誓約
「ねぇ、シャプール」
「なんでしょうか、姫様」
「わたし、シャプールが大人になって戦に行ってしまうのは嫌だわ」
「…………」
「だって、戦で帰ってこなくなるかもしれないって、ばあやが……」
「……絶対に、帰ってきますから」
「え?」
「姫様のもとに絶対帰ってくると、誓います」
「……ほんとうに?」
「パルスの神々に誓って」
「なら、約束よ!!」
今でも、あの時の記憶は薄れることがない。まだ少年だったころの自分と、小さなお姫様の約束。
あの時のこみ上げるような笑みが忘れられずに、大人になった今でも側で見守り続けていたいと願ってやまない。
【誓約】
王都エクバターナのバザールは活気に満ち溢れ、人通りが激しい。国王が戦に勝って帰ってきたためか、人々は国王の勝利とパルスのさらなる繁栄を祝う祝賀ムードである。
そんな中、人混みをかき分けるようにひらりと絹のスカートが通り抜け走って行く。
時折後ろを振り返る女性の顔は、頭から被った白い衣で見ることが出来ない。まるで何かに追われているのか、辺りを見渡して店と店の細い隙間を通る。
女が隙間を通って少しすると、屈強な男達が何やら騒ぎながら走ってきている。
「ひめーーじゃねぇ、お嬢ー!! どこにいるー!!」
左目に傷のある男が辺り構わず叫ぶと、周りの人々が驚いたように振り返る。
「あれってたしか……」
「万騎長のクバード様じゃないか?」
「なにをしているんだ一体?」
バザールで買い物をしていた人が口々に囁いていると、クバードと呼ばれた男の隣にいた男が舌打ちをしてクバードを睨みつけた。
「おい、目立ってどうする。万が一にも王女が王宮からいなくなったと知られたらどうするつもりだ」
「どうするもなにも、もうお前が言っているだろうが。ま、姫さんの顔を知る人間なんてこん中にはいないだろうし大丈夫だろ」
「クバード!」
「シャプールよ、こんな所で油を売るより他にやることあるだろ。おら、さっさと姫さん捜すぞ」
「おぬしに言われるまでもないわ!」
くわっと蛇が敵を威嚇するようにクバードを睨みつけると、シャプールと呼ばれた男は人混みをおしのけながら先を進むのであった。
「……どうしよう、もう気づかれている……」
路地の物陰からやり取りを見ていた女は両手を握りしめながら困惑していた。
彼女の名前はフォルトゥナ
パルス国王の娘である王女であり、王太子アルスラーンの姉であった。
小さな思いつきで王宮を抜け出し、バザールにまでやってきたのだがこんなに早く抜け出したのがばれるとは思わなかった。
しかも捜索隊は万騎長シャプールとクバード。水と油のように反りの合わない二人だが、あの二人にかかれば小娘一人連れ帰るのは容易い。
フォルトゥナは衣を深く被り直して路地から出て行った。目的の場所を目指して。
「意外とすばしっこいな姫さんは。目撃情報は多く集まるが、追いかけてももぬけの殻とは」
「だいたい王女の目撃情報などあてになるのか。似姿を聞いただけでは似たような女を掴まされるだけだろう」
「だとしても姫さんなら後ろ姿で分かるだろうよ。れっきとした王族なんだ、気品や佇まいで判別すればいい」
「だとしても労力がかかるだろう、おぬしはーー」
「おっと、いたぜ姫さん」
シャプールが苦言を呈そうとした時、野生の目をしたクバードが明後日の方向を見て走り出した。
「おい待てクバード!!!」
シャプールが追いかけると、その先には見慣れた白い衣装を身に纏った女性が驚いたようにこちらを見ている。
顔を隠す衣が風になびき、王女と同じ瞳と目があう。
瞬間、王女がひらりと踵を返して逃げて行った。
「おいおい、あの大人しい姫さんが逃げ足速いとか聞いてないぜ」
「……おい、二手に分かれるぞ」
クバードと別れて狭い路地に入り走って行く。王女の行き先は予想はついていた。
昔、幼い王女は今と同じように王宮から抜け出しバザールに顔を出していた。王女が王宮からいなくなったと知った俺はバザールを駆けずり回り、最後にある場所で王女を見つけた。
「………あまり感心できませんな、王女」
「シャプール……」
入り組んだ路地の奥にある見世物小屋の横、そこには大きな荷箱や樽が積まれている。そこに王女はあの時のように隠れていた。
「貴女はもう立派な大人だ。幼いころのように戯れでは済まされない」
「…………ごめんなさい」
「何故、王宮を抜け出したのですか」
「……貴方に、これを渡したく……て」
俯いた王女が手に持っているものを差し出す。
それは色とりどりの刺繍糸が合わさった組み紐だった。
「侍女の噂話を聞いて….…ある店で売っている組み紐を大切な人に渡せば、絶対に戦から戻ってくると。……また、戦があるから……貴方に渡したくて……」
ふと、顔を上げた王女と目が合い、見つめ合う。
普段なら、店側が物を売りつけるための法螺だと切り捨て、自分自身もそんな迷信は信じない。だが、目の前の彼女の”想い”に気がついてしまった。
「……”絶対に帰ってくる”」
「っ!」
口に出たのは昔の口約束。
それでも王女は今にも泣きそうな微笑みを浮かべた。
「”姫様のもとに帰ってくると、誓う”」
「本当に……?」
「”パルスの神々に誓って”」
「シャプール!!」
王女が髪が揺れたかと思うと、優しい温もりが抱きしめられた体に伝わる。
「王女!?」
「お願い……今だけは……許して……」
微かに震えている体に気がつくと、思わず頭を撫でてしまう。
「貴方が……いつか帰ってこないかもしれないと思うと……こわくて……」
「約束をしたのを忘れたのですか?」
ふるふると首を振る姿可愛らしくて、つい笑みが浮かぶ。
「何があっても、貴女のもとに戻ってきます」
「ええ、信じます……。貴方を待っていますから……」
王女の唇が頬に寄せられ、口づけられた場所が熱く火照る。まるで、誓約するかのように。
何があろうと、この方を守ると己に誓った。
そして、この方のもとに帰ってくると、あの時から誓ったのだ。
たとえ認められずとも、引き裂かれたとしても、身分違いな想いだとしても。
貴女のもとに、必ず戻ってきます。
俺のたった一人の姫様……。
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