21.落ちるは茜色の空
「──い、おいっ、起きろ。目を覚ませ、レイン!!」
暗闇の中で声が聞こえる。
どこからこの声が聞こえるのか手を伸ばすと、ひしと手を掴まれた気がした。
まるでなにかに縋るような声色に、私の意識が少しずつ覚醒していく。
重たい瞼を上げれば、星の海を背にしたヒルメスが必死の形相で何かを言っていた。
「……ぁ、ヒル、メス……?」
「!! レイン、俺がわかるか!」
「……う、ん。でも頭がくらくらして気が遠くなりそう……」
「血を流しすぎたんだ。待っていろ、今すぐザンデ達の部隊を呼んでくる」
「一人にするの……?」
「…………」
朦朧とする意識の中、思わず口に出た言葉にヒルメスがおし黙る。
視界が霞掛かり、ちょっとやばいなと思っていると、優しい手が頭を撫でた。
「心配をするな、すぐに戻ってくる。……貴様はしばらく眠っておれ」
「なんか、ヒルメスおかしいや。こんなに優しいなんて……怒ってると、思ったのに」
「ああ、小倅なんぞを庇った貴様を許してはおらん。が、生きているなら……また俺の元に戻ってくるなら罪には問わん」
ゆっくりと温かな手が離れていき、それと同時にヒルメスが立ち上がる気配がした。
「大丈夫、私は絶対死なないから」
安心させようと笑みを浮かべれば、ヒルメスが驚いたような、泣きそうな、なんとも言えない顔をする。ああ、私、上手く笑えていないのかな。
瞼をゆっくり閉じると同時に、ヒルメスが外套を翻す音がする。
立ち去る足音を静かに聞いていると、貧血で重たかった思考が次第に軽くなってきた。
手で体に触れれば、剣で貫かれたそこはもう塞がっている。
わかっていたのに、思わず乾いた笑いが浮かんだ。
「……ははっ……これ、絶対、ヒルメスは気がついているよね……」
あの場の誰もが、私は助からないと思っただろう。
あんなに深く剣で突き刺され、しかも自分で剣を引き抜いて大量の血を流した。普通に考えれば絶対に死ぬ。
「…………っ、これだけは、知られたく、なかったのに…………」
熱いものが目から溢れる。
神を屠る神機使いの中でもイレギュラーな存在の私は、常人よりもすぐれた五感と治癒能力を周囲に知られるのが怖かった。
化け物と恐れられるのが怖かった。
極東の元第一部隊のメンバー、今はクレイドルの仲間達に受け入れられていても、潜在的な恐怖は今も消えない。
「……もしも、嫌われたら……」
ヒルメスは己の顔に残った過去の遺恨を忌み嫌っている。どんなにあの火傷が無かったらと思っているだろう。
そんなあの人のそばに、怪我がすぐに癒える者が側にいたら……彼はどう思うのだろう。
「…………嫌だ」
嫌われたくない。軽蔑されたくない。化け物だとあの人の口から聞きたくない──。
自業自得の成れの果てに涙が溢れた。
無理やり体を起こして立ち上がる。
やっと周囲を見渡せば、そこはペシャワール城から距離をとった川辺だった。
体を引きずるように歩を進めれば、川の水はたくさんの星々を映している。
「ぁ、そっか、髪が……」
水に映った自分の短い髪が揺れる。
腰まで長かった髪は肩までしか届いていない。
その姿をぼうっと眺めていると、水に黒い影が写り込んだ。
「えっ──」
普段ならかわせる攻撃に鉛のような体が追いつかない。
しまったと思った瞬間、水面の黒いフードの男と目が合った。
「尊師の
命だ。おぬしに恨みはないが死んでもらう」
背中を強く押されて、頭から川に落ちる。
水の中でもがきながら手を伸ばしても、何かの力で強く引っ張られているかのように水底に落ちていく。
水を飲み込んで気を失う寸前、眩い黄金の光が水の底から見えた気がした。
* * *
この日パルス国の王子ヒルメスは、剣の師である
万騎長バフマンと共に城下をお忍びで視察していた。
数ヶ月前にヒルメスの叔父、王弟アンドラゴラスが大将軍としてバダフシャーン公国を滅ぼし凱旋した王都は活気に溢れており、勝利の余韻にいまだ民たちは浸っている。
「さすがは父上の民たち、パルスの国や父上を良く敬い、偉大なるパルス国の勝利を誇っているのだな!」
バザールの道端で聞こえる王や王弟、パルスに併合されたバダフシャーンの話に目を輝かせているヒルメスに、バフマンは一人目を伏せた。
(
あれはそんなに綺麗なものではない……バダフシャーン公の死と、美貌の公妃を巡る陛下と王弟殿下の諍いを面白おかしく囁いておるのだ……)
だがそんな下世話な噂話を王子に聞かせる訳にはいかない。誰よりも父王に憧れ、立派に跡を継ごうとする王子の夢を汚すことになってしまう。
「殿下、そろそろ王宮に戻りませぬと……侍女長に見つかりまするぞ」
「もう少し民の生活を見てみたいのだが……仕方ない、戻るとするか」
人の目につかないように、入り組んだ路地に入り王宮を目指す。
空が茜色に変わり始めた時、路地の隅を歩いていると銀色に光る何かが見えた。
「ん? あれはなんであろう」
「殿下?」
小走りにヒルメスが近づき、息を飲む。
銀色の髪が土煙に揺れ、血の気を失った顔が見える。
「お、おぬし大丈夫か!?」
白い顔で倒れているのが人間だと分かり、ヒルメスが駆け寄ると紫色の唇がなにかを呟いた。
「……たす……けて、ヒル……メ……」
「殿下、近づいてはなりませぬ」
「っ、バフマンのせいでこの者が何を言っているな聞こえぬではないかっ」
「ですが!」
「だが助けを求めているのは聞こえた。バフマン、この者を救えないだろうか」
王子の真剣な眼差しにバフマンが口ごもる。得たいの知れない行き倒れを救う義理はないのだが、王子は「パルス国の王子として民を救わねばならぬ」と息巻き聞き入れない。
バフマンは倒れた銀髪の人間と王子を何度も交互に見て、最後に長い溜息を吐いた。
「……分かりました。まずは我が館に連れて行きましょう」
「バフマン!」
「ですが殿下はすぐに王宮へお戻りください」
「…………わかった」
まだ心配そうな顔の王子に内心困ったものだと息をつきながら、バフマンが倒れている人物を抱え上げる。
想像以上に軽い体に驚きながら白い顔を見る。幼さの消えた年若い女であると気がつき、思わずため息をついてしまう。
(……これは困ったものを殿下に任されてしまったのやもしれぬ……)
空を見上げれば一面が茜色に染まっている。
時はパルス国三〇三年、冬。
ヒルメス王子が焼死したと言われる三〇四年の数ヶ月前の事であった。
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