19.不思議な子



 ペシャワール城の牢に捕らえられ、冷たい床に座り込んでいた私は天井を見上げていた。

 王太子側に捕らわれたと知ったらヒルメスは怒るだけろうか。……絶対怒るなと思いながら静寂の中、長い溜息をつく。
 取り敢えずどうやって逃げるか考えなくてはいけない。おそらく多少食事は出されるだろうから、その時に看守をどうにか気絶させたい。叫び声を上げさせずにどうやって気絶させるべきか……。

「定番は色仕掛けだけど……いやいやいや」

 絶対に無理だ。
 なにも武器を持っていない時の有効手段だろが、無理がある。看守を誘うような色気なんて出せない!

「自分で言ってて悲しいけど……」

 でも多分ヒルメスに提案しても鼻で笑われるだろう。
 やっぱりここは急所を殴って気絶させるしかない。機会はきっと一度きり。よしこいっと気合いを入れる。

「……ん? 足音?」

 牢に向かう階段だろうか、少し離れた所から人が下りてくる気配がする。
 丁度良いタイミングだ。不審に思われないように、捕まってショックの人間っぽく両膝を手で抱え込むように座る。
 顔をうつむかせていると、足音が牢の前で止まった。

「……食事を持ってきたのだが、食欲はあるだろうか……?」

「え……?」

 想像より年若い声に思わず顔を上げる。
 鉄の柵越に見えたのは、アルスラーン王太子だった。

「ちょ、なんで君がこんなところに!?」

「少しおぬしのことが気になって、来てしまった」

 そう苦笑する王太子が牢のカギを開けて扉を開く。難なく開いた扉を私は呆然と見つめるしかなかった。なんで王子様がこんな牢屋に来て囚人のいる扉を開く?

「……そんなに簡単に開けたら、隙をついて逃げるかもしれないよ」

「うむ、そうかもしれぬ。だが、どうしても話したかったんだ」

 ゆったりとした衣服を身に纏う姿は王族らしそうに思えるけれど、囚人に笑いかける姿がとても王族らしくない。
 王太子は中に入ると床に膝をついて、持っていた皿を置いた。そこには薄パンに林檎や葡萄、胡桃などが盛ってある。不覚にも食べ物を見てしまい食欲が湧き上がってきた。

「……食べていいっていうなら、ありがたくいただきます」

 剥いてある林檎を手にとってかじる。無言で咀嚼していると、王太子はなにが面白いのかニコニコと笑っていた。

「なんだか、おぬしとエクバターナで出会ったことを思い出すな」

「うん、まあ……ね」

「まさかこんな形で再会するとは思わなかった」

「…………」

 林檎を飲み込んで王太子を見る。
 まるで夜空を切り取ったような瞳が、懐かしそうにあの日を思い出していた。

「あの日、おぬしと話してからずっと奴隷たちのことを考えていた。私は彼らに何をしてやれるかと……そして奴隷たちに自由を与えたいという気持ちに行き着いた」

「……うん」

「このペシャワール城に逃げくる間に、とある城の奴隷たちを解放した。自由にさせてやりたいと思ったんだ……だが、奴隷たちは私を一様に非難した。奴隷たちにとってその城の主人は大切なあるじで、城主を倒した私は悪だった」

 黙って王太子の話に耳を傾けて葡萄を摘む。

「その時ナルサスに言われたのだ、寛容な主人に仕えていられれば奴隷は楽に生きられると……何も自分で考えず、命令を聞いていればよいのだから。おの時のおぬしの言葉を思い出した」

「なら君は、奴隷を解放したいと思ったことを悔やんだ?」

 私の言葉に王太子は静かにかぶりを振る。

「大きな衝撃は受けたが、悔やんではいない。それにナルサスは、奴隷たちが自由よりもその身を鎖に縛り付けることを選んだのは誤った社会制度のせいだと言った。……私はその制度を無くしたいと思う」

「……そっか、君はそう決断したんだ」

 澄んだ瞳と視線が交わる。
 なんだか少し見ぬ間に大きくなったように思う。出会った頃は迷いのある少年だと思ったのに、なんだか眩しい。

「おそらく明日、おぬしは拷問される」

 重たく告げられたその言葉に、私は沈黙する。

「あの時迷っていた私を助けてくれたことおぬしを、傷つけたくない。だから拷問される前に知っていること全てを話してくれないだろうか」

「…………」

 ああ、この子は本当に私のことを自分の事のように心配しているのが、その目つきで分かる。
 彼はきっと、相手のことを真剣に考えられる人なんだ。

「ありがとう……でも、ごめんね。私はあの人のことが大切だから、どんなに酷いことをしても見捨てられない」

 ヒルメスはいろんな事を憎んでいる。
 自分を陥れたアンドラゴラス王や、その後継のアルスラーン。過去のトラウマとして一生消えない火傷の痕。そして自分を忘れて栄えているパルスの国そのもの。
 それはまるで自分自身を焼き尽くす炎のように、あの人をさいなんでいる。

 だからこそ私はあの人の助けになりたい。あの人の剣として戦いたい。
 ちょっとでもいいから、笑顔を見たい。

「だから、私はここから逃げ出してあの人の所に戻るから」

 そう笑って言えば王太子は驚いたように目を開いて苦笑した。

「それを私に言ってしまうのか」

「あはは、ついね」

 互いに笑いあって目を合わす。

「私のこと心配してくれてありがとうね、アルスラーン」

 満天の夜空の瞳が嬉しそうに細まり、名残惜しそうに銀の髪が揺れた。

「そろそろ戻らないといけない。……レイン、おやすみ」

 静かに牢から出てカギをしめる。
 最後に一言だけ呟いて、アルスラーンは去って言った。


「…………拷問ではない方法を考える、か」

 残された皿から胡桃を取って口に放り投げる。最後に残した彼の言葉を噛みしめるように、口の中で砕いた。

「ほんと、不思議な子だなぁ」

 優しくて他人のことを考える王子様。
 きっと彼が王様になったらこの国はとても良くなるんだろうなと思いながら、立ち上がる。

「さて、私は私で有言実行しないとね!」

 アルスラーンに言った通りに絶対ここから抜け出す。そう気合いをいれて鉄の扉へと向かった。


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