04.契約



 静かにワインを一口飲んだレイシーが眼前のバーボン、降谷零を見る。彼は食事に手をつけずにテーブルに肘をついてこちらをじっと見つめていた。

「なに、そんなにジロジロ見て」

「いえ、ミスティとして会う時はいつも髪をおろしている姿しか見ていなかったので。なんだか新鮮ですね」

 降谷の瞳が髪を纏めているレイシーのすっきりとした首筋に移動する。

「それで何故、公安上層部の方を親戚にもつ貴女が、組織の情報屋に?」

「それは、言わなくてはいけない話かしら」

「公安のNOCリストに貴女のデータはなかった。……是非、僕としては知りたいですね」

 レイシーがゆっくりとワインをテーブルに置く。

「そうね、公安のNOCリストには載っていないでしょう。べつに私は、警察や海外の諜報機関の者ではないもの」

 警察官やFBI、CIAではないというなら降谷にとって思い当たるのは一つ。

「……公安のエス……協力者」

 レイシーがふっと笑って頷いた。
 民間人でありながら公安に協力して情報を提供する者。

「ええ、そうよ。自分で志願したの、両親を殺した男を探すために」

 はっとしたように降谷の瞳がレイシーを見る。彼女は昔話をするように口を開いた。

「私が幼い頃、両親は組織を調べるために彼らを追って……見つかってしまった」

 組織を調べた者の末路は知っているはず、と降谷に語りかける。

「両親を殺した奴が憎かった。見つけて捕まえたかった……でも、両親と同じことをしていてもまた見つかるだけと思ったわ。だから、こちらから見つけるんじゃない、組織に見つけてもらおうと思ったの」

「情報屋として、ですか」

「そう。組織にとって使える人間としてね」

「仇は見つかったんですか」

 その言葉にレイシーの琥珀色の瞳が遠くを見るようにさまよう。

「……ええ、見つけた……見つけたの。懐に潜り込もうと、情報屋として働いて手酷く裏切って復讐しようと思ったわ!」

 でも、とテーブルの上で拳を握りしめていたレイシーが、ふっと脱力する。

「……東都タワーで、ジン達に殺された……」

「……まさか……アイリッシュ」

 呟くその名に頷く。
 親の仇が死に、心を蝕んでいた復讐の炎がふつりとジンにかき消されてしまった。

「やっとの思いでアイリッシュの情報屋になったと思ったのに、本当にあっさりと殺されてしまった……。やり場のないこの思いをどうすればいいかわからずに、組織の情報屋としてい続けているわけよ」

 そして公安の協力者として情報を流していたという。
 荒んだ心を落ち着かせようとワインを口にして息を吐いた。

「……たいして面白くもない話だけど満足した?」

 降谷を見れば、彼は何かを考えるように顎に指で触っている。そして小さく笑った。

「なるほど、だから貴女との縁談ですか」

「は……?」

「いえ、何故貴女を紹介されたのかと不思議に思っていたのですが、これで納得しました」

「……どういうこと」

「上層部はどうやら貴女を僕の協力者にするつもりなのでしょう」

「っ……私が、貴方の?」

「組織内で貴女と交際しているとふれこめば、貴女と頻繁に接触をしていても誰も疑いませんからね。だから見合いをさせた」

『急で悪かったと思っているわ。でも、私たちは妹の忘れ形見の貴女達の幸せを願っているのよ』

 ふと、伯母の言葉が思い出される。
 幸せを願っていると言っていたが、この話は公安上層部によって利用されているというのか。

 確かに、公安のスパイと協力者を連携させることができれば、組織の目をかいくぐり上手く動くことができるかもしれない。
 協力者は利用し利用される存在だと分かっていたつもりだった。だがレイシーは結婚でさえも利用されると知り、言葉を失った。

「…………」

 俯くレイシーに降谷が笑い、ゆっくりと彼女の左手を取った。

「僕はこの国を守るためならなんでもすると誓った。だから貴女を利用します」

 大きな手が細い指を引き、薬指にそっとキスを落とす。

「僕と付き合ってくれますか?」

 バーボンの時の柔和な微笑みではない、真剣な目がレイシーを見つめる。

 多分これはもともと自分に拒否権なんてないんだとレイシーは思った。
 公安の警察官に命令されれば、協力者の自分は断ることはできない。しかも上層部が動いているのだ。

「…………ええ、それが私の役割なら……拒否権は無いわ」

 そう見つめ返せば、彼はやっとバーボンの時のように優しく微笑んで立ち上がった。
 手を引かれてレイシーも立ち上がれば、いきなり後頭部を逆の手でおさえられ顔を上向きにさせられる。

「えっ……」

 手を掴んでいた指が離れて、腰をテーブルにつくギリギリまで寄せられる。端正な顔が近づいて、いじわるく笑った。

「んっ!?」

 強引に唇を奪われる。
 深く口づけられ、先程まで飲んでいたワインの濃厚な味が再び蘇ってくる。

「っ……」

「これで、契約成立だ」

 唇が離れたと思えば、耳元でそう囁かれて背筋がぞくぞくと疼く。これはダメだと思いきり降谷を突き放す。

 睨むように見つめれば、彼は何か楽しそうに笑っていた。

*前次#
表紙

ALICE+