ともに堕ちてしまえたなら
愛した女は憎き仇の娘であった。
両親から沢山の愛を受け、何不自由なく生きてきたお姫様。きっと何事もなければ、俺はその愛らしい手をとり共にパルスの未来を紡いでいけたかもしれない。
だが運命は無情にも別の未来を歩み、俺はあの両親の間に生まれた彼女を恨んだ。
「今更悔いても詮無きことか……」
目の前には奴隷商人が今日の目玉として連れてきた美しい女。
鎖に繋がれた女の目は虚ろで、焦点の合わない瞳はどこか宙を彷徨っている。王宮の庭園で笑っていた笑顔は見る影もなく、彼女が絶望の底に堕ちてきたのだと確信した。
「やっと、ここまで堕ちてきたのだな……フォルトゥナ」
綺麗で汚れを知らない俺の可愛いお姫様。
憎くて憎くて、殺してしまいたいほど愛していた。王宮に攻め込んだ時は彼女をこの手にかける気であの場にいたのだ。
だが目の前にいるのはどうだろう、姫とは名ばかりの奴隷となった可愛い人。
「俺はずっとこの時を待っていたのかもしれない……」
* * *
ルシタニアがパルスを占領したという報らせは周辺諸国を震撼させた。
国王アンドラゴラスは生死不明、王妃タハミーネはルシタニア国王に求愛され、王太子アルスラーンは東のペシャワールを目指して再起を目指すが、先行きは芳しいとはいえない。
そしてタハミーネ譲りの美貌を有する王女フォルトゥナは、王宮から脱出をはかり今も行方が知れない。
パルスの貴族は日和見を決め込み、民はこの先の未来に不安と絶望をないまぜにして暮らしていた。
そんな中、とある貴族の館に居を移していたルシタニアの客将・銀仮面卿がとある女を連れ帰ってきた。
透き通るような白い肌に長く縁取る睫毛、唇は淡く色づき、薄い金の髪は胸元まで流れている。
見目の良い召使いですら霞むほどの美しいかんばせだったが、その瞳だけはどこか宙を見るような溟い色を宿している。
銀仮面卿曰く、奴隷商人を殺して手に入れた女だという。どうしてそうなったかは分からないが、自分の名前すら分からず記憶を失っているらしい。
それ以来銀仮面卿は一時も彼女を傍から離そうとせず、溺れるように女を求めた。
「フォルトゥナ……俺のフォルトゥナ……」
「…………」
幸福に浸るように愛しい姫の名前を呟く。
眼前の女は虚無を映すような瞳を男に向けるだけ、男の醜い火傷の顔すら何も思わずに天井を見ていた。
「憎い……アンドラゴラスとタハミーネの間に生を受けたお前が憎い」
寝台の上で女に覆いかぶさりながらそう言う彼は、何も言わない女の唇を指でなぞり幸せそうに口付けをする。
「何も知らずに無邪気に笑っていた俺の可愛いお姫様、堕ちるところまで堕ちればいいと思っていた」
己は愛しい姫の両親に暗殺されかけ、死に物狂いでここまで這い上がってきた。
だが彼女はどうだろうか、汚い男とは違い真っ白なままで成長した美しい姫君。
「お前の全てを壊してやりたかった」
だが奴隷となり記憶を失ってもなお、彼女の美しさは消えることなく、かえって今にも手折られそうな儚い美しさを纏っている。
「…………だん、な、さま」
「なんだ、フォルトゥナ」
「なかないで……ください」
ずっとどこかを見つめていた女がふらりと手を伸ばして男の頬を撫でた。生温かい液体が頬を伝い女に落ちる。
「ああっ……フォルトゥナっ、フォルトゥナっ」
噛み付くように唇を奪い、傷のない肌を撫でる。深く深く唇を蹂躙すれば女は恍惚そうに頬を上気させて男の背中に腕を回す。
「俺と共に堕ちてしまえればどんなに幸せだろうか」
互いに吐く息の熱さに眩暈がする。
胸元に舌を這わせキスを落とすと、それだけで彼女の全てを支配したような錯覚に陥る。
狂ったように互いを愛し、求めあえればそれだけで満たされるだろうか。
「お前が憎いフォルトゥナ」
殺したいほどに憎くて憎くて、そしてそれ以上に……。
「お前を欲してやまないんだ」
狂った男女の、狂った愛の形。
どこまで堕ちれば互いに赦しあえるのだろうか。
堕ちる先は幸か不幸か、誰にもわからないままーー。
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