この気持ちに名前をつけるなら


 どこからか悲しげな歌が聞こえる。
 愛しい人を待ちながら涙を流す儚い歌が。
 風にのって聞こえるそれにギーヴは耳をすませて聞き入っていた。

(待ち人への歌、か)

 王宮が陥落する前に薔薇園で聞いた鎮魂歌ともまた違う、美しくも苦しいなにかが胸に残る歌。

 王都を脱出し、やっとペシャワールへ到着したと思えばこの歌い手は城壁で歌をうたっていた。長旅の疲れを癒したのか、湯浴みをし丁寧に梳った金の髪は夜露に濡れた花のように美しく、複雑に編み込んでまとめている。

 ふと、風が吹いて白い絹のドレスが揺らめき見つめていた横顔がこちらに向いた。

「また盗み聞きですか?」

「おや、気づかれてましたか」

「ええ、二度目ですから」

「これもアシ女神の導きか、美しい歌声に吸い寄せられましてね。あの時の鎮魂歌ともまた違った歌に聞き入ってしまった」

「ファランギースの所に行っていても良いのですよ」

「なんですと?」

 目を丸くするギーヴに彼女は少し拗ねたように咎める。

「私とファランギースを秤にかけている貴方の事です。偶然ここを通りかかって私を見つけたのでしょう? 私に構わずファランギースを口説きに行ってくださいな」

 本気でそう言う彼女にギーヴはどうしたものかと唸る。どうも王都脱出後に出会った絶世の美女ファランギースを彼女の目の前で口説いたのがいけなかったらしい。あれ以来旅の道中はつっけんどんであった。

 途中で王太子と最愛の姉に再会してからは機嫌も良かったが、ギーヴの前ではぷいとそっぽを向いてしまう。王宮での凛と気丈に振舞っていた時とはまるで違う、乙女のような表情が可愛らしくて、思わず緩む口元を隠しながら少しずつ距離を詰めていく。

「それは、嫉妬ですかな?」

「嫉妬? 何故私が嫉妬しなければいけないのですか。不愉快なだけです」

「それを嫉妬というのですよ」

 ゆっくりと近づいて顔を覗き込めばびくりと頬を染めて俯く。

「っ……だって……せっかく貴方の手を取ったのに、すぐに他の女性にうつつをぬかすから……」

 ごにょごにょと呟いた言葉にギーヴのなにかが弾け飛んだ気がした。

「レイシー殿!」

「ひゃあ!?」

 衝動的に華奢な体を抱きしめれば、仄かに湯浴み後の良い香りがする。

「な、なななななにをするのですかギーヴさん!?」

 離れようともがくレイシーをギーヴは離そうとしない。

「ううむ、これは本気でレイシー殿に惚れたかもしれん」

「な、何を言っているのですか!?」

「これまで何度浮気を咎められてもなんとも思わなかったのに、レイシー殿だと嬉しく感じるとは」

「そもそも浮気ではないと思います!」

「これは重症かもしれん」

「だから何がですか!」

「この恋が」

 真っ直ぐギーヴに見つめられ、レイシーがうろたえる。そして何かをこらえるように呟いた。

「……貴方のそれは、恋ではありませんわ」

「レイシー殿?」

「風のような貴方は女という花を渡り歩く蜜蜂。そこに花があるから蜜を集めたくなる。私から見れば貴方は恋に恋をしているだけです」

「…………」

 するりとギーヴの腕が離れて、黙ってレイシーを見つめる。ふと、先程の歌を思い出した。

 ずっと愛しい人を待つ歌。
 それは彼女のことなのか。
 彼女は誰かに恋をしているというのか。

「……だとしても、俺は待つような主義は持ち合わせていないようなので」

「え……」

「待つぐらいなら、自分から奪いにいきますよ」

 ちゅっと額に唇を落とせばレイシーが林檎のように顔を真っ赤にさせてたじろいでいる。

「この恋がまやかしなのだと貴女が言うのなら、レイシー殿、貴女を俺という恋に落としてみせよう」

 ギーヴの恋を否定するのなら、レイシーの恋を奪ってみせる。
 そう囁くギーヴの瞳に、レイシーは目を離せないでいた。



 ああ、歌が聞こえる。
 恋い慕う誰かをずっと待っている歌が。
 貴女が誰かを待つのなら、俺はその誰かから貴女を奪ってみせよう。
 だからその瞳をこちらに向けて。
 俺の知らない男を待って泣くよりも、あんたの笑った顔が見たいから……。


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