03.昼下りのお茶会
ある日の昼下がり、干していた洗濯物をリンが取り込んでいた。
「今日は風が強いから早めにいれないと」
風に煽られたシャツがはためく。
ハンドタオルやバスタオルを取って、ハンガーから洋服を抜こうとする。と、一つのハンガーを見てリンが固まった。
三つ並んだハンガーの一つのうち、ブラウスをかけていたハンガーがぽつんと何も付けずに掛かっている。風で飛んでしまったと気がついた時にはとっくに遅く、急いで下を見てあちゃーと呻いた。
「あんな所に落っこちてる」
視線の先は工藤邸の軒先の真下。
隣家の敷地内に落ちてしまっては仕方がない。急いで洗濯物を全部取り込んで、土がこびりつく前に取りに行かなければと思い、駆け足で家を出た。
「あのー、すみません……」
なんとも言えない表情でインターホンを押す。はい、と機械越の沖矢に事情を説明すると、笑って敷地に入れてくれた。
「もしかしてこれですか?」
「はい、それです……」
案内してくれた沖矢が落ちていたブラウスを手に取る。軽く手で払うと、くすりと笑われた。
「どうぞ。土はついていないようですよ」
「ありがとうございます。すみません、ご迷惑をおかけしちゃって」
「いえ、この風では仕方がないですから」
受け取ったブラウスが汚れていないことを確認してホッとする。邪魔をしないうちに帰らなければと思って顔を上げると、沖矢が微笑みを浮かべて屋敷を指した。
「ちょうどお茶をしようとしていたのですが、よろしかったら一緒にどうですか?」
「え、そんな。いいんですか?」
「ええ、これも何かの縁ですから是非」
確かにこれは隣人との良好な関係を築くためにはいい機会かもしれない。また似たようなことが起きるかもしれないし、仲良くしておいたほうが良いと思いリンは彼の言葉に頷いた。
「こちらへどうぞ」
工藤邸に入ると、レトロな調度品の数々が目につく。気品ある雰囲気の中リビングに案内されると、ソファーに座ったリンに沖矢が声をかけた。
「コーヒーと紅茶どちらがお好みですか?」
「紅茶が好きです」
「わかりました、用意してきますので少し待っていてください」
台所に向かった沖矢の後ろ姿を見送り、ふとリビングを見渡す。なんとなく落ち着かない気持ちになってきた。
(ここには何回か来たことがあるけど、住んでいる人が変わると雰囲気も変わるんだ……)
工藤新一が居た時とは違った落ち着いた空気に息をつく。手に持っていたブラウスをソファーの隣に置くと、沖矢がティーセットを持って戻ってきた。
「お待たせしました」
リンの前にティーカップを置いて、テーブルを挟んだソファーに沖矢が座る。
「ありがとうございます」
差し出された砂糖入れを受け取り、スプーンですくう。サラサラとした白い砂糖を紅茶に入れると、何を話したらいいかと思いながら口を開いた。
「久しぶりに工藤さん家に来ましたけど、家主が変わると雰囲気も違ってきますね」
「工藤さんとは仲がよろしかったんですか?」
「新一くんと、彼の幼馴染の家庭教師をしていて、昔はここで勉強をしていたんです」
「へぇ」
紅茶を飲むとらほのかに爽やかな風味が口に広がる。ちょうどいい濃さに淹れられた紅茶に思わず感嘆のため息が漏れた。
「あ、美味しい……アールグレイですよね、これ。私紅茶で一番好きなんです」
「そうですか。気に入っていただけて良かったです」
嬉しそうに笑う沖矢さんこっちまで笑みがこぼれてしまう。
「沖矢さんは普段何をしていらっしゃるんですか?」
「僕は東都大の大学院生でして、博士号を取るために普段は勉強をしているんです」
「そうだったんですか!」
「はい、リンさんは日本に留学……ですか?」
「あ、いえ。父親はイギリス人ですけど、母は日本人なので日本国籍を取ってこっちで翻訳の仕事をしているんです」
「翻訳家さんだったんですか。ご両親はイギリスに?」
「……両親は幼い頃に、事故で亡くなっていて……母方の親戚にお世話になっているんです」
「そうでしたか……一人で大変ですよね」
「妹がいるのでそんなに大変ではなかったですけど、最近妹が顔を出さないので寂しくはあります」
妹、という言葉に沖矢の細目がさらに糸のように細まる。
「妹さんがいるなら安心ですね」
「はい。あ、そういえばここって図書館があるんですよね」
なんとなく湿っぽくなるのが嫌でリンが思い出したように話をそらした。
「ええ、凄い蔵書の数で。見た時は驚きました」
「私も始めて来た時ビックリしました。流石小説家の親ですよねぇ。翻訳家するぐらいなんで私も本とか大好きなんですが、あれは凄い宝の山ですよね」
「お時間がある時にでも見に来ますか?」
「へ……いいんですか!?」
「一度工藤さんに聞いてみなければいけないですが。大丈夫でしたらお誘いしますよ」
「本当ですか!」
一度はあの図書館の本を手にとってみたいと思っていたリンの目が輝く。是非今度と約束を付けて連絡先の交換をした。
あっという間に楽しかった時間が過ぎていって、外がオレンジ色に変わっている。
空になったティーカップをソーサーに置いて一息つくと、置いていたブラウスを取って沖矢にお辞儀をした。
「今日はいろいろとありがとうございました」
「こちらこそ、楽しいひと時をありがとうございます」
玄関まで送ってくれた沖矢に互いに笑い合う。
「では、また」
オレンジ色の空の中、リンは満ち足りた気持ちで工藤邸を後にする。
また彼に会いたいと思いながら。
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