01.現れた隣人
カチコチという柱時計の音が聞こえる。
微睡みにたゆたっていた金の髪の女が、突っ伏していた机から顔を上げた。
「……あれ……寝ちゃってた……」
仕事中にいつの間にか眠っていたのか、大きく伸びをしてあくびをする。パソコンをいちべつすると、変な所で文章が止まっていた。
「やっぱり徹夜明けはキッツいかー」
とりあえず、きりの良いところで終わらせてデータを保存する。
翻訳の仕事をしている彼女は早朝に約束されていた納品分を文章化し終えて、次の分に取り掛かっていた。その分の納期は十分時間猶予はあるが、翻訳スピードがノッていた彼女はそのまま着手していたのだ。
「とりあえず、一息つくかな」
下ろしていた長い髪をゴムで高くまとめて椅子から立ち上がる。仕事部屋をふらふらと出て台所に着くと、やかんに水を入れて火にかけた。
「ふああ……」
またあくびをしながら戸棚から紅茶のリーフ缶と、ティーセットを取り出す。今日のお茶のお共はビスケットにしようかと、違う戸棚のお菓子コーナーから目当ての袋を出して、小皿に盛り付けてリビングのテーブルに置く。
ついでにテレビをつけると、お昼前のニュースが映った。今週の天気予報を見てビスケットを一枚つまむ。我慢できずに口にいれると、お湯が沸いた音が台所から聞こえてきた。
「よっと」
お茶の準備をしてティーセットを置いたトレイを持つ。リビングのテーブルに移動して、ティーカップに紅茶を淹れようとした時、インターホンが鳴った。
「もー、良いところなのに〜」
せっかくのティータイムを邪魔されてムスッとしながら、仕方なく玄関に向かう。
通販の注文や訪問の約束も今日はしていないのに、いったい誰かと思いながらドアを開けると、そこには赤みのかかった薄茶色の髪をした男性が立っていた。
「あの、どちら様ですか……」
相手の眼鏡越しでもわかる糸目がこちらを見つめて、お辞儀をした。
「すみません、急に。実は隣に引っ越してきた沖矢昴と申します」
「え、隣って……」
両隣はどちらも引っ越しはしっていないはず、と思ってとある高校生のことを思い出した。
「もしかして、工藤さん家ですか?」
「ええ、よくお分かりになられましたね。僕は縁あって工藤さん宅に居候することになりましたので、ご挨拶をと思いましてお伺いしました」
ここ最近工藤の長男・工藤新一は探偵業にいそしんで家を空けていると聞く。空いた家を提供したのか、と理解すると沖矢と名乗った青年は持っていた紙袋から包みを取り出し、こちらに差し出した。
「どうぞ、お菓子ですがよろしければ」
「ありがとうございます。……あ、そういえば名乗らないままでしたね、私の名前はリンといいます。リン・グレイ。ハーフですが日本語は支障なく話せますので、これからよろしくお願いします」
「リンさん、ですか。こちらこそよろしくお願いします」
柔和な態度の沖矢さんに、ホッとする。
隣人として当たり障りなく生活できそうだ、と考えていると、じっと沖矢さんの糸目に見つめられているように感じた。
「……あの?」
「ああ、すみません。ちょっと考えごとを。もしかして僕とどこかで会ったことがありませんか?」
「沖矢さんと、ですか……?」
この特徴的な糸目は一目見れば忘れるはずがないと思うが、あいにく記憶に無い。
「いえ、ないと思いますけど……」
「そうですか……僕の勘違いかもしれませんね。すみません。では今日はこれで失礼します」
お辞儀する沖矢さんにつられてこちらもお辞儀をする。背を向けて立ち去る彼を見送ろうとすると、ふと振り返った。
「ああ、そうだ。リンさん、今度誰か訪問してきた時はちゃんとドアホンで相手を確認してから出てきた方が良いですよ」
「え……」
「女性の一人暮らしに不用心ですから……。では」
今度こそ最後というように、軽く礼をして歩き去って行く。
「…………一人暮らしって、私言ったっけ?」
思わず首をひねって沖矢さんの背を見つめる。不思議な雰囲気の人だなと思うと、確かに隣の工藤さん宅に入って行ったのがここからでも見えた。
「ま、いっか」
工藤さんの知り合いならそう悪い人ではないはずと思い、ドアを閉める。
「そういえば紅茶そのままだ!」
急いでリビングに戻ってティーカップを触る。冷め切ってしまったアールグレイを見下ろして、温めるかと溜息をついた。
突然の新しい隣人出現に少し驚きながら、リンは貰った包みを開ける。出てきた高価そうな焼き菓子を見つめて大きく頷いた。
「よし、多分良い人」
紅茶を温めて、貰い物のお菓子を頬張る。
甘いお菓子に自然と笑みが零れた。
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