05.傘の下の鼓動



 ショッピングの帰り、電車の窓から見える雨の粒にリンは思わず溜息をついた。
 ゆっくりと電車が止まり、人々の流れにそうように降りていく。改札を抜けると、外は電車の中で見ていたと同じように雨が降っていた。

「急に降ってくるなんて」

 落胆しながらカバンの中に入れていた折りたたみ傘を取る。六年前の事件以来、晴れていても折りたたみ傘を常にカバンに入れる習慣が役に立った。
 傘を開こうとしてふと、雨を見つめる人物が目に入った。

「あれ、沖矢さん」

 リンの声に赤茶色の髪がこちらを見つける。少し驚いたような表情が見えて、苦笑しながら歩み寄ってきた。

「こんにちはリンさん、奇遇ですね」

「はい、本当に。帰る途中ですか?」

「そうなんですが……」

 実は……と言った沖矢がその雨に視線を向ける。

「駅近くにいたら急に降られてしまって。少し雨宿りをしていたのですが、止みそうにないのでこれからコンビニで傘でも買おうかと」

 苦笑する沖矢になるほどと頷く。

「私折りたたみ傘持ってるんで、一緒に入りますか?」

 なんとなく、そうリンの口から言葉が出た。
 コンビニの傘だと高いだろうし、どうせ隣の家だから途中までどうかと提案すると沖矢は驚いたように目を少し開いた。

(あ、初めて目を見たかも……)

 珍しい出来事にリンの方が驚くと、沖矢は申し訳なさそうにしながら頷いた。

「ありがとうございます。ではお言葉に甘えさせていただきましょう」

「はい。じゃあどうぞ」

 折りたたみ傘を開いてさそうとすると、隣からすっと取っ手を取られる。えっと顔を上げると、沖矢が優しく微笑んだ。

「僕が持ちますよ」

「ありがとうございます……」

 隣り合って歩くと、なんだか急に恥ずかしくなってくる。女友達とのやりとりのように提案したが、相手はやはり男性で背も高く肩幅も広い。
 肩が触れて思わず離れると、雨に当たってしまい気がついた彼が寄ってくる。それの繰り返しだった。

「あまり離れてしまうと濡れてしまいますよ」

「あっ、そうですよね。すみません……」

 離れていたのをやめてしっかり彼の隣を歩く。
 傘に流れ落ちる雨の音を静かに聞いていると、隣を歩く沖矢の顔をちらりと見た。
 そういえばこんなに間近で顔を見たのは初めてな気がする。

 ふと先程の目を少し開いた場面を思い出す。目を開けているところをまともに見たことがないからか、どんな色をしているのか気になった。

「どうかしましたか?」

「へっ」

 いつの間にか、沖矢がこちらをじっと見るように顔を向けてくる。

「あ、いや……その……沖矢さんって普段は車を運転するんですよね」

「ええ、そうですが」

「たまに自宅の窓から、車を出す沖矢さんを見るんですよ。今日は車じゃないんですね」

 正直に「沖矢さんの目が気になって」とは言えず、当たり障りのない話題を口にする。

「そうですね、いつもは車で移動してます。今日は歩いて行ける距離だったので」

「あの車かわいいですよね。赤くて、丸くて」

 模様があればてんとう虫みたいとリンが言うと、沖矢が笑って頷いた。

「確かに、てんとう虫と呼ばれていますよ。リンさんは車は運転しないんですか?」

「免許は持ってるんですけど、あまり運転は得意じゃなくて。妹は上手いんですよ」

「へえ、そうなんですか」

「だからたまに会った時に乗せてもら……っ!」

 横から進んできた人を避けようとして足がもつれる。転ばないよたいに踏みとどまろうとすると、大きな手に腕を引かれた。

「大丈夫ですか?」

 沖矢の広い胸に抱き寄せられる。
 息がかかるほど近い距離にリンが顔を真っ赤にさせて後ずさるように離れた。

「だ、大丈夫です!」

「ほら、また濡れますよ」

 雨に濡れるリンに沖矢が傘をかざす。
 リンの胸が熱くなって、心臓の音がうるさく鳴った。

「あ、ありがとう、ございます」

 なぜか急に意識してしまい、リンは頭を振って黙って沖矢の隣を歩く。それでもまだ胸の鼓動は鳴り響いていてうるさい。

 しばらくお互いに黙って歩いていると、工藤邸が見えてきた。

「……あの、沖矢さんが濡れないように、玄関先まで行きますね」

「ありがとうございます」

 玄関前まで一緒に行くと沖矢が微笑んでお礼を言った。

「今日はありがとうございました」

「いえ、こちらこそ」

 ぺこりとお辞儀をして門のところまで戻る。玄関の方を見れば、リンを見送るようにまだ彼がそこに立っていた。

 門を閉じて早歩きで自宅の玄関に向かう。
 鍵を開けて傘を閉じ、急いで中にに入ってドアを閉める。

「っ……まだ、ドキドキしてる……」

 鍵の閉めたドアに手をつけば、長々と溜息が出た。

 どうしてこんなにもドキドキしているのかがわからない。パタパタと手で火照った顔を扇いでパンプスを脱ぐ。


 逃げるように帰ったリンは知らなかった。

 真っ赤になって慌てて帰る姿を玄関から見つめ、ふっと沖矢は笑っていた。

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