兵を招き入れたのだろう。次第に血の臭いと叫び声が増えてくる。

「……行こう」

 深く息を吐いて呼吸を整える。
 濃くなっていく血の臭いに酔いかけながら、王宮へと走り出した。


「っ……酷い……」

 石畳を走って王宮の内部に進入すれば、先にいたルシタニア兵がパルス人を人形のように弄んでいた。
 武器を持たない神官に剣を突きつけ、王妃の所在を聞きながら串刺しにする。そんな残酷な人殺しを目にして、私の足が止まった。

『人間はなんでこんなに……』

 私の中の”人間”という存在が崩れそうになる。元の世界であんなに”人間”の生への渇望と、運命を覆そうとする勇気を目にしていたのに、それを嘲笑うかのように目の前の”人間”は死と生を蔑ろにしている。

「だめ……深く考えたらだめ!」

 バシンと自分で頬をビンタして息を吐く。
 荒くなっていく呼吸を落ちつかせるように、腰につるした剣を指でなぞる。
 なぜだろう、ヒルメスから貰った剣を触ると高ぶった感情が徐々に落ちついていくのが分かる。

「……うん、もう大丈夫」

 なんとか気を持ち直してヒルメスを捜そうと辺りを見渡そうとした時、ぬっと床から黒い何かが現れた。

「おわあ!?」

 いきなり出てきた物体は、黒い衣を纏った何かで、顔がある場所に気色悪い仮面をしていた。

(い、今、床から出てきた!?)

 出てくる姿がコクーンメイデンというアラガミの出方に似ている。思わず剣の柄を掴んだ私に、それはゆっくりと口を開いた。

「銀仮面卿が、貴女を捜しております」

「え、銀仮面卿が?」

 銀仮面卿の名を出したということは、ヒルメスの仲間なのか。剣から手を離すと黒衣の人物がするすると先へ進んで行く。

「つ、ついて来いってこと……?」

 薄気味悪い人物を不安に思いつつ、仕方なく後を追う。

 しばらく王宮内を歩いて行くと、酒蔵のような場所に連れてこられた。周りにはヒルメスに従うルシタニア兵が槍を構えて立っている。

「なにこれ、床下になにか……」

 床下に続く階段を覗くと、ヒルメスがそこにいた。
 彼の目の前に白い貴婦人が座している。
 その人は幾多の宝石すら霞んでしまうような、美しい美貌の女性。
 私が見ても分かる、この人がタハミーネ王妃だ。

「……綺麗な人……」

 捕えられた姿でさえ、溜息をついてしまうほど品があって美しい。

 ルシタニア兵に連れられて階段を上がっている時に、ふと目が合ってしまう。氷の宝石に見つめられたように、思わず頬が赤くなった。

「おい」

「は、はい!!」

 部屋から出て行く王妃に視線を向けていると、これまた冷たい声がかけられて振り返る。
 仮面越しでも分かる不機嫌マックスの目に見られて、反射的に視線を逸らしてしまった。

「あの男はどうなった」

「あ、あの男? ……えっと、逃げ足が速くて……逃して、しまいました」

 ヒルメスと目を合わすことができずに視線が宙を泳ぐ。

「共に残したルシタニア兵は?」

「あの男に、全員……」

「……怪我は?」

「へ? 怪我? ……あ、ああ、私? 私は大丈夫です」

「そうか」

 それだけ聞いたヒルメスが部屋から出て行く。

「…………まさか、心配してくれたの……?」

 ポツンと一人残されて首をかしげる。
 ヒルメスが心配していたと分かった瞬間、思わず頬が緩んだ。


 * * *


 翌日、エクバターナに朝日が差し込んだ。
 無残に蹂躙された王都が白日の下に晒され、ルシタニア兵が歓声を上げている。

 完全に占領された王宮はパルス人ではくルシタニア人が闊歩し、地下水路から侵入して城門を開けたヒルメスと私達に上質な部屋があてがわれた。

「まさかルシタニアの王様が、あの王妃様に一目惚れするとはなぁ」

 部屋にある立派な鏡台に向かって髪を梳かす。
 最近戦い続きでまともに櫛を通すことが出来ていなかったからか、少し通りが悪い。

「でもまあ、王妃様美人だったし、気持ちはすごくわかる」

 髪紐で一つに結わえてうんと一つ頷く。
 さてヒルメスの所にでも行こうかと考えていると、隣室から怒鳴り声が発せられた。

『ダリューンもナルサスも尋常な男共ではない!! 心してあたれとあれほど言ったではないか!!』

『申し訳ありません!!』

「……この声は、カーラーンさん?」

 いつも落ち着いていて、怒鳴ることなどみたことがないカーラーンさんが、憤るように声を荒げている。
 恐る恐る隣室に顔を出すと、顔をうつむかせたカーラーンさんがヒルメスと何かを話していた。
 そのまま立ち上がって出て行ってしまったカーラーンの横顔が、何かに追い詰められているように見える。
 そのまま放って置くことができずに、私は後を追った。


「カーラーンさん!!」

「……その声は、レインか」

 振り返ることなく、背を向けたカーラーンさんが応える。

「っ、今からどこかに行くんですか!?」

「そうだ。取り逃がした王太子を捕らえるためにな」

「わ、私も! 私も連れていってください!」

 凄く嫌な予感がする。
 決して振り返ってくれないカーラーンさんの背中が、今から危険に飛び込むかのような、覚悟を背負ったように見えてしまう。

「……それはできん」

「どうして!?」

「”あのお方の手助けになってほしてほしい”とおぬしに言うたではないか」

「……それは……」

 それは私がマルヤムに行く時に、カーラーンさんと約束した言葉。はじめてこの人に認められたと感じられた言葉だ。

「……ずるいです」

 それを言われれば、私はヒルメスの側を離れることが出来なくなってしまう。

「行ってくる」

 そのまま行ってしまおうとするカーラーンさんの背中を見ているのが辛い。
 私は精一杯気持ちが伝わるように声を上げた。

「絶対に、帰ってきてくださいね!!」

「……ああ」

 一瞬だけ、ほんの一瞬だけこちらを振り向いたカーラーンさんが笑ったような気がした。

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